体調が悪い時に決まって見る夢がある。
ナナミは空から落ちる夢で、ジョウイは得体の知れない何かに追いかけられる夢だと。そう言っていた記憶がある。
僕の夢は、2人に比べるとあまり具体性も意味もない夢だと言える。ただ、その雰囲気や色彩、音が不快でたまらないのだ。とても気持ちが悪くて早くその場から去りたくなるのだけれど、そこに自分の実態はなく、ただ、見せられているだけ。
それで僕はその夢を見るたびに、早くこの夢が過ぎ去ればいいのに、早く目覚めてしまえればいいのにと願うのだ。
いま僕はその夢さえ見ることなく。
それなのに、目が覚めればいいのにと願っている。
目が覚めて、傍にはナナミとジョウイがいて、旅を続けているんだ。
何事もなく。
―――何事もなく?
何が。
この世界に何がなければいいというのだ。
王様であるユウリ。
ユウリと仲のいいラウ=マクドール。
ユウリの傍で働くシュウやクラウス。
生きている、リドリー。
違う。
彼らは居なければならない人たちであって。
ここに在ってならないのは、僕だ。
***
「ユウリ様」
そっと名を呼ばれる。その気遣いに満ちた柔らかな声に意識が浮上し、重たい瞼を上げた。
「うなされていらしたので。すみません」
「……ううん……。クラウス、ごめんね。心配かけちゃって。……ただ熱が出ただけだし、大丈夫」
普段人の好い笑顔を浮かべる青年の眉が、いまは心配そうに下がっているのが悲しかった。
クラウス。貴方が僕のことを知ったら、どう思うのかな。
そう思ったとたんに。心臓が冷たくなるような感覚に襲われる。
思わず肩を震わせた僕を、寒気がすると思ったのか、クラウスが「掛布をもう一枚持ってきましょうか」と尋ねてくれた。その申し出を首を僅かに振って断る。
そして、僕は寝るからクラウスも部屋に戻って寝てほしいと伝えると、彼は曖昧に頷いた。
僕が何をしたのか知ったとしたら。
いままで微笑みを向けてくれていたクラウスも、その表情を曇らせるのかもしれない。
僕が信頼を裏切ったのは元の世界の彼らに対してであって、この世界の彼らではないだろうか。
けれど、僕のような「ユウリ」がいることに、彼らはきっとガッカリするだろう。それは彼らを裏切っているのと同じと言えるのではないか。
自分に対して落胆の色の浮かんだ瞳が向けられたらと思うと、想像するだけで怖くてたまらなくなる。
その反面、心のどこかで知ってほしいと思っている僕がいた。
誰か聞いて、誰か知ってと。知られたくないとユウリやラウたちから逃げながら、僕はきっと心の中で叫んでいた。
知られたくないはずなのに知ってほしいだなんて矛盾している。
僕は一体どうしたいんだろう。どうしてほしいんだろう。
自分のことなのに、自分のことがわからない。
ねぇ、僕はリーダーという責任から逃げたんだよ。
ねぇ、僕は皆の信頼を裏切ったよ。
ねぇ、僕はデュナンを、皆を置いていったよ。
だから、僕は王になれなくて当然だった。
ナナミとジョウイを守る。
僕の心からの願いであり、それができることは幸せなことのはずなのに、僕はいま罪悪感を抱いている。そのことにさらに罪悪感が募った。彼らに対することで罪悪感を抱くなんてこと、あってはならないのに。
自分が何をしたいのか、わからなくなっていた。
大切なもののうち何を優先し、何を捨てなければいけないのか。
過去と、現在と、未来において。
僕はこの世界でどうすればいいのか。
あの世界でどうすれば良かったのか。
僕は、これからどうすれば。
冷たい空気が額の上を通り過ぎた。
なんだろうと思うそばから頭にふわりふわりと心地よい重みが加わる。
誰かの手……クラウス?
目を開ける前に、「お着替えをしましょう」と声をかけられた。自分は汗をかいているのかもしれない。そういえば身体の芯は熱いのに、肌に触れるものは冷たい。汗は熱を下げるために必要とはいえ、汗で濡れた病衣を着続けていれば身体を冷やし過ぎてしまうだろう。
ほとんどクラウスの促しに応えて軽く身体の向きを変える程度の協力のみで着替えが終わった。クラウスってこんなことも器用にこなしてしまえるんだなぁと変なところで感心する。
肌に触れるサラサラとした清潔な木綿の感触が気持ちいい。ごめんね、と口に出したつもりだがクラウスからは返事がない。声に出せていなかったのかもしれない。
「……ユウリ様。もし起きていらしてもどうぞ目を開けずにいてください。今から話すのは私のひとりごとです」
額に落ちた、汗で重みを帯びた毛先を優しい指先が払ってくれる。
「謝罪、いえ、懺悔……かもしれません」
ですから貴方が眠っていてくださると助かるのですが、と続けた。
「あなたが私に謝ることなど何もないのです」
ということは、クラウスにさっきの僕の声は届いていたのだろう。しかしクラウスが謝罪?懺悔?けれど彼がひとりごとと言うなら、僕はただここにいるだけでいいのだろう。良かった。僕にでも役に立てることがある。それはひどく僕を安心させる。
「私は、あなたは幸せなのだと勝手に決めつけていました」
なぜ。何か間違ってるのかな。
「……現れたあなたは成長してらして、ナナミさんや、幼馴染の少年と共にいるという。私はもう絶対にあなたは幸せなのだと思いました。そして、あなたが笑いかけてくださる度に、そのような幸せが掴めたあなたがいて良かったと、私もなんだか嬉しくて」
クラウスの柔らかい声がそこで区切られ、そこで一呼吸を入れる。次に聞こえた声は固さを含んだものだった。
「……ユウリ陛下やラウ殿からあなたの変化を聞くまでは」
微かにため息が聞こえた。
「聞いたときは、まさかと。信じられませんでした。何を悩むことがあるのだろう、と。……すみません、本当に私は……あなたに失礼なことを……」
絞り出すような言葉が続けられた。
「私は、―――あなたは幸せであるべきなのだと思っていたのです。きっと」
僕はまわらない頭でいまの言葉を反芻する。クラウスの言葉の何が失礼にあたるのかさっぱりわからない。
僕は確かにナナミとジョウイとともにいて幸せだし、クラウスが僕を幸せだろうと考えることの何が間違いなのだろう。
ふたたび息が吐かれる。今度はもう少し深かった。
「よく考えればわかることでした。……あなたが元皇王の少年といることで、国を去ったことで……何も感じないわけがない。悩まないわけがなかったんです」
謝らないといけないのは私のほうです。すみません、と謝罪の言葉が繰り返された。
クラウス、クラウス。
貴方がそんなことを気に病む必要はない。
僕のこと知ってほしいなんて嘘だ。ごめん。貴方を苦しめたいわけじゃなかった。