足早に去る青年の背を見送っていると、リドリーから声をかけられた。

「ユウリ殿。どうかされましたか」
「え、……あ、うん。実はちょっと彼に最近避けられてるみたいで」

やはりという思いが強い。今までであれば知っている人物に会うと、自分の友人としてではあるがほんの少しの会話を交わすことを楽しみにしている様子であったのに。
追いかけて呼びとめたいとも思ったが、今は仕事中だ。私的理由にリドリーを付き合わせるわけにはいかない。

「はて。ユウリ殿を避けているようにはお見受けしませんでしたが。むしろ、私のようないかつい者が陛下のお傍にいたからではありませんかな」
「ええ?そんなまさか。それにリドリーの強面は今さらだよ」
「言われますなあ」
「ふふ」

リドリーはきっと自分の気持ちを解すために冗談を言ってくれたのだ。その効き目は抜群で、掴めない焦燥が薄らいでいく。
8年前の和解後からずっと、リドリーは変わらぬ忠誠と信頼を預けてくれている。普段はトゥーリバー市でコボルト軍の指揮官として働いてくれているから中々会うことはできないが、会えばこうして笑って話すことができる。
ユウリもきっとリドリーと話したかっただろうに。自分がいたため叶わなかったのではないかと少し悪いことをした気になる。
が、元はと言えば、ユウリが自分を避けるのが悪い。……と思ってはいけないのだろうか。でもいい加減、自分の理解していない理由で振り回され続けるのは疲れる。

「いやいや、それはあまりに僕の勝手すぎるか……」
「は?」
「えっ、あっ、ごめん独り言」

慌てて手で口を塞ぐという幼く見える動作をみせるユウリに、リドリーは笑みを溢す。
姿は少年のままであるが、人間の年齢であれば20代であるはずで、さらに国の代表という立場にいるため、公式の場で会えば落ち着いた振る舞いと言動で対応し、王の威厳すら漂わせる。しかし今リドリーの目の前でのユウリの態度は、親しい者に対するそれであり、そのことが妙にくすぐったく、嬉しい。
その気持ちはおそらく主従という枠からははみ出たものだろうから、この小さくも大きな主に伝える気はまったくないのだが。

「しかし……」
「リドリー?」

リドリーが、すでに姿の見えない青年を追うように視線を移したのを見て、ユウリも同じ方向を見やる。

「いや、すみませんな。つい」

と、また目線を彼の去った方向へ向け考えるふうに顎に手をやる。

「陛下のご友人でしたな」
「うん。なにか?」
「いえ。ご親族がいらっしゃるのかと少し」

ユウリは目をぱちくりとさせる。
親族。なるほど、そういう風に考える者もいるのか。

「うーん。どこかに親族がいたとして不思議じゃないけど。そんなに似てる?」
「ええ。似ていますよ、声がとても」

声がわりをしているといってもあまり低くはない、大人の自分。骨格が同じなのだから、成長すれば同じ声だ。似ていて当然だろう。しかし、声にまず注目するあたりはコボルト故か。

「んー、自分の声はよくわからないな」
「はは、そうでしょうな。……それに」

一呼吸を置いて、軽く首を傾ける。ユウリも首を傾げて返すと、リドリーは目を細めて笑った。

「こう言っていいものかどうか。少し、似ております、雰囲気がユウリ殿と」
「そう、なんだ」
「でも今の場合、特に雰囲気というより……」
「というより?」

珍しく言いにくそうに言葉を濁したリドリーに先を促す。リドリーのピンと尖った耳がほんの少し力をなくし、申し訳なさげに口を開く。

「……陛下が何か隠しごとをされる時、あのような眼をされてますよ」

コボルトは耳だけでなく目もいいのか。それとも人を指導する指揮官の目というものだろうか。自分も同じように上に立つ人間のはずだが、観察力や考察力はまだまだだと認識させられざるを得ない。
ふぅとわざとらしくため息をつく。

「なるほど。僕の隠しごとはリドリーには通用しないってことか」
「どうでしょう。私なぞより、宰相殿たちのほうが陛下のことをよくご存じだと思われますが」
「それはなに、つまり僕に隠しごとは不可能ってこと?」
「おっと」

口角を上げるリドリーを睨み、そして笑う。みんな、自分を気遣ってくれているのだ。わかっている。

「……せいぜい隠しごとなんて作らずに済むようにするよ」
「それが最善策です。宰相殿の胃痛を減らしてさしあげてください」
「ねえ。リドリーは僕の味方?シュウの味方?」
「ははは、すべては貴方の御為ですよ」

「うまいこと言うなぁ」と口を尖らせると、リドリーは目尻に一層の皺を刻んで笑った。

「私の忠誠は、この国に。しかしなにより、ユウリ殿に。あの誓いが変わることはありません」

ふ、とユウリが笑い、「わかってるよ」と応える。

「リドリーは頑固だからなあ」

それが私のとりえですから、とリドリーは背筋をピンと伸ばしたまま軽くお辞儀をした。




***




「というわけで避けられたんだ」
「で、今から殴りこみにでも行くつもり?」

ユウリはリドリーと別れてからも執務に追われ、一段落して部屋に戻ったころはすでに夜も更けていた。自室の扉を開けると、いつからいたのかソファに座ったラウが本を片手に、おかえりと迎えてくれた。途端に、今日自分と青年ユウリとの間にあったことを思い出し、立ったまま勢いよく話したのだった。
そこでラウに今後の行動について指摘されて、自分がしようとしていることについて考えさせられる。

「……非常識だと思う?」
「そうだねえ」

ふんわりと笑うラウは穏やかに見えるが、もしかすると。

「ラウ、ひょっとして眠いの?」
「んー。開いていたページの内容を読んだ覚えがないからそうかなあ」

栞を挟むこともせず潔く本を閉じてサイドテーブルに置く。
それでどうするのかと重ねて尋ねてくる。
そう問われると、寝ていると思わしき青年を叩き起こしてまでする話ではない気がする。

「あしたにする……」
「そう。とすれば、あと今日君がすべきことは」

他に何かすべきことがあっただろうかと首を傾げる。
ラウが少し眠たそうな目で見上げ、口の端を上げた。

「この時間まで君を待っていた僕を労うことじゃない?」
「いや、労って欲しいのは今のいままで働いてた僕の方かなぁとか。ていうか、もう寝たほうがいいと思うよ。眠たそうな顔しちゃってさ」

「おやすみ」とラウの額を押すと、さして抵抗なく身体がソファに倒れた。
が、ラウは寝るならソファよりベッドがいい、と起き上がってベッドに移動する。自分の部屋に帰ったほうが広くベッドを使えるのにと思うが、待ってくれていたことを思えば口にするのは憚られる。
まぁ良いか、と自分も着替えを手早く済ませるとベッドに入った。

「ユウリ」

横になったところで声がかかる。

「彼は向こうの世界の僕と仲良くなれなかった理由は自分にあるって言うんだ。そんなこと、あるわけないのにね」
「……それは僕じゃなくてユウリに言うべきだよ」
「もう彼には一度伝えてるんだよ。でも、たぶん、今の彼は忘れてしまっている。振り出しの状態か、ひょっとするともっと悪化してるかもしれない」
「……」
「……笑っている君しか見たくないなんて、僕は酷いかな……」

まもなく静かな寝息が隣から聞こえてくる。
ユウリもまた目を閉じ、全身の力を抜く。

自分は周囲の人たちのおかげで笑ってばかりだという自覚がある。ユウリだって、ナナミとジョウイとともにいて、きっと笑顔の毎日を送っていたに違いない。だから彼が笑わなくなったのだとしたら、それはこの世界に来たことが原因だ。
一体この世界のなにが彼から笑顔を奪うのか。一体彼は何に頭を悩ませているのか。

隠しごと上等。話したくないというならそれでいい。
でも、一人で悩むことなんてない。たとえひとりでしか解決できないことだとしても、傍にいることはできる。傍にいるのだと知らせることはできる。それがどれだけ救いとなるか、自分はよく知っているつもりだ。

隣で横になっている人物が小さく身じろいだ。起きたわけではなく、不随意運動のようだ。こういう時、ラウ=マクドールも普通の人間なんだなあと妙に感慨深く思う。
くすっと思わず笑みが漏れた。途端、寝しなのラウの言葉を思い出す。
笑っている僕しか見たくないだって?彼は時々不思議なことを言う。
でも、そんなラウに自分は笑わせてもらっている。ほら、そういえば今だって。

隣の温もりにほんの少しもたれかかり、ありがとう、と心の中で呟いた。




まさか翌日青年が熱を出して倒れるなんてことになるとは思いもせずに。
まったく、僕らはタイミングが悪い。
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