ラウは僕の言うことにじっと耳を傾けていたが、やがて静かに口を開いた。

「君だって優しい。……僕は何度同じことを言ったらいいんだろうね」

そのラウの言葉からは僅かな苛立ちを感じた。
そして彼は言わなかったけれど、たぶん気付いていてわざと言わなかった。
僕の答えは、ジョウイが剣を持つのが嫌だと言うことと、棍を持ったことが嬉しいということの、真の理由にはなっていない。

ラウは僕のことを優しいと言ってくれる。でも。

「……僕のはね、わがままなんだ。ジョウイに剣を持って欲しくないって、それだけ」

それを聞いて、ラウの目が何故か心配げに細められる。
僕は勘違いしてたのかな、と不思議そうに呟いて続けた。

「君は何がそんなに不安なんだろう。彼が剣を選ぼうと棍を選ぼうと、3人で助け合うことに変わりはないだろうし、心配するとすれば君が2人を守りきれるかどうかということではないの?」

あれっ、と思う。

僕が大事にしたいのはジョウイとナナミのことだ。だから、ラウの言ったように僕が心配に思うのはジョウイやナナミを守れるかどうかなのだ。
ということは、ジョウイが剣を持つことで昔のことを思い出してしまうとしても、こんなに拘る理由などない。はずなのに。
現に僕はラウに指摘されるくらいに拘り、何がそんなに不安なのかと問われている。
そして、僕もまた確かに不安を感じていた。

「ほんとだ……。なんでだろう……」

カラン、とグラスの中に残った氷が崩れて音が鳴る。その涼しげな音がやけに耳に残った。




ノックのあと返事も待たずに部屋の扉が開き、この城の主が入ってくる。

「差し入れ持ってきたよ。というか、僕の夜食に付き合って」

手に持っていた書状を小さな備え付けの机に置くと、僕の返事も待たずに空いている椅子に座った。
そして、肘にかけていた籐の籠を僕へ渡してくる。受け取って覗くと、中には飲みかけのワインボトルとグラスが2個、軽食やつまみなどが入っていた。どうやら仕事の後で台所へ寄ってすぐに持ってこれるものを集めてもらい、そのまま僕の部屋に来たのだろう。
集めてもらったそれらは、広げると小さなテーブルがいっぱいになった。
しかし心配することなかれ、僕らは腹が減っていた。ワインもこの量で酔ったことなどない。ユウリもボトルの中身を確認すると「足りないね」と言った。そして部屋の中を見渡すと、ワインボトルを見つけて取りに行く。交易の手伝い等で僅かながらお給料をもらうようになったので、最近はこんな嗜好品に手を出すなんて贅沢もしてみていた。その一品を見つけ出すなんて、我ながら目ざとい。


ユウリが空のグラスを差し出してくるので、僕はコルクを抜いてワインを注いでやった。さりげない人の使い方のうまさは、やっぱり職業から来るものだろうか。そんな僕の考えなどお構いなしに、ユウリはつまみを手にワインを飲み始める。僕も自分でワインをグラスに注ぐと早速口にした。
飲みやすいワインだったので水のようにかぷかぷ飲みながら、空腹に任せて一気に食べきってしまう。
お腹が落ち着いたところで、ユウリが話をしだした。

「ラウから聞いたよ。何か悩んでる?」
「悩んでるっていうか……。なんか無性に不安になってきたというか」

相変わらずの速さで話が伝わっている。僕もそれを理解して話しているので、そんなに驚かなくはなった。

「不安ねえ。2人を向こうに残してきたことが?うーん、まぁそれは……。でも、ジョウイもナナミも強いでしょ」
「ああ、うん。そのことについては心配してない。って言ったらウソだけど、でもそんなに心配してないのは本当」
「じゃあ、何」
「それがわからない」

なんだろう、と2人して首を捻る。

ユウリは椅子から立ち上がり、机の上に置き去りにしていた書状を手に取った。
目安箱というシステムは今でも利用されているようで、毎日のように国王の元に手紙が届けられる。もっとも昔のように全てに目を通すというわけにはいかないようで、抜粋されて届けられておりユウリはそれについて少し残念に思っている節があった。それでも国民の声には間違いなく、今日も麻の紐を解き、目を通していく。
紙を送る手が少し止まり、「僕なら」と言った。

「心配なのは、またジョウイとナナミが無茶しないかってことくらいかな」

それは再開後、旅を開始してすぐに僕も思ったことだった。

「それは僕も。だから旅に出る最初に嫌味なくらいに言った。それで2人とももうあんなことしないって約束を……」

約束をした。

「約束を?」
「うん、約束した……。ちゃんと、2人ともわかってるって。ゴメンって」

これからはずっとずっと一緒だよ、と涙を流しながら笑って言ったのはナナミ。
ジョウイはひたすら謝って謝って、最後にありがとうと言った。
そして僕らは3人で旅を始めた。

でも、そんな口約束。

「……わかった」
「?」
「何が不安だったか、わかった。ジョウイたちが約束を守ってくれるかどうかだ」

厳密に言えば、ジョウイが、だ。
ジョウイは優しいから、もう剣を握ってほしくない。あの気持ちも正しかった。そう、彼は優しいから、また勝手に剣を手にして僕らを残して先に進んで行ってしまうのではないか。心のどこかでそんな風に思っていたかもしれない。
僕とナナミを守ろうと、ひとりで茨の道を歩こうとしたあの時のように。

これが不安の理由か。

「うん。わからなくはない。でも僕も言っといてあれだけど、それって考えたところでどうしようもないよね」

そんな僕の不安を、ユウリはすっぱりと切って捨てた。

「だってさ、君が悩んでどうこうなるものじゃないでしょ。2人が約束してくれたなら、それを信じるしかないんじゃないの?約束を守ってくれるかどうかを考えてもしょうがないよ」
「それはそうだけど」
「それでも不安なら、守ってくれなかったときのことを考えてみる?」

えっ。
守ってくれなかったときのこと、つまりは最悪のケースを考えておけってことか。そんな発想はなかった。
でも、守ってくれなかった後のことを考えるなんてそれこそ意味がないんじゃないだろうか。というか、それで僕の不安が拭えるとは思えない。まったくもって意味がない。

「ほら。意味ないって顔してる。意味ないでしょ?守ってもらうことに意味があるんだよ。んー……口を酸っぱくして繰り返し言い続けるとか?」
「それは……逆に怖いような気がする。何度も何度もその可能性についてわざと知らしめる行為な気がして」
「それもそうか」

約束を守ってもらうために僕ができること。僕にできることって何だ。
ふとユウリがこちらをじっと見ているのに気付き顔を向けると、目が合った途端にさりげなく目線を逸らされた。

「あのさ。僕が言うのもなんだけど。僕らにできることなんて、限られてるよ」

手にある目安箱に投書された紙束にほんの少し力が込められる。
ユウリが一番実感しているのだろう。真の紋章の力を手に入れ、国王となった今も、できないことは山積みなのだと。
ましてや僕らユウリ個人にできることなんてきっとたかが知れている。
それでもどうしても貫き通したい想いがあるのなら。

「……結局は何を優先するか、じゃないのかな」

シュウにも言われたことだ。
大切なものを守るためには何かを後回しにするか切り捨てる必要があることもある。そして、後悔しても掴むくらいの気概がないと本当に大切なものは掴めないと。
後悔しないために掴むのに、と聞いた時は思ったが、あとから考えれば実に的を得ていた。後悔しないようにと望んだところで、ダメなときはダメなのだ。だからこそ精いっぱい一つのことに立ち向かわなければならないのだろう。それこそ、後悔しないように。

優先すべきはジョウイとナナミ。これはもう揺らぎないのだ。わかりすぎるくらいに、わかっている。

しかし。ユウリはさらに続けた。それは当たり前のことで、でも僕がわかっていなかったこと。

「そして、優先すべきもののために自分は何ができるのか考え、実行に移す」
「―――――。……は、」

ああ、と思った。
僕が次に考えるべきことは、これだったのか。

約束を守ってもらえるかどうかなんて不安になってる場合じゃない。
剣をジョウイから遠ざけるなんておまじないみたいなことをするんじゃない。
約束を守ってくれなかった後のことを考えるのでも勿論ない。
そしてただ信じるだけでもなく。
僕は何ができるのかを考えるんだ。
僕が優先すべきことのために。

どくん、と鼓動が跳ねる。
と、同時に胸の奥がひやりと冷えた。
この感覚を知っている。ずっと、ずっと前から。なぜ、いまここで。

僕が優先すべきこと。
ジョウイとナナミ。
彼らに約束を守らせること。
彼らの身を守ること。
三人が一緒にいられるようにすること。

なんだろう、この気持ち悪さは。
間違いないのに、心のどこかがそうではないと否定している。何故だ。

僕は一体何を思っている。
僕の一番の望みは何だ。
優先すべき、何をもってしても譲れないこととは。

身体の奥底に湧いてくる冷たい感覚が、止まない。
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