短くも長い階段を昇り終え、ユウリの部屋の前に辿りつく。
「最後にこんなこと聞くのはアレだけども」
「最後だし、どうぞ?」
「どうして僕に話したの?」
本当に今更だ。クスリと笑って、僕は目の前の扉のノブを掴んだ。
「なんでかな。ラウになら話せるとも思ったし、ユウリは言わなくてもわかると思った。だって、ユウリは僕だもの」
言葉にしなくちゃ伝わらないことがある。でも、言葉にしなくてもわかることもある。僕とユウリにとって、それは比較的難しくないことだった。相手の立場にたって考えてみればわかってしまう。それは裏を返せば知りたくないことまで理解できてしまうということ。
ギ、と僅かに音を立てて開いた扉の先に、ユウリと、シュウとクラウスも揃っていた。
どこまで説明をすればいいだろうかと一瞬思うが、ユウリの顔を見て、何も必要がないことがわかった。
僕の望みも、怯えも、すべて伝わっている。
「嫌で嫌で、仕方ないんだ」
シュウとクラウスへも話をしたあと、ユウリは固い表情のまま開口一番にそう言った。
「聞いた時、君のことが理解できなかった。なんでそんな方向に解決策を求めたのかって。でも、話を聞いて部屋に戻ってから考えてたら、もうそれしかないとも思った」
やはり、と思った自分がいた。多くを語らなくても伝わっている。
「もう決めたんだよね。元より、僕に異存を唱える権利なんかないけど」
「それは違うよ。僕は君にわかってもらわなくちゃいけなかった。ジョウイとナナミを守るって約束したのに……」
「は?守るよね?」
「ま、守ります。勿論」
ヨシと頷き、そして表情を少し和らげた。
「さっきは取り乱してごめん。正直、今でもそれが一番だとは思えていない。でも、君が決めたのならそれでいい」
頭を軽く下げた。ありがとうと言うのは変な気がした。ごめんも違うだろう。
僕もユウリも口には出さなかったが、紋章をひとつにすることでのリスクは当然あるに違いない。いくら僕とジョウイによってお互いの命を削りとるという呪いが解けたからといって、安全の保証などどこにもない。そんなことは百も承知、だから口にはしなかった。
ジョウイがひとりで動かないように。それができるなら、どんな博打だって打ってみせる。僕の博打の腕はシロウとタイ・ホーとラウ=マクドールのお墨付きだ。やってみせるさ。
「この世界に来たこと、……僕と会ったこと、後悔してない?」
「……してないよ」
だってもう僕にはこの選択しかない。
その選択がなかった頃に戻りたいとは思わないから。
寂しさがないといえば嘘になる。それでも。
「こうして決めることができたのは、ここに来たおかげだ。感謝してる」
僕はもう一度、今度は深く頭を下げた。
「あの……」
申し訳なさそうなクラウスの声にその場の全員の目が集まった。
「すみません。あの、ちょっと。あれは、まさかと思うのですが……」
と、クラウスの指差した方向を追って、目を見開いた。
窓の外、下の方から小さな光の玉が見えた。それは見覚えのある光だった。
「道……!」
慌てて窓を開いて身を乗り出すようにして階下を覗き込む。それは何もない空間から湧き出るようにして光を放っていた。ここから飛ぶには離れている。が、もしかすると。
「ちょ、あそこってちょうどユウリの部屋の外じゃない?」
「たぶん」
「たぶんとか言ってる場合か、行け―――!」
ユウリの声に背中を押されて、部屋から廊下に駆けだした。
まさか。まさかのタイミング。何がなんだかわからないが、きっと今が戻る時なんだ。逃すわけにはいかない。
扉を乱暴に開け、そして部屋を横切り、小さなベランダのある窓を開け放した。
そして、まさにベランダのすぐ下あたりの空間から光は溢れだしていた。
ここに飛び込めば、きっと帰れる。
思わず一歩下がり、振り返った。
部屋には僕を追ってきたユウリとラウの姿があった。そして、続いてクラウスとシュウが飛び込んでくる。
「ユウリ様!」
クラウスが振りかぶって何かを投げた。丸まったそれを受け取り、胸に抱いた。
「コート……!」
「持っていってくださるのでしょう?」
言いだしっぺが持っていき損ねるところだった。壁にかけておいていて良かった。
さらに、シュウが僕の名を呼んだ。
「持っていけ!」
今度はずしりと思いの外重量のあるものが飛んできた。
「これ、廊下とかに置いてあったやつだ」
非常時用のバッグだと聞いた。あれらが入っていれば、とりあえずの旅はできる。それと、バッグに差し込まれているものは剣だった。それも、金に貴金属がふんだんに使用された、実用するには華美で重たすぎる代物。
「まったく……どこのシュウも考えることは同じってことかな」
ありがたく頂戴し、いつか旅の資金が厳しくなったら換金させてもらうことにしよう。
皆には窓からは少し距離を開けるようにしてもらう。万が一巻き込まれてしまったら大変だ。
少しずつ、光の量は増していた。
僕は小さく手を振ると、ベランダの端まで歩み寄った。
「帰ったら、良ければ僕を探してやってよ」
「ラウ」
「このこと話してみるといい。絶対羨ましがって、面白い反応が返ってくると思うよ」
「またそんな」
苦笑を返すと、ユウリも口添えをしてくれる。
「変な指令を出さないでよね。それに、向こうのラウは誰かと出会ってるかもだよ?」
その発想はなかった。ラウも同じようで、目を丸くした。
「君はそれがいいとでも?」
「別にいいんじゃないかな」
えええ、と言うラウに、ユウリが笑って「そんなに驚かなくても」と慰める。
「色んな幸せのカタチを持つ、貴方や僕がいていいと思うんだ」
ユウリの言葉に僕も頷く。
たくさんの出会いと別れ。
その一瞬一瞬が僕だけのもので、取り返しはつかないけれど、その先でそれぞれの幸せが掴めたらいい。
「行ってらっしゃい」
きっと二度と会えない。それでも、行ってらっしゃいの言葉には不思議な魔力がある。また帰ってきてもいいのだと思わせる、そんな優しさがいっぱいに詰まっている。
「行ってきます」
そう、答えることができることが嬉しかった。
ユウリの後ろで、ラウが黙って手を振ってくれた。シュウはいつもより優しい顔をしている。クラウスは静かに微笑んでいて。
素晴らしい旅立ちだ。
明るい未来しか思い描けない。
そこに僕の希望が多分に盛り込まれているとしても、気持ちは大事だ。
大丈夫だって思える。
光の輝きが一層増し、溢れだすかのようだった小さな光の玉は今や闇を白く塗り替えようとしていた。
僕はバルコニーの手摺を掴んだ。
「ねえ!」
呼びとめられ、今一度振り返る。ユウリが意を決したように口を開いた。
「僕は、すっごく幸せなんだ」
「うん?」
唐突な言葉に面食らう。でもユウリは至極真面目な顔で続けた。
「次に会ったとき、君もそう言ってくれるよね。約束」
なんて素敵な約束。
ふわりと胸が温かくなり、一緒に笑みが零れた。
「うん。約束」
手摺の上に立ち、最後に皆の顔を見た。
僕がすでに光に飲みこまれようとしているせいか、皆の顔が眩しくてよく見えない。それでも笑ってくれているのだけはわかった。僕も笑顔を返す。
「この世界に来て、あなたたちに会えて、良かった」
伝えたい想いはたくさんあるけれど。
「ありがとう」
そうして僕は、真っ白い光の中に飛び込んだ。