陽がたっぷり射しこむ廊下を歩く。
太陽に向けて右の手のひらを翳す。皮膚の透き通る感じは、いつ見ても不思議で自分の血肉は一体何で出来ているのだろうと思ってしまうことがある。
ちら、と指の間から陽光が漏れて目に入る。
咄嗟に瞼を閉じても残る白い光は、始まりの紋章の力を思い起こさせた。
ユウリだってあの力を望んで手に入れたわけじゃないに違いない。そこには逃れることのできない已むに已まれぬ理由があったはずだ。

かつて自分の置かれた立場や責任から逃げたことがあった。そして、再び戻ることを決心し吸血鬼ネクロードを倒したあとだ。何故倒したのか、何故ティントを解放したのかと問われたことがあった。
僕はこう答えた。
もう逃げたくはないから、と。

もう逃げないと自分に誓った。二度とあんな後悔をするものかと唇を噛んだ。
そこには新同盟軍の軍主としての立場と自分が紋章を宿した責任に対しての強い想いがあった。

翳していた手を下ろし、陽の射しこむ窓辺近くから二歩奥へ退いた。
窓枠に沿って通路へ落ちた光と影の境目を歩きながら眼を伏せる。

いま、自分は逃げてはいないだろうか。もう軍主ではなく紋章の呪いも受けていないけれど、今の僕にしかできない何かから。
何かを見落としている。迷うはずのないところから動けないでいるのには必ず理由がある。自分の中の迷いを見つめなければ何も解決はしない。
ヒントは幾つもあった。僕がこれまでに違和感を持った数々の出来事や言葉に答えは隠れている。




「ユウリ様」

呼び声に振り向くと、何やら手に大きな包みを持ったクラウスが笑顔で近づいてきた。胸に渦巻いていたもやもやが晴れて、思わずこちらも笑顔になる。笑顔は伝染するって本当だ。

「クラウス、おかえりなさい。ハイイースト県に行ってたんだよね?長旅お疲れ様」
「はい、ただいま帰りました。ちょうど良かったです、お届けにあがるところでした。これはユウリ様へのお土産です」
「僕に?」

驚いている内にとさりと手渡されたそれは思ったよりも重たいが柔らかい。布のような感じ、であるなら服だろうか。
開けても良いかと尋ねると、どうぞと返事が来る。

「今回私が旅の準備をしている時に話していたこと、覚えていますか?ユウリ様が部屋にいらした時です。ハイランドはここよりも寒いのでコートを用意していて……」
「ああ、うん、覚えてるよ。かっこいいコートだなぁって言ったもん。ハイランドで仕立てたものだって聞いたよね」
「はい、それです」
「うん?」

紐を解いて包みを開け、中身を引っ張りだすと一見してコートだとわかるものが目の前に現れた。

「う、わー!」

思わず感嘆の声が出た。

「ちょうど店の近くに行く用事もありまして、ユウリ様のことを思い出したもので寄って仕立ててもらっちゃいました。帰りに間に合って良かったです」

僕が着るにしては上等な生地が使われていそうなコートを広げてみた。それはクラウスの持っているコートと似て仕立ててあった。

「ユウリ様が着られるので、手入れしやすい生地にしてもらったのと、動きやすいように頼んでいます。腕の確かな職人なので、きちんと配慮してもらえていると思いますが」

ハイランドの貴族御用達の店とかそんなんだ、きっと。旅人が着るのだと伝えられたら職人も目を丸くしたのではないだろうか。
だけどクラウスがあんな些細な会話を覚えていてくれたなんて。仕事の合間の時間を割いて店に足を伸ばしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになる。
早速羽織ってみることにした。今はまだ少しコートを着るには早い時期だが、朝夕はだいぶ冷えてきているし、すぐに冬はやってくる。それに、いつ何時元の世界に戻ることができ、そこが雪山でない保障などないと考えれば、もっと早くに準備しておくべきものだったのかもしれない。

「サイズはすいません、私の目算なのですが。ピッタリしたデザインではないから問題はないだろうって言われたんですけど、どうでしょうか」

クラウスがくるくると僕の周りを歩いて姿を見てくれる。

「うわあ……すごいねコレ。軽いしあったかい!うん、サイズもちょうどいいよ。肩周りなんかもすごくラクだ」

確かに動きやすく作られているようだ。足さばきもしやすいように深い切れ込みが何本か入っている。
また、この厚みと軽さなら持ち運びにもさほど困らなさそうだ。

「クラウスありがとう!すごくすごく嬉しいよ!」
「そう言っていただけると、私も嬉しいです。そうそう、職人曰く優しく扱ったほうが長持ちはするみたいですが、ご自身で洗っていただけますよ。汚れなど気にせず遠慮なく普段にお使いくださいね」

きっと汚しちゃうだろうなぁとチラと思った僕の心を見透かしたかのようにクラウスはそう言った。そして、コートなんて着ないと意味ありませんから、と僕の好きな柔和な笑みを浮かべた。
腕の中のコートを抱きしめる。大切に着たいけれどきっとすぐに汚れる。旅はそういうものだと言われればおしまいだが、やっぱり個人的にはいつまでも大事に使いたい。
洗濯というと真っ先にヨシノさんを思い出す。いつも汚れた服を丁寧に洗って、ほつれたところなんかはわからないくらいに繕って届けてくれていた。彼女のいるサウスウィンドウはちょっと遠いから、このお城の洗濯場にいる女性たちにでも声をかけてみようか。是非とも衣服の取り扱いのコツなんかをご教授願いたい。

「……早くしなきゃ」
「何か言われましたか?」

僕の呟きを聞いたクラウスが尋ねる。ううん、と答えて一緒に廊下を歩きだした。

「クラウス。これ元の世界に持ってくからね」

クラウスは大きな瞬きを一つして、そして笑った。

「お供出来れば嬉しいです。でも、その時にちょうど着てらっしゃるかどうかが問題ですね」
「持ってく。クラウスが僕のために頼んでくれたんだから」

僕の言葉に、クラウスは微笑みだけを返した。

廊下の角を曲がり、そういえばと話を切り替えた。

「ね。久しぶりに皆揃って食事ができるかな」
「ああ。そうですね、シュウ師も城内にいらっしゃいますし。ご一緒出来れば嬉しいです」

うん、と短く返事をした。気付かれないように息を吐き出す。こんな少し前までは何気なく話せていたことが、今は緊張するなんて。
僕はここ最近、いろいろなことが元の世界に戻るために一気に進んでいるような不思議な実感があった。僕自身のことは何も進んでいない気がするのに。
皆と共にする食事もきっともう多くはない。そう、思った。

コートを抱いた両腕は、無意識の内に力が入っていた。

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