翌日、僕とユウリとラウは城外に広がる草原を歩いていた。
ユウリが追われていた仕事を片付けることができ、一日休みをもぎ取ったのだという。せっかくだから少し城を出ようと朝食時に告げられたので、僕は食堂の台所の片隅を借りて三人分のお弁当を準備した。

「……腕上がってるよね。やっぱり毎日作ってる分、差が出てくるのかな」

ユウリが難しい顔をして鶏肉のおかずを口に入れる。彼は国王になってから台所に立つ機会はほとんどなかったのかもしれない。

「毎日っても一応当番制だし、それに作るにしてもこんなに色々とは作らないよ。どかーんと一品か二品がせいぜい。限られた材料でどうやったら美味しいものが食べれるかとかは考えるけど」

隣から伸びてきた腕に持っていたおにぎりの入った包みごと渡す。ラウはそれを受け取りながらユウリを見やった。

「君だってたまに作るじゃないか。美味しいよ」
「ラウは僕の作ったものをなんでも美味しいって言うからイマイチ信用してないんだ」

ひどいと文句を言うラウと、だってと反論するユウリ。
そんな2人の会話を聞いて、ラウのユウリ贔屓は結構なものだなぁと妙に感心する。どうしたらこんな風にあのラウ=マクドールが変化するのだろう。どこまでも想像がつかない。

というか、こののんきな雰囲気。いいんだろうか。
えーと。昨日僕はようやく解熱してユウリと話すことができて。その前の2日間は高熱にうなされ続け、その1週間前くらいは鬱々とした気分に悩まされていた。
なんかちょっとあまりに能天気すぎじゃないか、僕。えっと。

「ユウリ疲れた?大丈夫?」
「外に連れ出すのはまだ早かったかな」

黙ってしまった僕の顔を、ユウリとラウが次々に覗き込んできた。慌てて僕は首を横に振って否定する。
今朝城を出る際はシュウに苦い顔をされ、クラウスからも渋い返事しかもらえなかった。僕が思うよりずっと皆心配症だ。そう溢せば、ラウから「まったく妬けるよ」と言われたのだった。

「本当にもう全快したよ」
「あー、僕だもんね。健康だけが取りえ」
「……自分に向ける言葉とは思えないな」
「僕だからこそ言ってるんだよ。知恵熱とかもうホント恥ずかしいから」
「それを言わないで……」

ばくりと卵焼きを一口で食べる。自分で言うのもなんだが美味しくできたと思う。ナナミの好みで僕のつくる卵焼きは甘い。ちなみにナナミが作ると何故か物凄くしょっぱくなるのだが。目が合ったユウリの口にもひとつ入れてやると、「僕より美味しい」と口を尖らせた。ある意味ナナミ仕込みですと言うと、苦笑いが返ってくる。寸分間違いなく意味をくみ取ってくれたに違いない。
ナナミやジョウイの話題を出すのには、まだ若干の抵抗はある。でも、話してもいいのだと知っている。それは僕の心を軽くさせた。お互い、こうやって少しずつ話して少しずつ慣れていくしかないのだろう。それでも一歩は一歩だ。そして僕らはそれを望んでいる。
ふと視線をずらせば、空と草原と、遠くに微かに見える山が瞳に映りこむ。僕はいつか見た景色を思い出した。そんなに遠くない昔、ナナミのお使いでとある村へと赴く際に見た風景とダブる。あの時、僕は山の向こうに流れる雲と空の眩しさに未来を感じたのだ。瞼をそっと下ろし、そして再び開ける。
うん、良かった。僕は今、以前と同じように未来を感じることができている。
知らず笑みを浮かべると、ユウリが何を食べたのかと尋ねてきた。そうじゃない。まったくこんなところばかりが僕らしい。




お弁当を食べ終わってしばらくして、ユウリが伺うように口を開いた。

「寝しなに僕が言ったこと覚えてる?えと、君に憧れるとか、悔しいとか……」
「あ、うん。覚えてる」

今朝起きてまず、それを覚えていたことにホッとしたのだ。

「ああは言ったけど、王になったことを後悔しているわけでじゃないよ。一応、誤解のないように言っとく」

僕は頷く。僕がナナミとジョウイとともにいることを後悔していないように、彼も国王としてデュナンに留まっていることを後悔しているはずがないのだ。同じユウリである僕だからこそわかることもある。

「僕もだよ。君を羨ましいって思うけど、自分が不幸だなんて思ったことないし、何かを損しているとも思わない」

でも、と付け足す。これも伝えなくてはいけないことだ、きっと。

「でも、本当は王として留まることを望まれてたって知ってたんだ。それでも僕は……」

逃げた、とはもう言うまい。ただ、全部置いていった。それは事実だ。

「……うん」

ユウリはいいとも悪いとも言わない。言えない、が正解だろう。なぜなら。

「僕でもきっとそうした」

僕なら、ナナミとジョウイを優先するのだ。

「それに!」

ユウリの妙に明るく力強い声に顔を上げる。

「正直僕は複雑だよ、ユウリの世界。僕が王じゃなくたってデュナンは成り立ってるんでしょ?まぁ僕だって皆の力在りきだけど……」

拗ねるように言って、そして微笑む。

「君からしたら、自分がいなくたってデュナンは何事もなくまわってるって思っちゃうんだろうけど。僕からしたら、君がいなくても大丈夫なように皆が頑張ってくれてるんだなって思うんだよ。だって僕は、皆がどんなに僕を支え働いてくれているか知ってるから」

僕の世界の皆も、君の世界の皆も、僕らを支えてくれている。

ラウは穏やかな笑みを浮かべて僕らを見ていたが、木にもたれかけていた背を上げ、近づいてきた。ゆっくりと歩く動作がなんだか様になっていて悔しい。8年前はラウ=マクドールのいちいち様になる動作を素直にかっこいいと思えたのに。
何を言い出すのだろうと少し構えた僕らの目の前に立ち止まり、一人ずつ見てからふっと笑う。

「やれやれ。君らは揃いも揃って自分の頑張りを認めてあげないんだね」

毎度のことだがラウの話は唐突だと思う。僕もよく「その発言に至った過程を話してくれないか」とジョウイに言われるが、ラウはさらに上をいかないか。というか、わざとそうしている節も見られる。それはさておき、僕とユウリは一体なんの話が始まったのだろうかと眉を顰めた。

「君らは本当に自分を認めることが下手だ。周囲のことはよく見ているのに。……そこを僕は気に入ってもいるんだけど」

そういえば自分のことを知れと言われてたのだったか。しかし。ラウがこれだけ知ってくれているならもういいんじゃないかとも思えてくる。断じて甘えているわけではない、と思う。どちらかと言えば諦めとか呆れに近いのだから。

「だからさ、僕が認めてあげるしかないよね」
「へ?」
「は?」

いよいよ何の話だと僕らは眉間に一層深い皺を寄せる。

「僕が言ってあげる」

ラウの両手が僕ら2人の頭に乗せられる。僕はもうラウの手の大きさや重みを身近なものに感じることができるくらいになってきていた。8年付き合っているユウリはもうこんなの日常茶飯事なのかもしれない。
思わず上目づかいでラウを見ると、にっこりと笑われる。

「ユウリはよく頑張っています」
「……」

幼子に言ってあげるような言い方だが、不覚にもじんとしてしまった。隣のユウリと目が合う。困ったような嬉しいような、複雑な表情。たぶん、僕もあんな顔をしているんだろう。恥ずかしくなって、俯いて前髪で顔を隠した。前髪、伸びてて良かった。




そろそろ帰ろうとラウが切り出し、城へ向かって歩き出した。草原を渡る風は相変わらず気持ちいい。行きとは逆に、帰りは背後から吹く風に、気持ちも後押しされるような気がする。

「……ナナミとジョウイがいる、か。やっぱり羨ましいなぁ」

ユウリは夢見るように視線を遠くにのせて話し出した。僕は少し胸が痛くなる。そう、ユウリにとっては夢のような話だ。

「ジョウイは真面目だから、まだ自分を取り戻すのが大変かもしれないな。ナナミはきっと三人でいることにもの凄く一生懸命で。君はだから、二人を守りたいって、二人の望みを叶えたいって思うんだ。……僕でもそう思うから」

話しながらユウリの目尻に涙が滲む。それを見てつられるように僕も目頭が熱くなる。ぐっと唇を噛んで堪えた。

「ユウリ。叶えてね」

昨日の僕の眠り間際に言った独り言とは違う、僕へ向けて確かに告げられた言葉。
叶えて、の一言に込められた想いはいかほどか。ユウリには叶えられないけれど、僕は叶えることができる。

「っ、僕は」

まだ泣くな。大切なことを言うんだ。
僕らにはそれぞれにしかできないことがある。それぞれにしか守れないものがある。ユウリはもう守ってくれている、それを僕は目にしている。だから僕も伝えなくてはならない。

「僕は、二人を守りたい。守る、よ」

言葉と一緒に涙が落ちる。ああ、ここんとこ涙腺が崩壊してやしないか。

「うん。二人を守って」

ユウリはとても嬉しそうに笑って言った。

このとき僕は、彼のこの笑顔も守りたいと思ったのだった。
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