僕は数日後、ユウリやラウたちとともに馬車に揺られていた。しかも荷台に、交易品に埋もれながら。
「久しぶりの仕事に関係ない外出だー」
「こらこら。仕事でしょうが。あんまりはしゃがない」
ユウリはえらくご機嫌で、落ち着きがない。そんな彼の頭をぐいと押さえてラウが注意した。ユウリもラウも普通の格好と言われるような服装をしている。が、ラウのそんな服装は妙に違和感がある。素直な気持ちを伝えたところ、それでいいんだそうな。
「ある意味、僕の姿の方が人目についてて有名なんだよ。昔僕が統一戦争で協力をしていたことも、今もデュナンに出入りしていることもまずまず知られている。ということは、僕だとわかってしまうだけでいろいろとリスクがあるのさ」
ラウはあまり質がいいとは言えない生地のマントを口元まで上げて笑った。頭にはバンダナも巻かれておらず、艶のある髪がわざと無造作に整えられていた。
ユウリは王様になってから、公に顔を出すことは少なくなっているらしい。不老の王ということが少なからず関係しているのだろうから、そこは深く聞かなかった。
それにしても。
「ハルモニアの調査に王様自らってどうなのそれ……」
「ハルモニアとの国境付近の調査だよ。紛れもなくちゃんとデュナン領。内部に入りたいって言ったのにシュウが許してくれないんだもん」
それは僕でも当たり前だと思わざるを得ない。仮にも王様だよ、君。
「旅慣れている上に面の割れていない君が一緒にいるし、たぶん普通の旅人に見えるよ。ちょうど良かった」
「お役に立てて何よりですけど」
僕が誘われたのは、単に自然引きこもりがちな僕を外に連れ出してあげようという親切のほかに、そこそこ腕がたって且つ自由の利く人物というのが他にいなかったという理由もあるのだろう。
ハルモニアには一度だけ寄ったことがある。しかし、それは戦後すぐの混乱に乗じてのことであったし、目的を達成したらとんぼ返りをしたので、ハルモニアに行ったという気はまったくしなかった。そういう意味で、ちょっと不謹慎かもしれないが今回のことは本当は楽しみだったりした。
それに、こんな風に身一つのような旅も久しぶりだ。
荷台の幌の間から外を見る。
城を出てだいぶ経つ。周囲は草原が広がり、もう少ししたら前方に山が臨めるだろう。この馬車はリューベの村までしか行かない。山越えは足で行うしかなく、ハイイースト県に入ったあとは、本当に普通の旅のようにひたすら歩くことになるだろう。今回はお忍びとなるため、護衛や迎えがあっては台無しになってしまう。
「なにかいいものでも見える?」
ずしっと肩の上にユウリが乗りかかってきた。
「重い、重いっ。ていうか危ないから!」
「ええー、僕にそんな風に注意されたくないなー」
「浮かれるのも程々にしときなよ!?」
まったくだ、と後ろからラウがユウリの服の襟を掴んで引っ張ってくれた。
「しかし、君じゃないけど、僕もこういう旅は久しぶりだな」
ラウが暴れるユウリを腕の中に閉じ込めながら笑う。
そういえば僕の世界のラウは、バナーの村で出会う前は世界を放浪していたと言った。きっとこちらのラウもそうだったのだろう。
「でもユウリが一緒じゃ気が気じゃないでしょ」
「あはは、そうだね」
なんだと!?というユウリの叫びを、僕とラウは無視して外の景色を一緒に眺めた。
徐々に小さくなっていく風景。草原を駆け抜ける風の音。懐かしさに、心が揺れた。
***
夢を見た。
それほど昔ではない最近まで繰り広げられていた、義姉と幼馴染との毎日。その中にあったワンシーン。
僕らの朝はごく普通に、顔を洗い、髪を整え、服を着替え、そして朝食を摂ることで始まる。そこにひとつ、忘れてはいけない行動がひとつ追加されるのだけれど。
「えー、まだ用意できてなかったの?」
川から戻ってきたナナミが、座り込んでいる僕とジョウイに向けて口を尖らせて言う。
「ごめん、ナナミ。一人じゃうまく巻けなくって」
「もう終わるよ。待ってて」
僕はジョウイの右手に、細長い布をくるりくるりと包帯の要領で巻きつけていた。あまり伸縮性に富んだ布ではないため力加減が難しい。
「手袋はどうしたの?」
「水で濡らしてしまって、まだ乾いてないんだ」
「ジョウイ、終わり。どう?緩かったりきつかったりしない?」
「ありがとう。ちょうどいいよ」
右手を握ったり開いたりして確かめる。
その隠された右手の甲には「黒き刃の紋章」が宿っている。四六時中紋章が光るわけではなく、普段はうっすらと見える程度でなんの紋章だかハッキリとわからないことの方が多い。けれど、やはりリスクを考えると隠さざるを得ないのだ。危険はジョウイほどでないにしろ、僕も右手の甲を隠すように努めていた。どこに、この平穏な日々が崩される要因が潜んでいるかなんてわからないのだから。
「やれやれねっ」
軽く頬を膨らませるナナミは20代になっても幼く見える。そこにジョウイが苦笑を浮かべてゴメンと再度謝った。
「バレるわけにはいかないからさ」
ヒヤリとした。
その通りだ。だからこそ僕らは毎朝右手を隠すことを忘れない。しかし、それをジョウイに口にされると何故だか僕は心臓が冷たくなる感覚を覚えるのだ。
「そんなのわかってるよ。そうじゃなくて、私が言いたいのはレディを待たせるなってこと!」
ナナミが腰に手をあてて返すと、ジョウイは「レディ……」と呟き返した。
ナナミに追いかけられているジョウイを見て、思う。
ジョウイにとって8年前は決して過去のことではないのだと。僕にとっても、おそらくナナミにとっても、あの時のことは過去にしてしまうにはまだ生々しいもので、とても過ぎたことにはできない出来事だ。それでもきっと、ジョウイとは違う。
たとえ、レックナートに紋章の呪いに打ち勝ったと言われた僕らであろうと。この紋章がある以上、終わりにはできなかった。旅に出た当初、いつかは祠に紋章を封印しにいこうという話をした。けれど、いまはまだその時でないと感じていた。僕らは、祠に封印をしてそれで全て終わった気になってはいけないのだから。
いつか。
いつかは、いつ来るのだろう。
いつか、来るのだろうか。
「ユウリ!何呆けてんの。出発するよー」
「ユウリ。悪いけど、そこの荷物持ってくれるかい」
いつのまにか追いかけっこは終わり、ジョウイとナナミは身支度を整えていた。
僕へ笑顔を向ける2人に、笑顔を返す。さきほど一瞬冷えた心臓はもう温かさを取り戻していた。そしてじわりと幸せが生まれる。そう、僕は確かにこの日々に幸せを感じていた。
守るべきものは、ここにある。
***
意識がふっと浮上した。
同時にうつらうつらとしているユウリとラウが視界に入り、そうだ僕はいまハルモニアとの国境付近へ向かう最中だったと思い出す。
幌の外に広がる空へ目線を移す。
あの時と同じ、青空が広がっている。
ジョウイ、ナナミ。
僕は君たちとの再会に少しでも近づけているだろうか。