エレベーターで4階まで昇り、そこから螺旋階段を昇る。
ユウリは僕のベッドに来る前にホウアンに状態を確かめ、目が覚めていたら自室へ帰っても良いと話をつけてくれていた。
なのになんで僕はあてがわれている自室ではなく5階のユウリの部屋へ行くことになったんだろうか。僕の先を歩くユウリの後ろをついていっていたらこうなった。もしかして勝手に帰って良かったとか。この展開でそれはないか。
「入って」
やっぱりこういう予定だったんだな。別行動しようとしなくて良かった。ていうかなんで僕はこんなにビクビクしているのだ。
いや。本当はわかってる。
僕は一番話をしなきゃいけない人物と話をしていない。そういうことだ。
「まだ本調子じゃないよね。……ていうか、なんか嫌そうだね」
「えっ、顔に出てる!?」
「……」
「あ」
口を閉じたところでもう遅い。顔の表情云々より先に口がとっても素直でした。
ユウリは苦い表情のあと、慌ててテーブル席につこうとした僕へベッドに腰掛けるよう伝える。
「とりあえずあったかいお茶飲んで。話は寝ながらでもいいし」
「え。や、もうそんな気を遣ってもらわなくても大丈夫」
「あのねえ、40度超えの熱を出してたんだよ。やっと解熱したばっかりで身体はまだ疲れてるって」
そう言いながら湯気の昇るカップを手渡してくれる。発酵した茶葉の香りが立ち上ってくるお茶を飲み込み、息をつく。熱さと苦みが口から胃にかけて染み渡っていく感覚。温かいお茶って落ち着く。
「グリンヒルに行く馬車以来だね、話すの」
僕が一息ついたところでユウリが口を開いた。
あれからひと月も経っていないのに、随分と昔のことのような気がする。
「あの時僕は君に、グリンヒルから戻ったら2人のこと教えてって言ったけど、まず君のことから知らなくちゃいけなかったみたいだ」
ユウリも右手にカップを左手に椅子を持ち運んできて僕の前に座った。椅子の背を胸に抱くようにして座るので足は開いてるし、行儀の悪い座り方だ。王様らしくなく、僕らしい。やっぱり僕が王様なんて役者不足じゃないだろうかとこっそり失礼なことを思う。
一口飲んだあとカップをベッドサイドテーブルへ置き、こちらへ居直る。
「ラウ、昨日来たでしょ。何か聞いた?」
「?何も……」
話はしたとは思うが、わざわざ「何か」と銘打つような会話はしていない。
その返事にユウリが眉を寄せる。
「裏切ったな……」
「え、なに。なんで?」
ここにはいない青年を睨むように険しい表情を浮かべたあと、こちらを見てため息をついた。
「ラウ、君に嫌われたくないとか思ったんだ、きっと。だからって全部僕に任せるとか……いや僕自身の問題だけど」
ぶつぶつと、何やら問答している。二人して僕に言いたいことがあったが、ラウは逃げたということなのだろう。それはどうやら僕が嫌がるようなことらしい。情けないことに心当たりはたくさんある。しかし。
「ラウが僕に嫌われることを怖がる必要なんてあるかなあ。君との関係が良ければいいよね?僕はそのうちいなくなるし」
「……!そういうの!なんかイヤなんだけど!」
突然ユウリが声を荒げる。僕は内心びっくりした。自分で言うのもなんだが僕が大声を出すなんて滅多にないことだ。
「君っ、自分をいないものとしたりっ、いなくて当然とか!なんで、なんでそんな自分を消したがるのさ!そういう怖い言葉使わないでよ!」
思いもよらない言葉だった。
「そりゃあ違う世界から来たかもしれないよ。でも、いま君は確かにここにいるじゃないか。なんでそれが間違いだったり無いものだったりするわけ?……わからない、君のことがわからないよ」
キュと唇を噛みしめ、そしてもう一度「怖い」と小さく言った。
「……ごめん」
「なにがっ」
鋭く切り返すユウリへ、慎重に言葉を返す。
自分に対してこんなに注意して話しするなんて。一瞬そう思ったあとに打ち消す。違う、本当は始めからそうでなければならなかったんだ。ユウリと僕とは違う道を歩いていて、お互いにしかわからない気持ちがあるのだから、それはわかって当然のものではなく話さなきゃわからないことだった。
「僕のこともこの世界のことも、否定するつもりじゃなかった。でも結果的にそんなふうにも取れたかもしれない」
キッと睨まれる。それは少し迫力の欠ける、悲しみを乗せた瞳だった。
「君の真実は君の元の世界だけ?いま君がいるのはこの世界で、君といま話してるのはここにいる僕なのに……!」
言ったあと、両手で顔を隠して息を吐きだした。昂る感情を落ち着けようとするかのように。
次に手を離したユウリの顔に興奮の色はすっかり消えていて、代わりに小さく戸惑いの表情が浮かんでいた。
「……僕の都合ばかり押しつけてるね」
「そんなことない。僕はいくら混乱してたとは言え自分のことばっかりで、周りの皆がどんなに気を遣ってくれてたのか全然わかってなかった」
君のことも含めて。
君は僕だから。そう理由をつけて気遣うことが疎かになっていた。あれだけ、僕は君とは違うと口にしていたにもかかわらず、だ。
「ラウと、シュウにも。僕は自分のことを知るべきだって言われたよ」
「……」
「こういうことかと今実感してる」
僕を知ろうとしないことと君を知ろうとしないことはきっと同じだった。
「僕は、君は自分なんだからって話すべきことも話さず、自分は自分、君は君だって割り切っているつもりで実は無関心なだけだった。君を知る努力をしなかったんだ」
相手を知る努力。
ラウも話していた。誰かを知ろうとすることは、自分の時間を使い、感心を持ってかかわることから感情の起伏を伴う、とても疲れる行為だ。
ごめんと頭を下げた僕の頭上からユウリの声が降ってきた。
「それは……たぶん僕も一緒だ。君のこと、ちゃんと知ろうとしなかった。必要ないと思ってたかもしれない」
顔を上げると、ユウリと視線が交わる。
お互いに目をそらさず、こんなに静かに話すのは初めてだった。グリンヒルへ向かう馬車の中でだって、僕らは目線をそらしていた。
ユウリの静かな声が続く。
「ラウが話してた。君の中の矛盾と、君が迷ってるってこと。僕はそれを聞いた時、君に突然迷いが生じたんだって思ったんだけど。……ひょっとして、ここに来てからずっと一人で迷ってた?」
ユウリのまっすぐな視線はそのままで瞳が揺らぐ。
「君のことばかり責められないな。今まで気付かなくて、ごめん」
君が謝ることはないと言うのは簡単だけど、そんな言葉は欲しくないだろう。僕は黙ってただ小さく頷いた。
「……君が何を悩んでいるのか、僕にはハッキリとわからない。話してほしいって言ったとしても、僕のことだから話さないだろうとも思う。でもさ。でも、君はひとりじゃないよ」
ユウリは立ち上がり僕の手からカップを取り上げると、自分のカップの横に並べた。そして両手を僕の頬に添えると、瞳を覗き込んでくる。
「この世界で、君はひとりじゃない。僕がいる。ラウや、シュウやクラウスだって。事情を知らない他の人だって、君を君として見ている」
君はここにいるよ、と頬を固定する両手に力を込める。僕の存在を僕自身に知らしめるように。
「君の存在は、僕らの現実の一部だよ。なかったことになんか、ならない」
そらされない瞳に僕もそらさず応える。
「君にとっても、なかったことになんかならないでしょう?」
この世界も、皆に出会ったことも、なかったことになんかできない。確かに僕の中に息づく現実、また真実だ。そしてこれからもきっとずっと。
「僕にとっても、君にとっても、すべての出会いがそのまま真実だ」
「……っ」
思わず僕よりも小さい身体を抱きしめた。そして「うん」と答える。
僕はようやく現実を見つめることができる気がした。今と、そして過去についても。
「ちょっと、ユウリっ。く、苦しい」
「えっ。ごめっ」
慌てて背に回していた腕を解放した。やっぱり成長すると腕力も強くなるのかなとユウリが息を整えながら言った。
「えーと。……図体ばかりですみません?」
「あはは、そんな冗談を言えるくらいには元気になったんだ?」
ベッドに腰掛けたままの僕から軽やかに一歩下がり、首を倒した。短めの焦げ茶の髪が跳ね、額の金冠が煌く。
「君はきっとここから出発するんだ」
それは夜には不向きなくらいの晴れやかな笑顔だった。
ふあ、と欠伸が出た。僕は眠気が襲ってきていることに気付いた。
いやいやいや、今寝るところじゃないだろう。何気なく視線をユウリへ向けると、なんだか妙にばつの悪い顔。まさか。
「ゴメンねっ」
片眼を瞑って手を合わせてきた。こら、ラウならともかく僕がそんなことでほだされるとでも思うのか、自分だぞ自分。いや、それより問題は何がごめんなのかだ。
「なん、のこと……?」
「お茶、苦かったでしょ」
ああ、あれ。はあ、そう、あれに眠剤でも仕込みましたか。熱で舌が馬鹿になってるのかな、お茶の苦みと判別がつかないなんて。ああ、そう……。
「なんで……」
「やー……ずっとシリアスモードは疲れるかなーって」
そこで何故僕を眠らせる方法を選ぶか。穏やかじゃないっていうか、もう犯罪っぽい。王様が犯罪ってコラ。
「そろそろ寝たほうがいい気がするし」
僕はとうとう座位を取っていることが困難になって、ゆっくりと崩れるように横になった。
「……寝た?」
はいはい、寝ますよ……。
「ユウリ」
はい。
「嫌なこと、言うよ」
……はい。
なんでだろう、みんな僕が眠ろうとしているときに大切なことを話すんだ。
「はじめ、ね。……真の紋章の呪いを打ち破って、君とジョウイが生きている。そんな都合のいい話、信じられなかった。信じたくなかった、かな。だって僕はそんなナナミとジョウイが生きて笑っている未来があるなんて思いもしなかったから。前に君は僕のこと憧れるって言ったけど、僕だって思った。それからなんで君が言うんだって思ったんだ。……悔しかった。どうして僕はその未来を掴めなかったんだろうって」
その気持ちは、もしかすると僕がリドリーと一緒にいる君の姿を見たときに感じたものと似ているのかもしれない。僕らはお互いに、掴めなかったものを羨ましく思い、掴めなかったことを悔しく思っていたのだろうか。自分以外の他人に置き換えて考えると、それはひどく空しいことのように思える。
でも。
「でも、こうも思った。君が僕がいて良かったって言ったように、僕も君がいて良かったって」
皆に支えられながら、国を守ろうと頑張る君がいて良かった。
「ナナミとジョウイが生きていて、2人のそばにいて2人を守ってあげられる君がいて良かった」
同じだ、同じ気持ち。
掴みたかったけれど掴めなかったものを掴んだ君。それを大切にする君。そんな君がいて良かった。
「どうか、ナナミとジョウイを守って」
どうか、デュナン国とデュナンの皆を守って。
重たい瞼を無理やりこじ開ける。そして視界に入る、涙を流す君。嗚咽をこらえるように身体を丸めていた。
「……起きてたんだ」
「こういう、ことは、起きてる時に、言う、べきだよ……」
ユウリは泣き笑いの顔でゴメンと謝る。
ああ、このまま眠ったって今回だけは絶対に忘れてやるもんか。君が僕に頼んだこと。
「ユウリ……。約束、する……」
僕はそれだけは何とか言って、意識を手放した。
ほら、こういうことはちゃんと起きているときに言いたかったよ。恥ずかしくて言えなかったかもしれないけど。