ひやりひやり、と。
時折身体の奥底から湧きだす感覚。
ずっと、ずっと前から存在していた。
いつもすぐに消えるから、なかったことにしていた。
なかったことに。……気付かなかったことに。
それがもう、消えなくなってきていた。
湧いてくる冷たいものは僕の心臓にまで達してしまおうとしていた。
今までは消えるから忘れることができていたのに、もう忘れることができない。
僕は何も知らない。何も気付いていない。
そんな風に誤魔化すことができなくなってきた。
あたたかい気持ちだけが良かった。
自分の望みと皆の望みが一緒ならいいと思っていた。
戦争中は人の数分だけある望みに葛藤もした。けれど、僕とジョウイとナナミの3人ならばと。そう思っていた。
ああ。ほら。冷たい感覚が身体中を満たそうとしている。
もう、時間がない。
***
洗濯場に集まる女性たちに、クラウスからプレゼントされたコートの取り扱いについて教えてもらったあと、地上階に降りた。
建物を出ると、午前中に干し終えた洗濯物が屋根と屋根の間ではためいている。空気は冷たいけれど、晴れた空と洗濯物の彩りが楽しい。
見上げた状態のまま緩やかな下りになっている段を歩いていると、トンと足に何かがぶつかった。見ると、足元に使いこまれた黄色いボール。
「ごめんなさーい!」
ボールを手に取った僕に向かって、謝る声と同時に小さな足音がいくつも聞こえた。城下町に住んでいる子どもたちが午前中の手伝いも終わって、一緒に遊んでいたのだろう。
「はい」
「ありがとう、お兄ちゃん」
ボールを手渡すと、子どもたちは息を切らせながら笑って受け取った。
「次、誰が投げよっか」
「順番、僕?」
「パスの回しっこにする?」
二人の男の子と、一人の女の子。歳はさほど変わらないように見えるのに、女の子はなんだかお姉さんぽくて頼もしい。まるで僕とジョウイとナナミみたいだ。
もっとも僕らはボール遊びはしなかった。小さい頃は街に出るとよく近所の子どもたちにいじめられたりなんかもした。ナナミがいるといじめっこ達に仕返しをしてくれて、それがゲンカクじいちゃんにばれてまた三人まとめて怒られて。
そんなこともあってか、僕らは山や森を走り回ることが多かったし、少し大きくなってからは道場での稽古がそこに追加された。ここデュナン城周辺には山も森もないけど、草原と湖があるから、僕の知らない遊びがまたあるだろう。
あまり触った記憶のないボールの感触を思い出すように握ったり開いたりしてみた。
まだ相談を続けている子どもたちに声をかける。
「僕が投げてあげようか」
「ほんと?遠くに投げてくれる?誰が一番最初に取ってこれるか競争するの!」
提案に子どもたちの目が輝く。
この場所で、子どもたちが笑って当たり前のようにボール遊びをする、そんな光景。僕が大人になったからだろうか、妙に眩しくて感動的だ。こんな毎日を送れるようになることが、あの頃の夢だった。
これが、この世界でユウリやシュウやクラウス、たくさんの人たちが作り上げた世界。
じゃあお願い、と少年がボールをこちらに再び渡そうとした。
「あ」
僕の差し出す手とボールのタイミングが合わなかった。指先にトンと当たったボールは、僕と少年の間に落ちて、そして斜面をてんてんと転がっていく。
「あー!」
二人の子どもの声が上がり、三人してゆっくり転がり落ちて行くボールを追いかけはじめた。
ここの斜面は緩やかだし一直線でもないからきっとどこかでボールは引っかかって止まるだろう。
三人はぱたぱたとバランスの怪しい足取りで走る。大丈夫、ちゃんと追いつく。
ふいに、子どもたちの背中に映像がダブった。
僕と、ナナミと、ジョウイが走っている。
いつも最後を走っていたのは僕だった。
二人に追いつこうといつも必死だった幼い頃の。
―――置いていかれる、僕。
「―――――」
同時に胸に込み上げる冷たい感覚。
そうか。
この時折感じていた胸の奥に宿る冷たさ。
これは、―――恐怖だ。