執務中、書類をめくる手を止めてユウリが呟いた。

「ねえ。ちょっと最近ユウリ変だと思わない?」

同室にはラウ=マクドールしかおらず、彼もまた本棚の整頓をしていた手を止める。

「どうかな。あの子はこの世界に来てからずっといろんなことを考えているようだから、僕の目には変化ばかりしか感じられないけど」
「そう……」
「なにか心配なことでも?」
「う、ん。色々考えているんだろうってそれはわかるけど……。例えば、ジョウイとナナミについて不安だって言ってみたり。昔のことを笑って話していたと思ったら何か別のことを考えてたり。……ごめん、僕の言ってることもよくわからないね」
「いや」

手にしていた本を一冊また棚へ並べる。ことん、と本が納まる音が部屋に響く。

「……この間の」
「うん?」
「この間の、風呂場でのぼせたって話も、あとから何だか気になって」
「何が」
「思い出しちゃったんだ。戦争中、僕とジョウイって何度も倒れたことがあって……まさか、とか。いや、紋章の呪いに打ち勝ったって話は聞いたけど、でも何か……嫌な予感がして」
「ユウリ」

いつのまにか俯いていた顔を上げると、ラウが手招きをしていた。首を傾げながら近寄ると、その手が頭に乗っかった。指が自分の短い髪をすくように動くのがわかる。

「君らは双子みたいだな。不安が伝わりあってる」
「双子じゃなくて同一人物だよ」

わかってるよ、と頭上でラウの手がぱたぱたと動いた。

「まあ……そうだね。僕にも聞いてきたよ。僕にとって守るってどういうことだって」
「守る?」

ユウリが軽く眉を顰め、ラウもつられるように眉を下げて笑った。

「ナナミと幼馴染くんを守りたいって必死になってるんだと思うよ」
「そっか……ナナミとジョウイを……」

そうか、と言いつつもユウリの顔に笑みは浮かばなかった。
予想外のことを言われたわけではないから、心配する必要がない。むしろ安心すべきことだ。なのに。

―――ユウリ、約束する。

ナナミとジョウイが生きていると知り、もう一人の自分が彼らと歩んでいると知った。
そんな彼に自分は伝えた。どうか2人を守って、と。
自分の言葉に対し、彼は眠りに落ちる寸前に約束する、と言ったのだ。

―――僕は2人を守りたい。守るよ。

さらに翌日。自分たちそれぞれにしか守れないものがあると確認した僕らは、デュナンの丘で風に吹かれながら言葉を交わした。
自分の「叶えて」の言葉に、彼は「守る」と涙を一粒落とした。

「守る守るって、繰り返されれば繰り返されるほどに不安になる……」

ユウリの呟きに、ラウがやんわりと笑う。

「それだけ、君にとっても彼にとっても大切なことだからだろう?」

大切なものを思えば思うほど不安になるよね、とラウは静かに続けた。
そうだ。ユウリは大切なことだからこそ言葉にして僕に伝えた。ユウリは元の世界に帰って2人を守るんだ。当たり前のことを当たり前にできる生活に戻る。
それだけのことが、どうしてこんなに不安を呼び寄せる。それもやはり、僕にとっても大切なことだから。そうなんだろう、けれども。
ぐるぐる考えていて、ふと思う。

「僕は……。ひょっとしてユウリに自分の理想を押し付けてないかな」

僕が掴めなかった未来。だから、是が非でも大切にしろと。そんな風には思わなかっただろうか。

「なぜ。僕はそんな風に思えないけど」
「それこそ、なんでそう思うの」

ラウは怪訝そうに伺うユウリと目が合うと、にこりと笑った。

「君はユウリに幸せを掴んで欲しいだけだよ」

そう言われて、頭の中が真っ白になった。

「ナナミと幼馴染くんと共に生きている彼だからこそ選べる道がある。君には、彼の幸せがそこにあると思うんだろう?」

うん、と言葉にせず心の中で応えた。
自分が幸せじゃないだなんて思わない。けれど、ナナミとジョウイと生きて歩むことができる彼がいて良かったと思った。この幸せを掴む彼がいて良かったと。

「ユウリ」

ラウが手の平を差し出すので、ユウリは大人しく自分の手を重ねた。
そして軽く引かれるまま、ラウの肩口へ頭を寄せた。そこにまるで待ってたかのようにラウの頭が傾けられてくる。こつんと頭の一部分同士が触れ、温度なんてほとんどわからないのに少し安心する。

「ごめん。やっぱり……まだ不安」
「大丈夫。彼も君だよ。信じようじゃないか」

だからこそ当てにはならないとは思わないわけ?ユウリが苦笑すると、ラウは繋いだままの手を軽く握った。

「君だからこそ。心配はすれど、信じているよ」
「何を信じるの?きっと大丈夫ってことを?」
「いや。彼が満足する答えを導き出すことをね」

ユウリの満足する答え。自分だってそうあって欲しいと思う。でも。

「……僕は」

ユウリは頭を上げてラウを見つめた。

「僕は、―――怖い。誰かにとって満足する答えは、必ずしも僕にとって満足する答えじゃない。……そのことをとても怖いと思ってる」

ラウの空いている腕がユウリの肩をそっと包んだ。

「そうだね。うん、その気持ちは僕もよくわかる。でも、僕らが満足する答えを他人に求めるのは間違っているだろう?」

それは、自分に思いもつかない答えをユウリが導き出すかもしれないということを指している。
ユウリは軽く唇を噛みしめ、瞼を下ろした。そしてラウの背に同じように空いている腕をまわし、きゅうと抱きしめ返す。
うん、という言葉は消えるようだったがラウの耳には届き、返事の代わりに肩に置かれていた指がトンと跳ねた。
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