国境付近までの道のりは順調で、僕はすっかり旅を楽しんでいた。なにせ、帰る場所のある旅はお気楽だ。ジョウイやナナミとの旅は目的地があるわけではないからのんびりはしているものの、安定性には欠けており、どこかに緊張感のあるものだったと比べてみて思う。
燕山の峠でさえ現れるモンスターといえば小物ばかりで、ハイイースト県に入ってからも僕らは苦戦することなくほとんどピクニック気分ですすんだ。宿を取りながら、国境付近へと近づいていく。

「驚くくらい順調だね」
「順調に越したことはないけどね。そして情報らしきものも何も得られていない、ね」
「なにか情報もって帰りたいなあ。いや何もなければないに越したことないんだけど……」

何もないってことはない気がするんだよね、とユウリは続けた。
ハルモニアに限って。3人の胸の内は同じだったろう。
ラウが荷物の中から地図を取り出す。戦後、しばらくデュナンに留まって地図を書き上げたテンプルトンが置いていったものだそうな。

「さて、今日の目的地の村までもう少しだと思うんだけど」

ラウの手元に広げられた地図を僕も見る。ユウリは地図を読みなれていないからと覗こうともしない。僕とてこんなに詳しく描かれた地図を見ることはないが、旅のお供である地図の見方くらいは自然習得済みだ。それに何よりテンプルトンの地図は正確でわかりやすい。

「うん。この方向で間違いないし、そろそろ見えても良さそうかな」

そう答えて数分後、ユウリが「あれだ」と指差した先に小さな村が現れた。




「3人部屋が空いてて良かったね」
「簡易ベッドを入れてもらってだけどね。2部屋とるより安く済んだよ」

僕は簡易ベッドでも十分に休めるため、そこに自分の少ない荷物を放り出した。ラウにベッドを替わるよと声をかけられたが断る。この旅費自体すべてデュナンの公費で賄われているのだ。それにラウはデュナン国王であるユウリを守るためにそうは見せないが注意を払っているはずだ。これくらいは僕に任せてほしい。
それにしてはユウリは嬉しそうにベッドの上を転がっていて、思わず人の気も知らないでとため息を吐きたくなる。と、肩に手を置かれて振りかえるとラウが耳元に口を寄せてきて言った。

「いいんだよ。あれはあれで気を使ってのことだってわかってる」
「ラウ」

にこりと微笑まれる。居心地が悪い。
僕にだってわからないわけがない、彼だって僕なのだから。
自分が王であり、守られている自覚もある。そこにさらに例えば僕のような行動を取れば、それはそれで周囲が気を使う。だから、厚意は素直に受け取るほうがいい。
でも、それを他人に知られているというのはなんとも恥ずかしいじゃないか。自分だけに。

「2人して何話してるの?ね、明日はここを拠点に周囲を探ってみるとかどう?」
「……もう復路だよ」

観光旅行じゃあるまいし。僕らは旅をしているという設定なのだから、進まなきゃいけないのだ。
その心の声が聞こえたのか、ラウが付け加えてくれる。

「間者みたくどこかに潜んだりする技術が僕らにあれば探り方も違うだろうけどね。生憎と僕らは普通の人間で、怪しまれないためにはただ通り過ぎるしか術がない。この村は逗留するには向いていないよ」
「あー。やっぱりそう?やっぱりかー」
「なんだ、わかってたの?びっくりした、わかってないのかと思って変な汗が出たよ……」

失礼な、と抗議の声が返ってくる。いや、冗談じゃなく本当に変な汗が出たんだ。

「うーん。もう少し王様業から離れてたかったなー。……なんて贅沢言えないか」
「おや?じゃあ一足早く引退でもして僕と旅に出るかい」
「あはは、そんなことしませんよだ!」

2人の会話に僕はひそかに驚いていた。
王様引退。そういう話題が昇るということは、今までにも同じ話が出たことがあったってことだ。
引退なんて選択があるのか。
考えてみれば当たり前だ。何事にも始まりがあれば終わりがあって、ユウリもいつかは王座を降りる。

「ユウリ?」

どうしたのかと尋ねてくる2人に僕は素直に答える。

「王様の引退なんて考えたことなかった」
「ああ、……そっか。ユウリは僕が王様やってるって数か月前に知ったんだし。もしそんな先のことまで考えてたらそれはそれで驚きだよ」
「それはそうだけど」

国王引退と、その後のまた違う未来があるなんて。

「……もう何をするかとか決めてるの?」
「んん、まだ具体的には」
「僕と旅に出るって話はどこに行ったのかなと問いたい」
「僕に話を合わせるとかいう選択はないのかなと問いたい」
「僕らのことを知らない人との話なら合わせるさ。でも、ユウリ相手に濁すとかなくないかなー」

要するに旅に出る予定ということらしい。
なんとなく彼らから置いてけぼりになりながら、僕は僕でひとり思いにふけっていた。
先のことも彼らは考えている。ユウリが王様を引退した、あとのこと。
すると視線を感じ、顔を上げる。

「え、と。な、何?」

ユウリが僕をじっと見つめていた。そして少し言いにくそうに口を開く。

「……許せない?」
「え?は、何で?」

なにが許せないんだろう。えっと、僕がぼーっとしている間に話題が変わっていただろうか。

「だから。僕が……王様を辞めるって話」
「あ。ああ。あ?何で?僕が君を許せないって?えっ?」

やっとわかったと思ったらやっぱりわからなかった。
首を横に倒す僕に、ユウリはなんでわからないんだと声を大きくした。

「だからさあ!僕は君にデュナンを守るって約束したじゃないか。なのに僕は去ろうとしてるっていうことに、君は腹が立ったりしないの?」

ああ。
なるほど。確かに僕が怒ってもおかしくないのか。

僕とユウリの顔を交互に見ていたラウが声を上げて笑いだした。

「あははは!君はかわいいなあ。なんだい、その納得って顔は」

後ろから抱き締められるっていうか、羽交い絞めにされる。苦しいと苦情を申し立てるが聞き届けられるはずもなかった。
でも本当に納得してしまったんだから仕方がない。単に話の展開に感情がついていってなかっただけかもしれないけれど、怒りを覚えることは不思議となかった。
ユウリはまだ心配そうに眉を下げていたため、僕は手をひらひらと振ってみせた。

「ほんとに怒ってない、の?」
「怒ってないよ。ていうか、驚きが勝ったのかもだけど。君が王様を辞める未来があるなんて思わなかったんだ。失礼な話だけど」
「ううん。でも、僕がデュナンを離れるってことは」
「うん。言われて思ったけど、当然だよね。いつかは辞める日が来るんだもん」
「……」
「デュナンを離れることのできる状態にしておいてくれるってことでしょ?」

デュナンを守るということが、永遠にこの地に留まり続けることであるはずもない。

「それは勿論」
「じゃあ問題ないじゃないか。僕が怒る余地なんてありはしないよ」

心からの気持ちだった。
そもそもデュナンに携わっていない僕がどうのこうの言える立場ではなかったりする。と、面と向かって言うのは憚られる。それはむしろ叱られそうだ。
僕はもう一度にこりと笑ってみせた。

「そ、か……」

ユウリはほんの少し安心したように表情を緩めた。
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