「平和だ。まずいくらい平和だ」
晴れ渡る青空の下、僕はこの上なく不謹慎な科白を溢した。
言いたくもなる。だって僕はこんなのほほんとしている場合じゃないはずなのだ。
「元の世界に戻らないといけないのに、なんにも無さすぎる……」
何もしていないとも言うが、何をしていいのかも皆目見当が付かない。
僕が落ちてきた場所はすでに探し当ててみたものの、あの時のような状況が生まれるでもなく、周囲に同じような祭壇も勿論ない。
ビッキーを探して、という案は最初のあたりで出たが、すぐさま彼女を探すほうが困難だろうという結論に行き着き却下となった。シュウやクラウスはそういった現象が起きたという噂がないか情報収集をしてくれているらしいので、それを待っている状態でもある。
「ただ待つっていうのもなんだか性格上合わないんだよねえ」
何にもない平穏な一日をこよなく愛する僕ではあるが、しなくてはならないことがあるのにそれを差し置いてのんびりするということがどうにも気持ち悪い。
はぁと陰気な息を吐きだしあと、気分を切り換えることにする。
僕には最近お気に入りの場所がある。そんな場所を見つけてること自体が暢気極まりないのだが、宛がわれた部屋のある4階へ戻った。自室の前を通り過ぎた廊下の角にその場所はある。
ある時、なんて変な位置に扉があるのだろうと気付いたのだ。一応のノックのあと取っ手を回してみると、そこは鍵すらついていない部屋で容易に中に入ることができた。余ったスペースに出入り口を付けてみました的な狭さ。入口の扉と、向かい壁にある窓一つ分程度しか必要ない広さでほとんど人も入らないのだろう、箱がいくつかおざなりに積まれ、どこもかしこも埃だらけだった。
お得意の掃除を数時間かけて済ませ、箱を椅子替わりに窓際に置いたこの小部屋へ僕は時折足を運び本を読むようになっていた。どちらかといえば図書館のような適度に人のいる場所の方が僕は集中できるのだが、なにもないこの狭い空間は僕に何か特別感を抱かせ、妙にゆったりとした気分をもたらした。
今日も鍵のついていない扉を開け、いつもの定位置に腰を下ろす。
手にした本を窓辺に置き、何気なく外の景色を眺めていると、視界の斜め上あたり動く影があった。上?と頭ごと視線を動かす。5階は言わずもがな、国王の私室がある階だ。
「へー…、見える場所なんてあったんだ」
いままで気付かなかった。
国王の私室内が見える場所なんて作ってはいけないのではないか。とは言え、さすがに窓辺のごく限られた部分しか見えない。というか、人が窓辺ギリギリの場所に立たない限りは天井の一部分しか見えない。まぁこれなら見えないに等しいと言えるか。どうだろう。
そんな場所にユウリは立っていた。目線が鋭角に下を向いているため資料か何か手に持っているのかもしれない。口が動いている。誰かと話しているのだろうかと思う間もなく、相手の姿が現れた。
ラウ=マクドールがユウリの傍に立つ。ユウリの私室に入れる人物なんてそんなには多くないから想像範囲内だ。
「仲いいなぁ」
窓辺で何かしら談笑している2人を見て、思わず呟いた。
何度思ったかしらないが、僕とラウ=マクドールがあんな風に自然に並んで話すことができることが未だに不思議に思える。以前ラウは僕と僕の世界のラウがそれほど仲良くないことに対して「そっちの僕は勇気が出なかったんだよ」と言っていたか。
とはいえ、僕だってラウのことは好きだったのだ。だから僕もある意味勇気がなかったと言えるだろうか。
「いやー…勇気っていうより、時間がなかったような気がする」
とにかく文字通り走り抜けるような2年間だったのだから。ラウとはその最後の数ヶ月間で出会ったのだ。もっと話したいと思ったのは事実だが、それに費やす余裕が僕にはなかった。と思う。
こちらの僕にはそれができたということが何やら悔しい気がするが。
前髪が擦れ合う距離で笑い合う2人は傍から見ていてどこか現実感がない。
ラウは不思議な人だ。
一見誰にでも朗らかで社交的に見えるのに、佇む姿に人を近寄らせないような空気が一瞬漂う。また、人の瞳をじっと見つめて話す様は誠実さを感じさせるが、人によっては怖いと感じるだろうし、女性なら勘違いをするかもしれない。
そして彼が気に入っている人と話すとき、その距離はとても短くなる。シュウやクラウスが相手でも近いと感じたが(シュウとはお互いに遠慮なく言える間柄になっているのだろう、結構仲がいい)、ユウリはその比ではない。さすが彼自身が気に入っていると公言するだけはある。
僕に対してもユウリと同じような扱いのせいか、とても近いと思う。僕は慣れなくてつい自分から少し距離を取るのだが。最近はそれを面白がられている節もある。
そして今日も今日とて、やたら近い。僕が言うのもなんだが、それは友人の距離なのだろうか。いくら僕が大雑把で触れあうのが好きな人間だといっても、やっぱりあれくらいの近さでも平気な人というのは限られてくるのではないか。
いつのまにか額同士が触れそうな距離になっている。それは目を合わせて会話するのは困難な距離。
だから君たち顔が近い。
そう思ったところで。
「あ」
ふいに2人の間にあった僅かな距離が詰められ、重なった。
それはいくらなんでも近すぎる。
僕は派手な音を立てながら座っていた箱から転がり落ちて、そして慌てて壁に背をあて何かから隠れるように身を小さくした。
「……なん。な、な」
心臓が早鐘のように打っている。
いま僕は一体なにを見た。
まさかと思うが。
あの2人、キスしてなかったか。
「……キ、ッ!?」
待て。
待て待て待て。誰と誰がなにしたって?なにって何!
いや僕の視界の範囲内にはあの2人しかいなかったんだけど。
仲がいいとは思っていたが、そんな方向に仲がいいなんて聞いてない。
いやそんな方向ってどんな方向だ。いやいや。ありえない。
うん、ない。
いや、たまたま角度が悪くてそんな風に見えただけで実際は違うんじゃないか。
「……なんて。見間違え……ないか。ないよな……」
それは深く深く息を吐きだす。僕ってこんなに肺活量あったんだな、と思わず現実逃避したくなる。
「……落ち着け」
現実を受け止めろ。整理するんだ。
僕がキスするとしたらただの友人とはしない。それは確かだ。いくら僕が節操無いとは言え、ほいほいキスなんてやってたまるか。
となれば、問題はキスしたかどうか。
「うあっ、あーあーあー。そこは触れたくないところなんだってば」
思わず拒否の言葉が口をついて出た。
そう。つまり本当は自分のなかで既に答えは出てしまっている。
でも、もしかしてという気持ちが捨てられず、再び窓からそっと覗いてみた。
何もなかったように、笑い合っている2人の姿が目に入った。その距離も最初と同じで寄り添う程度のものだ。
やっぱり勘違いだったんじゃ。なんてチラと思ってすぐに打ち消す。そこまで僕はおめでたくない。
「でもなんで僕。なんでラウ」
そこだけは受け止められない。どうしてユウリで、どうしてラウなんだ。
でも。
ユウリの顔を見る。なんだか幸せそうに笑っている。自分で見ていて、ちょっと恥ずかしくなるくらいに柔らかい笑顔だ。
僕だってラウがいるからユウリは笑ってるって思ったじゃないか。
対してラウも、ユウリのことを好きだと何度も僕に言っていた。あれはそのまんまの意味だったんだ。
わかるはずないじゃないか、と言い返したい気持ちが湧くが、そんなこと面と向かって言えるような心理状態にいま僕はいない。
彼らの僕に対する態度は出会ってからずっと変わらなかった。何かを隠されているとも感じなかった。とすれば、ことさら隠してはいなかったのだろうと思う。僕はそんなことチラとも考えなかったし、彼らもわざわざ話すようなことはしなかった。だから、今の今まで僕は知らなかったんだ。
ふっと、ラウの視線がユウリから外れ、まずいと思った瞬間に目が合った。
「……僕のバカ……」
なんで一度は窓下に逃げて彼らから隠れることができたのに、ふたたび頭をあげて見ていたんだ。こんなの覗き以外の何物でもない。
しかし僕はどんな馬鹿面をして彼らを見ていただろうか。ラウに気付かれたどうしようどうしようと思う反面、そんな本当に馬鹿みたいなことが心配になった。
気付くと窓際から2人の姿が消えていた。これはひょっとして。こっちに向かってるとかそんな展開か。
待ってくれ、僕はまだ心の準備ができていない。どんな顔して会ったらいいっていうんだ。
ひとまず逃げるか。でも逃げたとしてどこへ。僕がこの世界でいれる場所なんて数少ない。
ああああ時間がない。
ひとり慌てている間に、コンコンと軽いノックが響く。
来た。
否応なく覚悟を決める時間だ。
って、なんの覚悟だ。