「ほう、無傷か。ユウリ、お前が落とし穴にはまって手首を捻挫したことと、腰と背中を痛めたことを外せば、確かに無傷だな」
「そ、そんなに嫌味に並べたてなくても……」
僕らはデュナンに戻るとまずシュウの元へ報告に向かった。
すべての報告を黙って聞いていたシュウの発した最初の言葉が、これだった。
隣でユウリとラウが肩を揺らして笑う。
「ほんとにねー。ある意味僕は満身創痍の気分だよ」
「それは僕の科白だなぁユウリ?君らの無茶ぶりに僕は肝を冷やしたよ」
「あー、それはごめん。でも別に無茶はしてないよ、僕は」
僕は、って自分だけ逃げるか。悪いのは僕ですけど。
事の顛末はこうだ。
僕らは予定通りに翌朝に村を出発し、ふたたび森の中を進み始めた。
ところがその途中で、見覚えのある男が僕らの行く手を遮った。昨夜酒場で僕に声をかけてきた商人だ。僕に何か用かと尋ねると、男はにやりと笑って「お前にじゃねぇ、お前の手にあるものに用がある。いや、お前ら、か」と言ったのだった。
強盗まがいの商人……いや逆か、商人まがいの強盗だったらしい。上品さがないのはわかっていたが恐喝とは下品極まりない。
紋章をよこせとのたまう男に、勿論応じることなどできず。そもそも紋章師がいないのにどうする気だと問えば、近くの街まで同行するよう言ってきた。どこまでもお粗末な話で、僕らはいっそ脱力感から座り込んでしまいそうになるのを必死に堪えていた。
サシで話そうじゃないかと語りかけてきた相手に、ラウが若干面倒くさそうに「行ってくるよ」と男の元に向かおうとしたが、僕が役目を変わる旨を伝えた。この面子で誰かひとりというなら、僕しかいない。そもそもの原因は僕なのだし。
男の持っている武器といえば護身用らしき剣が腰にあるのみで、とても訓練されている身体には見えない。身体は大きいが、とっくみあいになっても僕が勝つ自信があった。一応相手を油断させるために、自分の剣をユウリへ預けた。ラウは少し考えたあと、小さく頷いてユウリの傍に寄った。たぶん、僕と同じようなことを考えていたのだろう。ユウリには「ちゃっちゃと帰ってきなよ」と笑われて僕は送りだされたのだった。
男との距離は10メートルほど。周囲に他の人間がいる気配もなく、本当に僕らをただの若者集団と思っているのだろうと思う。
しばらく動けない程度のダメージを入れさせてもらってサヨナラするつもりだった。
なのに、男までもう1、2メートルという時点で。
男の口の端がにぃっと持ちあがった。ヨシヨシと言わんばかりの。
僕はようやく気持ち悪さを感じた。そうだ、いくらこっちが所謂若造の集団であろうと、こちらのほうが人数がいるのだ。ここは一旦下がるべきかと思ったところ。
「あ?」
文字通り地面が抜け落ちた。まさかの落とし穴。足元なんてノーマークだった。
ああ、だからやけに男の服が汚れていたんだ。身綺麗なタイプには見えなかったからあまり気にならなかった。って失礼な。
なんてのんきなこと考えてる場合じゃない。
あまり広くはない穴の中で大した受け身を取ることも叶わず、慌てて上を見上げた。ちらりと男の手にした札らしきものが見えた。
待て待て待て。なんの札だ。ええっと。
ユウリ、と僕の名を呼ぶ声と、止めるようなラウの声が遠くに聞こえた気がした。
次の瞬間。見上げた小さな空を、白い光が遮った。
鋭く、刃のような。容赦のない、光。
「……ひとまずはわかりました。ご報告感謝致します。いろいろと交わしたい議論もありますが明日にでも仕切り直しましょう。クラウスも明日には所用から戻ります。旅の埃を落としてお休みください。ラウ殿は申し訳ありませんが、そこのを一緒に連れてってくださると助かります」
は?そこのって僕?とユウリが抗議するが、ラウも心得たもので、仰せの通りにとユウリの襟首を引っ張って、扉に向かった。まだ佇んでいた僕に小さく振り向きながら「お先に」と言って、部屋を後にした。
「で?お前はなにか言いたそうだな」
ラウたちが外に出ていっても続こうとしない僕を見て、シュウが声をかけてきた。
「あの。……ごめんなさい」
「何か謝るようなことをしたのか」
「……ユウリの、力を使わせたこと。僕を助けるためにあんな場所で使っちゃって。僕の短慮が招いたことです。もう終わったことだし、謝ってすむことでもないけど、ごめんなさい」
パタンと開かれていた本が閉じられる。シュウがこちらを向き近づいてきた。シュウは背が高いので、僕が10数センチ伸びたところで見上げる形になってしまう。
「……お前は他人のことなら保険をかけて行動できるのに自分はおざなりだな。それとも自分の力に過信しているのか?」
僕は目線を落とすしかなかった。
「言ってやろう。たとえば、お前と武術大会で戦ったら、百パーセント俺が負けるだろう。しかし、時間と場所を選ばないというなら百パーセント俺が勝つと確信できる。わかるか。お前はまだまだ未熟だということが」
間をおかず頷く僕を見て、シュウも軽く相槌を打つ。
「ああ、お前はわかってるんだろう。だから、お前の問題点はどちらかと言えばこっちじゃない」
シュウは小さく息を吐いてから言葉を続けた。
「お前はもう少し自分を大事にしろ。ユウリやラウ殿だけがお前のことを気遣ってるわけじゃない。そんなことはもうとっくにわかっているものだと思ったのだがな」
わかってるよ。皆が僕のことを気にかけてくれてること。僕の周りは優しい人ばかりだ。
だからこそ。
「シュウ。やっぱり僕はここにいちゃいけないんだ」
「ユウリ」
「僕がいる限り、何がなんでもユウリは僕を守ろうとする。僕が元の世界に戻ってナナミとジョウイを守れるように、僕を生かそうとする。でもそれじゃダメだ。ユウリにはすべきことがある。この国がある。僕が優先されちゃだめだ。僕が彼の、……デュナンの足かせになるなんて」
「ユウリ」
語気が強まり、僕はびくりと身を竦ませた。
「お前は本当に……」
一度言葉を切り、呆れたような表情を浮かべて肩を落とす。
「お前がいる限り、お前を守ろうとする?それがどうした」
「は、へっ?」
「まぬけ面するな」
とどめにぴしっと額を弾かれて、これで僕は完全に勢いを削がれてしまった。
「お前自身、感覚で生きているところが多いくせに、他人のすべての行動に理由をつけようとするな。お前を守りたい理由なんてあったとして人それぞれで、それこそお前の関与できる部分じゃないだろう。自惚れるなよ」
なんて説得力。
「……とは言え。確かにユウリはお前の言うとおり、幼馴染を守ってほしいという気持ちが強いのかもしれんが。それすらアイツの願いであって、純粋にお前のためとは言い難いな」
お前たちは揃いも揃って、と続けた。
「守りたいものばかり増やしてどうする。それ以前にまず自分を守ることから始めろ」
その通りだ。
自分自身を守らなきゃ、他人を守ることなんてできない。
「あと。自分のことを足かせだとか、そういう風に言うのはもうやめろ。そう思っている人間は少なくともここにはいないし、そう思われていると知れば……クラウスあたりは悲しむだろう」
「……うん、ごめん」
素直に反省する。
しかし。なんだろうこの既視感。シュウと最近こんな会話をしたような気がする、いや、ずっと昔だったか。
「……こんな会話を最近にもした気がするな。いや、昔の話か……?」
なんと。同じことを考えていた。
びっくりしてシュウを見ると、僕の様子に察したらしい。瞬きをひとつする。
そして、ふ、と笑った。
「話したのがお前にかアイツにかわからん。どっちにしろしょうがないやつだな、お前は」
「教えがいがあるね」
「馬鹿言え。俺はそろそろ隠居したいんだ」
口は悪いけれど、シュウの「しょうがない」には愛を感じる。僕はきっとそうやって昔も今も彼に教えてもらっているのだ。だから僕は貴方に甘えてしまうのかな。
短い笑顔をおさめたシュウが、再び口を開く。
「ユウリ。守りたいものがあるなら、ひとつのことだけじゃなく全体を見ろ。各々の位置を適切な場所に導くことが必要だ。そのためにもよく見てよく考えろ。お前だけが動くんじゃない、それぞれの予想される動きも含めるんだ。いいか、すべてが丸く収まるなんて考えるな。そんなことは不可能に近い。実現に一番最短と思われる手段を選べ。自分自身のことなら遠回りも結構だが、どうしたって他人を巻き込むなら覚悟を決めろ。大切なものを守るためには何かを後回しにするか切り捨てる必要があることは、お前もよくわかっているだろう?……後悔しても掴むくらいの気概がないと、本当に大切なものは掴めんぞ」
シュウの言ったことは、僕があの戦争で学んだことだ。それでもその学びは、戦争という平時とは違う場合に当てはまると思っていたかった。
今なら、すべてをうまいこと折り合いをつけながら掴んでいけるんじゃないか、そんな甘い考えが全くなかったわけじゃない。
シュウには守りたいものばかりを増やしてどうすると言われたが、僕は大切なものが増えている実感はあるが、守りたいものが増えている実感はない。僕が守りたいものは、昔も今もジョウイとナナミだ。
2人なら、守れると。
そう思っていたのだ。
それは間違っているのだろうか。
シュウが「しかし」と続けた。ああ、まだ話しの途中だった。
「そんな話をしておきながらなんだが、元の世界に戻るための良い情報は集まってない。悪いな」
「……シュ、ウ〜!」
勢いよくシュウに体当たりして、力いっぱい抱きしめる。「ぐえっ」とかカエルを潰したような声が聞こえたが、そんなのは無視だ。僕は今シュウを思いっきり抱きしめたい気分なんだ。
「シュウ、大好きだ!鬼軍師なところも独り身のくせに保護者みたいなところも気苦労症なところも胃痛持ちなところもっ」
「おま、え……!それで褒めてるつもりかっ!」
大体それは全部お前らのせいだろうが!と怒られるが、僕はただただ笑いながら頷いた。
そうだ、シュウが鬼軍師なのも保護者みたいなのも気苦労症で胃痛持ちなのも全部僕らのせいなんだろう。そんなの可愛すぎるじゃないか。って、苦虫をつぶしたような顔がデフォルトなシュウが可愛いとかなんだそれ。
「ああ。あのとき、シュウを軍師にできたことが奇跡みたいだなぁ」
「……バカなことを言うな」
僕の腕が少し緩まったのに気付き、シュウが僕を引きはがす。
そして、シニカルな笑みを浮かべながら言った。
「あのときの奇跡はお前という存在だった。だから俺は軍師になったまでだ」
そう言ってくれる貴方がいたから、僕は軍主になったんだ。
なんだよ、シュウ。鶏が先か卵が先かみたいな話をふたりでしてる。僕らは相思相愛だな?
「そろそろお前も休め。明日はお前も参加するんだぞ」
あれっ、僕もご入り用ですか。と、思ったが腹の中に収めておく。「ウチの金を使ってハイイーストくんだりまで調査に行っておきながら、とんずらする気じゃあるまいな」という言外の意味をくみ取ってのことだ。
神妙に「はい」と返事をして、扉の外へ向かう。振りかえりざまに言った。
「シュウはすごいな。僕のことをわかってる」
「知るか。見たままを言ってるだけだ。もういいから早く部屋へ帰れ」
しっしっと手を振るシュウへ、僕は舌を出してから扉を閉めた。
「……放っておけんだろうが……」
一人になった部屋に響いたシュウのため息混じりの呟きを僕が知るよしもない。