帰るための有用な情報が遅々として集まらない中、ラウがそういえばと声を発した。

「すっかり忘れてた。ビッキーは無理でも、もう一人転移術の得意なヤツがいたよね」

しかも居所もわかる。そう言われて、ユウリと同時に声を上げた。

「ルック!!」




僕はフェザーの背に乗って一人トラン共和国へと向かっていた。

「フェザー、ちょっと遠いけどよろしく」

首をぽんぽんと叩くとフェザーがキュウと啼いて少し後ろを向いた。鋭く知性に満ちた瞳が美しく煌めく。
彼はとても賢い。ユウリが僕を伴って近づくと、戸惑うことなくユウリへするのと同じように僕にも頭を擦りつけてきた。僕がユウリであると一目でわかったのだろう。
思い出すと嬉しくて、振り落とされる心配などないのに首に思いきりしがみつく。フェザーが抗議のような声をあげたが僕は聞こえないふりを決め込んだ。

やがてトランの国境が見え、フェザーがゆるやかに下降を始めた。
あらかじめトランへは連絡を入れてもらい、決められたルートを辿る許可を得ていた。その通りにフェザーを誘導する。彼とは言葉は通じないが意思の疎通を図ることができる。フェザーは確実に僕の指示を理解し飛んでいく。
個人的な問題で正規のルートとは異なる入国方法をとることに抵抗はあったが、空からなら地上ルートより遥かに時間を短縮できるうえ久しぶりにフェザーの背に乗せてもらえるという甘い誘惑に逆らうことはできなかった。シュウ曰く正規ルートのほうが手続き多々あり、この世界の住人でない僕に用意する証明書類の発行が面倒だったとのことらしいが。僕にとって一石二鳥な手段であり文句のあろうはずがない。
さて。ラウの教えてくれた魔術師の塔のある島までもう少しだ。
そこにルックがいる。

ただ一抹の不安はある。
出発間際にユウリとラウからそれを聞かされた時に真っ先に思ったのは「やっぱり」だった。
チラっとは考えたのだ。でも、まさかって打ち消していたのに。

「ルックには知らせてないから」

だからどうして知らせないんだ。




「ええと、……こっち?」

空から見下ろした時には塔が見えていたのに、地上からは森が視界を遮って塔が見えなかった。魔術師の塔というだけあって、ひょっとすると簡単には見えないような魔法がかけられているのかもしれない。
フェザーには地上で待機していてもらい、大体の方向の見当をつけて歩き始めた。ま、なんとかなるだろう。

ここってこんなに起伏の激しい地形だったのだろうかと米神に伝い落ちてきた汗を拭いながら道なき道を歩いていく。レックナートとルックの住んでいるという魔術師の塔。何があったって不思議じゃない。僕に出来ることと言ったら歩くことくらいだ。
それに。おそらくだが、レックナートもしくはルックが何者かが島に降り立ったと気付いているはずだ。そのことに対して、彼女たちが決して辿りつけないようにしてしまうか、もしくは様子を伺いに来るかはほとんど賭けだ。
でも僕には根拠のない自信があった。
きっと、ルックは来る。

「!」

ヒュッと涼やかな風が頬を掠めた。その頬に微かな痛みが追って出る。切れたか。しかし。

風の元を視線で辿る。
若葉がふわりと巻き上がり、僅かな土埃が立ったあとに、人が現れた。

知らず、笑みが広がる。
ほら、来た。

「……何者だ。ここに何をしに来た」

色素の薄い茶色の髪は記憶にあるより短い。風が収まるとともにさらりと顔の横に落ちた。
端正な顔立ちはそのままだが、少し背が伸びて、服のせいもあってか中性的だった雰囲気はすっかり消えて男っぽさが感じられる。でも、冷たい眼差しも、声色も、彼だ。変わらない。そんなことに嬉しさを感じるのはきっと僕くらいだろう。
場違いな笑顔で問いかけに応える。

「君に。君に、会いに来た。ルック」

ルックの顔が訝しげに歪み、その一瞬後に驚愕に染まる。口が「あ」の形に開き、息を呑むのがわかった。

「さすがルック」

紋章の力に敏い彼。
僕はわざと右手を挙げてヒラヒラと振って見せた。
彼は僕なんかの説明を聞くより、きっと的確に事実を知ることができている。
そうだよ、僕だ。ルック。




『……逃げてもいいんじゃない』

よく覚えている。ティントで、そう言ってくれたのはルックだった。
あの時、他の同行者がクライブであったことから何かを話す人自体が少なかったのだけれど、それでもその言葉は僕を救った。
こちらのルックは僕の逃亡に同席していない。そもそも、こちらの僕は逃亡していない。
もしも。もしもルックが僕の逃亡の話を聞いたら、どう言うだろう。
おかしくなって小さく笑った。
やっぱり同じように「いいんじゃない」と言うような気がした。
ルックは、ルックだ。
皆がそれぞれに、皆であるように。

「なに笑ってるのさ……」
「うわっ。いたのルック!?」
「勝手に押しかけてきてその科白はなんだ」

ルックの出現に驚き振り返って、ルックのシルエットが変わっていることに気付いた。というか、増えている。足元に、白い影。

「女の子……」

銀髪に青い目の少女がルックのすぐ後ろに立っていた。僕と目が合っても怯える風ではなく、かといってはしゃぐでもなく、なんというかその佇まいと雰囲気は。

「ルックの妹?」
「は?どうしたらそんな発想になるわけ」
「いやだって、ルックっぽいよ」

その僕の言葉に、少女の瞳に表情が僅かに表れた。これは、驚きと……喜びだ。

「また馬鹿なことを言って……。セラ」
「……はい、ルック様」

微かな衣擦れと、ガラスビーズを綴ったような髪飾りの小さく揺れる音がして少女がルックの背後から進み出た。 ドレスのような服装は青と白を基調としたもので少女の透明さがより際立つように思える。ぱっと見た感じではまだ10代前半だろうにどこか大人びて見えた。大体こんな青と白の似合う女の子なんて反則だ。可愛いというよりも美人という言葉がしっくりくる。

「こんにちは。僕はユウリと言います」
「初めまして、ユウリ様。セラと申します」

名は体を表すってこのことかと。名前の響きがすでに美しい。
青の瞳を縁取る銀色の睫毛が、瞬きをするたびにきらきらと光って思わず見惚れる。

「ちょっと。セラを変な目で見ないでくれる」

と、僕とセラの間に入ってくる昔なじみを羨ま…じゃなくて恨めしく眺める。しかし。

「ルック。すごく大切にしてるんだね、セラのこと」
「なっ!?」

ますます驚きだ。ルックが慌てる姿を拝めるなんて。うわぁ、これでご飯が三杯食べられる。とかうっかり言ったらルックに気持ち悪がられるだろうな。久々に会って、侮蔑の視線を受ける必要はまったくない。ここは自重しておく。

「ルック様、お茶のご用意をしてきます」
「いいよ。客なんかじゃない」
「え……。でも、あの。ルック様を訪ねてこられたのですよね」

少女が小さく首を捻り、ルックの返事を待つ。彼女が知っているいつものルックの様子とは違うのだろうか、セラの顔に僕を目の前にしても見せなかった戸惑いが微かに過ぎる。
ルックがセラに見えないように僕をきつく睨み、そして息を吐きだした。

「……セラ。じゃあ、頼むよ」
「はい」

少女が急ぎ足で扉の外に消えるのを待って僕は手を挙げた。

「はい。招かれざる客から質問、いい?」
「招かれていないという認識は一応あるんだね。質問は僕がしたいんだけど」
「ああ、うん。それも一緒に答えるよ。……僕だってわかったんだね」
「君がそれを言うわけ?僕を試したくせに」

それもバレたか。
でも試したというよりは、わかるだろうと思っていただけだ。

「で?面倒臭い話はご免だよ。とりあえずセラが戻ってくるまでに説明してくれるんだろうね」
「うわあ、その言い方ルックだなあ……」

ルックにいい加減にしろ帰れと言われ僕は慌てて話しだした。
てっきりロッドが頭に振り下ろされると思ったのだが、よく見ればルックの手にはロッドはなかった。身体の芯まで染み付いた恐怖ってやつだ。あれは本当に痛かった。
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