シュウの言葉通り、僕らは翌日クラウスを含めて再度顔を寄せていた。

「やはり油断がなりませんね、ハルモニア神聖国は」

クラウスが僕らの話を一通り聞いて頷いた。

「国境付近の警備の強化を手配します。騎士団からも数が割けるか相談してみましょう。間者の数も増やせるといいんですけど……こちらも考えてみます」
「ああ、任せる」

ハルモニア調査に行く前の話し合いでも展開の早さに驚いたが、このまだ初期といえるような情報でさえ、この対応。僕はいつこの席を抜け出そうと思いながら、やっぱり内心驚いていた。

「どうせなら相手の動きを利用できないかな。情報をわざと流すとか」

ラウの言葉に、シュウが頷く。

「そうですね……。偽の情報を織り交ぜればあるいは」

たったあれだけの情報から次々と提案がなされていく。僕は圧倒されるのみで相槌すら打てない。

「待って」

ユウリの声にシュウたちの目が集まる。

「あのさ、ひょっとしたら抗争なんて起こらないかもしれないんだ。わざと煽るようなことはしたくない」

ドキッとした。本当だ。そんなこと考えなかった。
けれど、そんな考えすら次の瞬間に一蹴されてしまう。

「ユウリ様。口幅ったいことを申し上げるようですが、ハルモニアがこちらの隙を狙っているとは以前からわかっていました。遅かれ早かれ、といったところなのです」
「まったく何を言われるのかと思えば。守るために相手国の不穏を利用する。こんなのは策の基本ですよ」

軍師たちの言葉にまだ何か言いたげなユウリの背に、ラウの手が添えられる。

「少し、僕らの動く時期が早まっただけだよ。むしろ早く手を打つことで、起こりうる事態を最小限にとどめることができるって考えよう」
「ラウ。うん、そうだね。ごめん。今更なこと言った」

僕はそんな彼らのやりとりをじっと眺めていた。

胸がざわつく。
彼らのデュナンを守るための話し合いを聞きながら、僕は昨日のシュウの言葉を思い出していた。
僕の動きだけでなく、周りの、ナナミやジョウイの動きも考え、最短の手段を考える。
ナナミとジョウイを何がなんでも守る覚悟はできているのに。
僕に足りない覚悟ってなんだろう。

「ユウリ、聞いてる?」
「えっ」

気付くと、全員の目線がこちらを向いていた。しまった。なんの話をしていたのかわからない。

「ト、トイレ!!」

思わず立ち上がり、そう申告すると部屋の外に飛び出した。背後から「言わんでいい!」というシュウの叱り声が聞こえた。




昼間であるにもかかわらず、廊下はしんと静まりかえっていた。
心臓の鼓動がうるさい。服の上から胸を押さえると、その動きが手のひらに伝わってくる。
急に走ったからか。
それとも。

窓の外の景色に目を細める。真昼の白い陽光。
頭のどこかに、ユウリの放ったあの白い刃が焼き付いて離れなかった。彼の姿を目にしたときや、ふとした瞬間に頭を過る。
昨夜のシュウの言葉。
さっきのラウの、起こりうる事態を最小限にとどめるという言葉。

胸の中に少しずつ少しずつ何かが溜まっていく、そんな感覚。

手のひらの下に感じる体温は温かいのに、心の奥はひやりと冷たさを覚えた。
ああ。外に出て陽の光を浴びたい。




それから僕は会議室に戻らず、庭園へと出ていた。
今の僕に必要なのは、難しい政治的な話し合いよりも、外の空気に触れて陽の光を浴びることだ。
ナルシーたちがよくお茶に興じていた庭は、花や緑に埋め尽くされ一層美しくなっていた。
僕は新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みながら歩みを進める。庭をぐるりと高くはない壁が取り囲んでおり、そこに僕は飛び乗った。腰かけたまま後ろに倒れても、まだ落ちることはない程度の幅がある。
冬は冷たい石造りのそこは、今は太陽の光でほどよく温まっている。背中がじんわりとする。

「まあ、ユウリ様?お昼寝にしては少々危険な場所ではありませんか?」

冗談めかす言葉の中に、僕を心配する声色が混じっていた。
僕はむくりと起き上がり、声をかけてくれた相手に会釈をする。彼女とこんな場所で会えるとは。

「テレーズさん。すみません、驚かせましたか。というか、僕も驚きました。あの、まだ滞在してらっしゃるとは思わなくて」
「はい。当初はもう帰っている予定だったのですが。ユウリ様たちがお城を少し空けたとのことで、帰ってこられるまで出来れば滞在していて欲しいと頼まれたものですから」

僕らが調査に出たとか国境近くに行ったとか、そういった表現をさりげなく避けている。いくら城中であるとはいえ、不用意な発言はできないということだろう。
また、テレーズがグリンヒルをこれだけ長期間に渡って留守にするなど、きっと今までになかったに違いない。僕らの調査は予定外の動きだったに違いないが、それに対応することができたことに驚く。仕事が山積みであろう彼女がのんびりと城に滞在することなど普通はありえない。何か、彼女は近々大きな仕事を任されるのかもしれない。

「……見透かされているみたいな気持ちになります」
「え。あっ」

思わずじっと見つめてしまっていた。慌てて目をそらす。
テレーズは風に遊ばれて頬に落ちてきた髪を耳にかけながら、笑った。

「またお会いできて嬉しいです。あさってにはこちらを後にする予定ですので」
「そうだったんですか。なんだかすごいタイミングでお会いできていますね」
「ええ。本当に」

そう言ったあと、今度は彼女が僕を見つめてきた。ただ静かに。
しかし僕は女性に見つめられるというシチュエーションにまったく慣れていない。気恥ずかしくなり、どうしたのかと尋ねたが、それに対する答えは返ってこなかった。

「……貴方は何かを聞いてらしたのでしょうか」
「は」

何かとは。あまりに漠然とした問いだ。

「いえ。……そんなわけがありませんね。すみません」

正直すっきりはしないが、彼女がいいというのならそれで良い。僕はこくりと頷き返した。
テレーズはそんな僕の反応にくすりと笑みを漏らした。

「貴方は不思議な方ですね。すべて知っていらっしゃるようにも何もご存じでないようにも思えます」
「なんですか、それは?」

僕もテレーズにつられて笑う。彼女はより一層笑みを深くし、そうして人差し指を自分の唇にあてた。お願いがありますと言う。

「今から私は独り言を言います。貴方はきっとわけがわからないでしょうけど、聞いていただけますか。そして、私と貴方の秘密にしていただけませんか。陛下たちにも、どうぞ」
「……はい」

ユウリたちには言いたくない、僕には言えること。関係者には知られたくないということは、愚痴かなにかだろうか。僕でよければという気持ちを込めて、了承した。
けれど、彼女の話したことは本当にわけがわからないことで、何を秘密にするべきなのかすら僕にはわからなかった。

「以前、グリンヒルでお会いしたとき。貴方が私に尋ねてくださったことは、その後の私の迷いを一瞬で断ち切るものになりました。貴方にそのような意思はなかったのでしょう。それでも、私はあのとき私自身を改めて知り、だからこそ強い気持ちでこれからに立ち向かうことができます。必要とされている、それだけを信じて前に進みます」

僕は相槌すら返せず、ただ彼女の前に立っていた。
テレーズは最後に「ありがとうございます」と言って、微笑んだ。
その笑みは無邪気でも、ただあたたかさを感じさせるものでもなく。
かつてテレーズがグリンヒル市民の前に立ったときを思い出させる、凛とした美しさがあった。
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