テレーズは少し足早に市庁舎内を歩き、会議室へと向かう。そして鐘が鳴り終わる前に部屋へと滑り込み、着席をした。
少し上がった息を整えようと深呼吸を2度行ったところで、すでに隣席に座っていた少年王が語りかけてきた。

「テレーズ。駆け込みだなんて珍しいね」
「お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。申し訳ありません。少し良いことがありまして、時間を忘れていました」
「へえ?」

ユウリはテレーズの秘密めいた言葉に目を細めて笑い返す。
鐘は鳴り終わっていたが、まだテレーズのように駈け込んでくる人もおり、会議室内はまだ若干ざわついている。シュウはいつ会議を再開しようかと全体を見渡していた。
ユウリは皆の意識がこちらを向いてないことを確認してから、テレーズにもう一度声をかける。

「あのさ、テレーズ」
「はい」
「今日会議が終わったら少し時間作ってもらえないかな」
「それは勿論。構いません」
「じゃあ、僕とシュウとクラウスとで行くから、都合いい時間と場所に呼んでもらっていい?」
「はい、わかりました」

そこまで言ったところでシュウが片手を高く挙げ、午後の会議の始まりを告げた。




「ユウリ陛下。シュウ様、クラウス様。どうぞお入りください」

テレーズの秘書が扉を開け入室を促す。
ありがとうと応えてユウリを先頭に、シュウとクラウスが続いた。
テレーズは秘書へさがってよい旨を伝え、秘書が出て行った扉の鍵を閉める。

「テレーズ。お茶の招待をありがとう」
「少し遅い時間ではありますが。何か個人的なお話ではないかと思ったのでこういった場にしても良いかと……」
「うん、嬉しいよ。もうずっと堅苦しいのが続いて窮屈だったんだ」

肩を鳴らして大げさにため息を吐くユウリに、後ろからシュウが「問題発言ですよ、慎んでください」と注意する。

「それにしてもテレーズ、服装で雰囲気が変わるね」

テレーズはいつものしっかりとした作りの服装ではなく、柔らかい生地で誂えた服を身に着けていた。どちらも女性ものであるには違いないが、生地が違うだけで随分と雰囲気も変わってくる。
ユウリはいつだったかシーナが公式の場でのテレーズの服装は隙がなさすぎると言っていたのを思い出した。それに対して自分は、確かにテレーズをシーナが口説くのは難しそうだと返事したのだが、別に公式の場での彼女に限定してではなく、シーナの言葉は彼女には全く通用しなさそうだという意味でだ。
柔らかなシフォンのブラウスの袖口が揺れる。

「公の場ではこういったより女性らしい服は憚られる気がして。本当はこちらの方が楽なのですけど」
「いいと思うけどなあ。テレーズは紛れもなく女性なんだし。会議でもテレーズがいると場が華やぐよ」
「まぁ、陛下。お上手ですこと。それとも主催市の市長としては安堵すべきところでしょうか」
「生憎お世辞に忙しい口は持ち合わせていないんだ。大体、テレーズは昔から綺麗だよ」

そう言うと、テレーズが驚いたようにティーポットを扱う手の動きを止めた。

「テレーズ?」
「……いえ。その言葉を今日2回も聞くことになるなんて、と少し驚いてしまいました」
「へえ、誰に?」
「ユウリ様に」
「え?」

ユウリがなんのことだと首を捻ると、ティーコジーをポットにかぶせながら、くすくすとテレーズが笑いだした。

「申し訳ありません。私、陛下をからかってしまいました。でも嘘は申しておりません」

そう言われて、ユウリはある人物を思いついた。まさか、と口を開く。

「ひょっとしてユウリに会った?」
「はい」
「えっ、今日って言った?そんな時間あったっけ?どこで?」
「ふふっ。それはユウリ様と私の秘密ですので、陛下といえどもお教えできません」

楽しそうに話すテレーズの様子に、ユウリをはじめ、シュウやクラウスも驚きの表情を隠せなかった。
このように彼女が冗談を言うのを初めて聞いた気がする。

クラウスが隣に立つユウリの顔を盗み見て、こそりと耳打ちする。

「陛下。口がへの字ですよ」
「クラウス。妙ーに悔しいんですけどね、僕は間違ってますかね」
「そう素直に仰ることができるだけ陛下はお心が広い」

そうですかね。ユウリは口を尖らせて答えた。
いつのまにやら、かの青年とテレーズが会っており、しかも秘密を共有しているらしい。自分はテレーズとは会議の場を含まなくとも何度となく話す機会があったのに、あんな冗談すら交わしたことがなかった。

悔しい、と口の中でもう一度呟き、ユウリはクラウスとともにテレーズを再び見やる。テレーズはにこっといたずらが成功した少女のように笑った。
かわいい。なんだこのかわいさは。こんなテレーズは知らない。
前を向いたままクラウスが話しかけてきた。

「陛下。私もちょっとお気持ちがわかる気がしてきました」
「それでこそ我が側近」

続いて、ちっ、と頭上で小さく舌打ちが聞こえた。目線だけ上げると、もう一人の側近中の側近であるシュウがまっすぐ前を見据えながら苦い顔を浮かべていた。
そうか。お前もか。




「で。何を話したの?それも秘密?」
「どうでしょう。私もあの方も仮定の話ばかりをしていたので」

ユウリとシュウ、クラウス、そして自分の前にハーブティーの入ったカップを整え、席につく。
柑橘系の甘みのある香りとミント系の爽やかな香りが漂い、疲れた頭に心地よい。ハーブティーにはカフェインが含まれていないので、夜に飲むには紅茶やコーヒーよりも良いと聞いたことがある。ユウリやラウ達周囲にいる人物はいつでもどこでも眠れる人種ばかりなのでカフェインなど気にしたことがないのだが、こういった小さな心配りが女性らしさを感じさせる。
テレーズはお茶をひとくち含んだあと話を続けた。

「最初は私がグリンヒルを愛しているとかそんな話を」
「はあ」

ユウリはどうして最初からそんな話になるのかわからず、曖昧に相槌を打つ。
でもそれはテレーズも少なからず同様だったらしく、どうしてかしら、と続ける。

「終始、不思議なことを尋ねられました。陛下や宰相殿からグリンヒルを離れて別の任を依頼されたらどう思う、とも」

ユウリとシュウ、クラウスの目線がハッと彼女に向いた。

「あの時は、私の国に対する忠誠心とグリンヒルに対する思いについて問われているのかと思ったのですが。……今思えば、単純に私の気持ちが知りたかっただけなのではないかという気がします。何故そんなことを尋ねられたのか、私の答えから何が知りたかったのか、それは今でもわかりませんが」

側近たちが彼女に気付かれないよう視線を短く交わし合う。
それを気配で感じつつ、ユウリは視線をテレーズから逸らさず呟いた。

「その答えは、僕も知りたいなぁ」
「え?」
「ううん。他にはなにを」
「他に、ですか。あとは……私、ユウリ様があたたかい方で、どこか陛下と似てらっしゃると伝えました」
「僕に似てる?そう。そしたら彼はなんて?」
「……ほんの少し、悲しそうでした。けれど、別れ際には笑顔を」

テレーズは彼がなんと返事をしたのかは言わず、ただ、彼の様子を話した。
彼女は彼の言動の内の何を伏せようとしたのだろう。
ユウリは軽く目を瞑る。グリンヒルに来る馬車の中で話して以来、彼とは会えていない。たった数日。それが自分と彼との距離をまた開けた気がする。あの話し合いで彼と近づけたのだと思ったのに。何故、そんなことを彼がテレーズに話したのかわからない。何故、彼がそんな表情を見せたのか、わからない。
心が不協和音を奏で、落ち着かない。

「ユウリ」

シュウの低い声が鼓膜を揺する。無機質な声質が、自分を気遣うのでも急かすのでもなく、ただ自分の名を呼ぶ者がここにいるのだと知らせた。
瞼をゆっくり開く。
テレーズもいまの話は終了したのだと気付いたようで、僅かに姿勢を正す。賢く、勘の良い女性だ。それは今後、彼女にとって強みとなるか、弱みとなるか。

僕らは前者に賭けている。
20 ≪     ≫ 22