コンコンとノックの音が響いた。この扉を鳴らす人物は少ない。
「どうぞ」
開いた扉の先には、僕の想像した人物とは違う人が立っていた。
その人、ラウ=マクドールは扉を閉めて、しかしそれ以上は入ってこなかった。
ラウは壁にもたれて俯き加減に立つと言った。
「伝言」
誰の、とは言わない。言わなくても僕に伝言なんて頼むのは彼しかいないからだ。
「……ユウリ本人が来るかと思った」
「ごめんね」
「ううん、そんなんじゃないんだ。というか……うん、そっか」
一人納得する僕にラウは僅かに眉を顰め、首を傾ける。僕の世界でそんな仕草をするラウの覚えはほとんどないのに、こっちの世界では見慣れたものになっていた。
「僕なら、僕自身が行くと考えたから。でも、ユウリには貴方がいたね」
だから貴方が僕のもとに伝言を届けた。それはとても自然なことのように感じた。
ラウはまだよくわかっていないようだったが、言葉の通りの意味のみ受け取り、「うん」と応えた。そして、続きを話していいか目線で問う。僕は黙って僅かに頷いた。
「ナナミは泣くよ、って」
何故か、なんて問わなくてもわかる。
「うん」
「ジョウイは殴るよ」
「うん」
「それから泣くんだって」
「……うん。ジョウイは優しいから」
ラウが小さな溜息をついた。
「君は、……やっぱり嫌になるくらい君だね、ユウリ」
「それは褒め言葉かなぁ」
「どう取るかは君次第ってところかな」
背を扉から離して、「行くよ」と僕に声を掛けた。
「何?」
「部屋に連れてこいって言われてる。これも伝言」
動かない僕を、ラウがさらに促す。
「行こう。大丈夫、連れてくるように言ったんだから。逃げないよ」
暮れかけた空を窓から見ながら、階段を昇る。僕もラウも当たり前のようにえれべーたーではなく階段を選んだ。
「……ラウは、僕に何か聞きたいことはないの?」
「そりゃあね。でも結局君が決めることだから」
「うん」
「それに僕は君の傍にいられるわけじゃないのに、何かを聞いたり言ったりするのは無責任かなって」
言って、ラウはちょっとの間、黙り込む。
「……それでも気になっちゃうんだけどね」
僕は噴き出して笑った。
「あはは!あ、ありがと!」
「笑うかな」
不服そうに呟くラウに僕は思わず微笑んでしまう。僕も随分と好かれたものだ。
「ユウリから僕が何を言ったかは聞いてるよね」
「聞いた。ごめんね」
ううん、と首を振った。あの状態のユウリを見て放っておけるラウではないだろうし、ユウリもラウに話すことに抵抗があると思えない。
そして僕も、今ラウに話すことに抵抗を感じてはいなかった。
「僕はね、いいんだ。あの方法を取って犠牲になるのはジョウイとナナミだ。僕の失うものなんて、二人に比べれば小さい。……だって、僕が二人の立場だったらきっと許せないから」
それを僕はしようとしている。
僕はジョウイとナナミに笑っていて欲しいと願っているのに。
何かを失ってもやり遂げる気概。ここでシュウの言葉を思い出すのは卑怯だろうか。
僕は自分のことばっかりだ。こんな自分を知りたくなかった。でも目を逸らすこともできない。
「それでも僕は、ジョウイにだけはさせたくない」
彼らは間違いなく自分たちを責めるだろう。何故気付かなかったのかと。かつての僕と同じように。僕は知っている。あの哀しみ、あの痛み。
でも譲れない。
あの時、彼らもそう思っただろうか。
愚かだ。自分でそう思った。
それでも、最悪のケースだけは防ぎたかった。これが僕の望みだ。
ずっと前からそうだった。ジョウイとナナミと再開してからずっとずっと、僕の望みはそうだったのだろう。
ジョウイが紋章のことを考え、僕とナナミのことを考え、そして真の紋章を得ようとすること。そんな最悪のケースを、僕は許せない。
そして僕は気付いたのだ。僕が置いていかれない方法を。
「……もう置いていかれたくないから。ジョウイより先に僕が動く」
思えば僕だって、彼らの望みをすべて叶えていたわけじゃなかった。
デュナンから逃げるよう、軍主なんか辞めるよう、そう何度も訴えていたナナミとジョウイの言葉を聞かなかった。首を縦に振らない僕に、彼らはどれほどに落胆しただろうか。
ラウは黙って聞いていたが、やがて小さく首を傾げた。
「ユウリ。……君は、ナナミと幼馴染くんに幸せになって欲しいだけなんだ」
それは勿論。でも、この僕の選択は。
「なのに、君は自分が一人になりたくないだけだなんて言う。それが少し寂しいよ」
ラウは歩みを止めた僕を振り返り、同様に立ち止まった。
「君の置いていかれることへの一種トラウマのようなものを抱えていることは理解できる。でもね、君は本当に優しい人だから。自分でもう終わりにしようって。そう思ったんじゃないかな」
ラウの手が僕へ伸びて、その長い指が頬を掠めていった。それが頬を伝うものを拭ってくれる。
「ごめん。僕の勝手な思い込みで、君の本意や想いとは違うのかもしれないけど」
僕は首を横に振った。笑みが零れて、それと一緒に落ちる涙は温かかった。
ありがとう、ラウ。