色の変わり始めた葉のサワサワと擦れ合う音が、何故か不穏な音のように耳に届いた。
顔を上げれば、空は水色で清々しい陽気なのに。もやもやを吹き飛ばすように空に向けて息を吐き出した。

廊下の窓枠から手を離し、歩き出そうとして通路の先で目線が止まった。目立ちはしないけれど、最近他の場所でも見たことがある包み。それは窓辺のカーテンの影だったり、棚の上だったり、部屋の隅だったり。そして、今回は廊下の曲がり角に置かれた調度品の影にあった。
僕は近寄り、手に取って開けてみることにした。

「?」

巾着状の簡易な袋状の包みの中には、小刀、紐やオイル、火付け石、大きめの布地や革袋などが詰め込まれていた。
所謂旅の必需品といったところか。でも、城内で使うものではない気がする。

「そんなところで何してるの?」
「ユウリ。あ、いやー」

通りがかりの王様に声をかけられたと表現すると何だか凄いが、そもそも僕の行動範囲が彼らと同じということが普通ではないのだろう。つくづくなんてのんびりしたお城だ。
ユウリは僕の手元を覗き込み、「ああ」と納得した様子。

「それ、何かの時には皆が持っていけるようにって常備品として色んなところに置きだしたんだよ。シュウが言いだしっぺなんだけどね」
「何かの時?」
「ほら、前にハルモニア神聖国云々の話が出たじゃない。あっちゃ困るけど、逃げなくちゃいけないようなことになった時とか。それ以外にも、災害にあった時なんかの援助物資にもね。置き場所に関してはもうちょっと考える予定みたいだけどね、今のままだと雑然とした感があるし。その内、日持ちする食糧や薬なんかも入れたいって話になってる」
「へえ、シュウらしいなあ」

 あ、とユウリが声を上げた。

「シュウらしいで思いだした。その腰の剣。こっちの世界に来てからまだメンテナンス出してないんじゃなかった?」
「え、うん。そう。なんで?」
「シュウがメンテナンスに出しておくようにってさ」

シュウってば本当は僕のお母さんだったりしないか。あ、本人に言ったら本気で怒られそうだ、せめてお兄さんと言うべきか。

「シュウは僕に対しても君に対してもどこまでも保護者だよね。心配ばっかしてる」

保護者。そうそう、これだな。
口煩いところもあるけど結局は人が好いんだ、とユウリは笑いながら小刀を取り出して、くるりくるりと回しだした。

「……危ないよ」
「刃はしまってるって」
「見ればわかるよ。ほら、袋の中にしまうからこっちに……」
「あ」

小刀はユウリの手を滑り出して、綺麗な放物線を描いて外にすっ飛んで行った。
この廊下の外は、広い庭の内でも若干奥まっており木の多い場所にあたる。そんな場所をふらふら歩いている人はおそらくいないだろう。けど。
僕は感情を極力抑え込んで、にこりと微笑んだ。

「ねえ……?」
「ごめんごめんって!ちゃんと探すから」

当然だ。
シュウ、お宅の王様危機管理なってませんよ。




庭の奥まで進み、ユウリは難なく木の根近くから小刀を見つけだした。

「ハイ、ごめん」
「いや……どうも」

あまりにすんなりと見つけてしまったことに釈然としない思いを抱えながら、受け取る。
手にした小刀に木の隙間から射しこんだ光が反射して、眩しさに目を逸らした。

その白い光に連想した。ユウリの宿す、始まりの紋章の力の片鱗を。ハルモニアとの国境近くの森の中、小さな落とし穴から見上げた空を一瞬にして白に変えた、限界まで研ぎ澄まされた剣のような容赦のない力。
こんなこと思い出すなんて、僕には力が足りないと無意識の内に感じているのだろうか。

……いや。
あの力を手に入れたいとは思わない。力は正直欲しい。ジョウイやナナミに振りかかる災厄を振り払えるように。しかし、ないものねだりをするつもりはない。僕は鍛練を積むことで身に付けられる力を欲っしている。不完全な形であるといわれる輝く盾の紋章の力でさえ、僕には過ぎた力だと感じるのだから。

目を閉じていると、葉の擦れ合う乾いた音が随分と近くて大きく聞こえた。
まるで森の中にいるみたいだ。

「ユウリどうかした?」

そっと目を開けて首を振る。

「ううん。よく簡単に見つけられたなぁって思っただけ」
「なんだかんだここに住んで長いからね。大体の目途は最初からついてたよ」

この城に初めて来たときから計算すると10年が経っているということになる。そういうものかもしれない。
もう8年以上も前、たった1年ちょっといただけの僕とはユウリは違う。

ザザザ、と木のざわめく音。
まだ陽は高いのに、妙に暗い場所に感じさせる。
いつのまにか同じように木を仰ぎ見ていたユウリが話しだした。

「ここは森っていうほどの規模じゃないけど」
「……ん?」
「思い出すなぁ。昔、ルードの森で迷子になったことがあったんだけどね」

ルードの森で迷子。なんてことだ。そんなことまで同じ体験をしているなんて思わなかった。
僕が目を丸くしていることに、ユウリが何だと目を丸くする。

「僕も。僕も、ルードの森で迷子になってる。ナナミとジョウイと一緒に遊びに行って、そこで僕だけが迷子になったんだ」
「すごい、何それ!一緒、いっしょ!」

同じユウリである以上、重なった経験も数多くあるのだろうとは思っていたが迷子経験まで同じとは。
僕が4歳くらいの頃のことだ。普段は森の入口辺りでしか遊ばないし、奥には行くなってゲンカクじいちゃんから口酸っぱく言われていたのに、まぁ、その日は魔がさしたのだ。
ナナミが「ちょっとくらい平気だって!少し行ったところに小っさな池があって、ピンクのお花が咲いてるんだって。行って、じいちゃんにおみやげに渡そうよ」と言ったのが発端だった。僕もジョウイも一応一度は止めたものの、結局好奇心に負けて三人連れだって行くことになった。

「どこまで行ったのかは覚えてないんだけど。気が付いたら森の中でひとりになってたんだよね」
「そうそう。いつのまにか日も暮れかけていて」

あとから聞いた話だが、ジョウイとナナミもいつ僕がいなくなったのかわからなくて、気付いた途端に怖くなってキャロの街にとんで帰ったという。
結局、暗くなった森の中で泣いている僕をじいちゃんが無事見つけ、家で僕ら3人まとめて叱られることになったのだけど。
それからだ、僕らがどこかに行くときは目印を付けて歩いたり、集合場所を決めるようになったのは。

そうか。3人で旅に出て割とすぐに、万が一別れてしまったときの集合場所を決めたのはこれがルーツだったのかな。
そういえば、僕とジョウイが昔ハイランド兵に追われて滝に飛び込んだ時にも、再開の約束と印を残した。
僕らは別れを知らず知らずのうちに怖いものと認識していたのかもしれない。

「あんまり細かくは覚えてないけど怖かったってことはよく覚えている」

ユウリの声に頷き返した。
僕もとても怖かったことを覚えている。そして、悲しかったことを。
置いていかれたのだと知ったときの絶望に近い感情。胸が押しつぶされるような感覚。

思えば、僕はいつもジョウイとナナミに置いていかれる。
ルードの森でも、戦争中でも、いつだって。

ぞくり、とした。

「寒い?そろそろ戻ろっか」

僕が思わず腕を擦ったのを見て、ユウリはそう言って踵を返した。
そういう意味ではなかったが、確かに木々の間の空気はひんやりとしていた。夏場はテラスで食事をとることも多かったが、もう季節は秋を迎えてしばらく経っており、屋内で食事することが多くなっている。キャロの街ほどではないにしろ、北方に位置するデュナン城。もう少ししたら初霜が下りる時期だ。

黄や赤に染まる落ち葉を踏みしめながら考える。
今回の場合は僕が2人を置いていったと思われているのかな。
紅葉した葉のような夕焼け空の下でミューズの市壁を背に、ジョウイの帰りを待っていた時に聞いた話を思い出した。ナナミは「内緒だよ」と前置きをして。ルードの森で僕が迷子になったとき、ジョウイは泣いていたって話してくれた。

ジョウイはここ数年で笑顔が増えた。
旅をはじめてしばらくは笑顔が少なく、僕とナナミはただ彼に寄り添うようにして時を共にした。僕らはきっと、必死だった。焦っても何も良くはならない、けれど、僕らがまた一緒にいられるようになるためには、共に過ごす時間が必要だったのだと思う。必死に、寄り添った。少し病的だったかもしれない。でもこれくらいしか僕らには考えつかなかった。
そしてようやく共にいることが当たり前に思えるようになった。それに気付いた時は嬉しくて、2人には内緒だけれど夜中にこっそり泣いた。
3人で旅を始めた時はやはり不安もあったのだ。何もなかった頃のようには戻れないだろう。でも一緒にいたくて、また一緒に笑いたくて。僕らの時間を築きたくて。それを8年かけてゆっくりと積み上げた。
僕はジョウイが笑うと心の底から嬉しくなる。ナナミが笑うと気持ちが安らぐ。この笑顔を守るためだったら何でもできる気がするのだ。

僕は必ず帰るよ。
だから、どうか。泣かないで。
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