ひやりひやり、と。
時折身体の奥底から湧きだす感覚。
ずっと、ずっと前から。それは存在していた。
けれど、いつもすぐに消えるから、なかったことにしていた。
なかったことに。……気付かなかったことに。
それは理解してはいけない感覚であることを、僕は知っていたのだ。本当は。
でも、だから、僕は知らない。
この冷たい感覚を、僕は忘れなければいけない。
気づいてはいけない。
僕はあたたかい気持ちだけがいい。
せめて。
もう少しだけ、時間をください。
***
「ちょっと待った!」
「待つかあっ!」
次の瞬間、重い響きとともにトンファーが空を飛んでいた。
ユウリが「あーーー」と情けない声を出して自分の武器の軌跡を目で追う。落ちるだろう先に誰もいないのはきっと確認済みだ。どさりとトンファーが地に落ちたところで僕は剣を持ったまま拳を握った。
「よっし、勝った!」
「勝ったって言うなぁ!くやしいーーーっ」
「でも僕のほうが絶対実践数多いでしょ。ある意味当たり前っていうか、でないと困るっていうか」
僕は両手に持っていた双剣をシースに収めた。地面に座り込み、安堵の息をつく。正直、五分の勝負だっただろう。トンファー使い相手にやり合うのは随分と久しぶりだったし、自画自賛ぽくてイヤなのだが正直ユウリは強かった。僕は昔から身体を動かすことが好きだったし、ユウリも時間を見つけてはラウや騎士たちに相手をしてもらっているに違いない。
先に両足を放りだして座り込んでいたユウリの恨めしい視線が注がれる。
「僕のくせに剣を使うなんて生意気な……」
「え、なにそれ。剣くらいユニコーン少年隊時代にも使ってたじゃないか」
「基礎だけね。すぐに自分の使いたい武器に変えていいって言われたじゃん」
そうそう、それで家にある武器(一通りはじいちゃんから習った)で一番僕に合っていると思っていたトンファーに絞ったんだ。そこには新しい武器を買うお金がなかったというしょっぱい事情もあったのだけど。
「2人ともお疲れ様」
「ラウ」
「あっ、僕のトンファー。ありがと」
転がっていたトンファーを拾ってラウ=マクドールが近づいてきた。つくづく歩く姿が優雅で絵になる人だ。
どういたしましてと笑みと一緒にトンファーをユウリに渡し、次いで僕へ視線を移す。
「君が剣をこんなに使えるなんて思わなかった、って言ったら失礼だね。お見事でした」
「え、あ、いえ。どうも」
確かに失礼なことを言われたはずなのに、最後の言葉ですべて消しとんだ。僕の世界の彼とは違うとは言え、それなりに憧れていた人からの褒め言葉は素直に嬉しいし、照れる。
後ろから「いや馬鹿にされてるから」と忠告を受けた。うん、わかってる、わかってるんだよ。
「トンファーは国を出る時に置いていったの?」
「うん、そう」
その経緯を詳しく話せば、約束の地でジョウイと戦ったことやナナミとの再会について話さなくてはならなくなるため、やんわりと濁す。
僕はジョウイと対峙したあと、山の麓で待機していたシュウにナナミの生存を知らされキャロへ向かうことにしたのだった。その時シュウにトンファーを託し、替わりにと剣を渡されたのだった。その剣はあんまり豪華な装飾が施されていたので、その後しばらくしてそれなりの路金に変わってしまったことは内緒だ。シュウはそれも見越して渡してくれたのかもしれないけれど。
トンファーを手放した理由は金環と同じで、デュナン軍リーダーを連想させるものを排除しようとした結果だった。
「……言いたくないけど」
ラウの言葉にドキッとして顔を上げる。
「その置いてったトンファー、きっと国宝扱いだよ」
「はあ!?」
思いもよらない言葉に空いた口が塞がらない。国宝ってまさかなんだそれは冗談にしか聞こえない。というか冗談にしても現実味がまったくない。
「あー。ラウの英雄の服レプリカとか胸像みたいな?」
ユウリがにやりと言えば、ラウが「それを言わないで……」と自分で話を振ったくせに打撃を受けている。
「いや、でも。あんな汚いトンファー」
ないない、と首と手を横に振ると、ラウが胡乱な眼を向けて僕と同じように首と手を横に振った。
「甘い。わかってない。僕が言うのもなんだが、レプリカごときであの扱いだよ。君が直に使っていたという武器に価値がないわけない」
「ううっ」
実感のこもったコメントに呻き声しか返せない。隣ではユウリが楽しそうにニヤニヤ笑ってる。人ごとだと思ってコノヤロウ。憎たらしいとユウリの足を蹴ると、やっぱり楽しそうに蹴り返された。
勿論というか、この城に当時のトンファーなどは飾られていない。本人によると使い潰したとのことだ。そっちのがよほど正しい使い方だ。
「それにしても、どうして剣にしたの?」
ユウリの問いにふと動きが止まる。
「うん、僕もすこし意外だと思った。しかも双手剣だし」
どういう意味かと首を傾げると、ラウがなんと言ったらいいのかなと少し考える。
「うーん。こう、君には打属性の武器のイメージがあるというか、ね」
「へえ、僕ってそうなんだ?でも僕が剣を使ってるの、見たことあるよね」
「あるけども。実際君はトンファーを使い続けているし」
ラウとユウリのやり取りを耳にしながら、僕は問われたことについてまだ考えていた。
どうして僕は剣に、しかも双剣にしたんだっけか。
「ま、でも確かに双剣だなんて攻撃重視だよね。なんで?」
「なんでって言われても……なんでだろ。便利だから?」
便利って僕らしすぎて嫌だ、とユウリはげんなりしている。
便利と言ったのは本当だ。刃物はなにをするにも必要で、僕はモンスターと言わず木と言わず何でも切っていた。ジョウイからは本来の使い方だけをしてくれと言われるし、ナナミからは食べ物は切らないでよと注意されていたが、僕は全然構わなかった。なんにでも使えればそれでいい。
しかしいま僕は攻撃重視、の言葉が頭を巡っていた。攻撃重視の双剣を選んだ理由。
「……守りたかったから、かなあ……」
僕がぽつりと溢した言葉にラウとユウリが顔を向けた。
「守るって……ナナミとジョウイを?」
そう、ナナミとジョウイを。それ以外に僕が守るものなんてない。いや、僕自身だってその守る対象に含まれる。彼らを守ってこそなのだから、僕が倒れては意味がないのだ。
そこまで考えて、腑に落ちる。
僕は無意識のうちに「守ろう」としていたのか。「守る」ために、攻撃重視の双剣を選んだのか。
ふうん、と相槌を返し、ユウリが唇を触っている。僕の考えるときの癖のようなものらしい、誰だったかに考えているときに唇を触っていることが多いと指摘されたことがあるがそれを目にする日が来るとは。
ユウリの指が唇から離れ、僕に目線が移される。その表情はほんの少し複雑そうだ。
「なんか、さ。それってジョウイの考え方と似てるね」
「え?」
僕はユウリの言ったことの意味が咄嗟にはわからなかった。でもユウリの言うジョウイの考え方とは、あの頃のものだと至ってようやく「ああ」と返事をした。
あの時守るために剣をとったジョウイ。強い力を欲して黒き刃の紋章を宿し、僕らを守るためにハイランドの皇王へと昇りつめ、そしてハイランドを守るために同盟軍と戦った。
しかし、もう昔とは状況がなにもかも違う。ユウリの言うことがわからなくもなかったが、なんとなくしっくりとこなくて僕は首を捻った。
「うーんと。そんなつもりはなかったんだけど。トンファーでずっと両手を使ってたからバランスよく両手を使いたいって気持ちもなかったとは言わないし。んー。むしろなにか理由をつけるとしたら……守りはコレで事足りるから、とか?」
コレ、と自分の右の甲を向けて見せる。僕の右手には輝く盾の紋章が宿っている。攻撃もできるが、出番が多いのは断然回復だ。使うことで命を削られることはなくなったので、こう言ってはなんだが結構利用させてもらっている。
大体にして僕は魔法力より体力のほうがあるし、身体を動かすことのほうが得意だ。
「自分に足りないものを補うためという考え方かい?そうすると、君は武芸より魔法の方を補う必要があるって話だけども」
「うぐっ」
僕の考えがそこに至るより少し先にラウが到達したらしい。
唸る僕へユウリが笑って僕と同じ結論を導き出した。
「無意識に守ろうって思ったのかもね」
その答えが一番落ち着く気がして、僕は「たぶん」と頷き返したのだった。