大きくはないガラス窓から白々とした光が差し込んでくる。
眩しすぎないそれは朝のもので、鳥の囀り声が途切れ途切れに聞こえてくる。人の活動が活発ではないこの時間ならではの外の音だ。
しみじみと思う。
やはり僕は単純だ。寝て起きると頭がすっきりしていた。
しかし昨日のことを考えると、気分は一気に重たくなる。
「あ〜……、なんであんなこと言っちゃったかな……」
最悪だ、と枕へ頭を再び落とす。城の部屋にあったもののように羽根ではないが綿の詰まった枕が重量のある頭を優しく受け止めてくれた。
布団を頭の上まで引っ張り上げて、唸る。
「ばかばかばかー……」
昨日は疲れてたんだ。そうとしか考えられない。
自虐的な思考に傾いていた気がする。そんなキャラじゃないじゃないか僕は。疲れていたにしても恥ずかしすぎる。
一方で、何故ラウにあんなことを言ったのかを理解もしていた。
僕はラウに甘えていたのだ。
甘えたくないと思いながら。困らせたくないと思いながら、彼が困るようなことを言った。
まったくもって馬鹿だとしか言いようがない。一体なにをしているのだ自分は。
「もう、次どんな顔して会ったらいいんだよ……」
枕に顔を埋めて呟く声は、くぐもって同室者の耳にはきっと届かない。
キシリと遠くのベッドの軋む音が聞こえた。おそらく同室者が起き始めたのだろう。もうしばらくすれば全員が起床を余儀なくされる。もっとも、僕に割り当てられた仕事はもうほとんど昨日で終わっている。
皆の仕事の邪魔をしない。それが今日からの僕の主な仕事だ。
ユウリは勿論、ラウも仕事が盛りだくさんのはず。
枕から顔を上げて空気を吸い込む。
よし。頭を切り替えて、久しぶりのグリンヒルを満喫しようじゃないか。
と、思っていたのに。
外に出ると、ラウ=マクドールが立っていた。
僕とほとんど変わらない背丈のはずなのに、腕と足の長さが違う気がする。
僕の姿に気づき、片手をひょいっとあげてくる。
朝の清々しい時間帯におそらくは正しい爽やかさを伴って現れた青年の姿に、僕は思わず半目になる。他人から見たら、僕は朝に相応しくない様相に違いない。
僕は扉にかけた手はそのままに、へなへなとその場に座り込んだ。
「なんでいるの!?ねえ、ラウ暇なの!?」
「失礼な。暇なものか」
真剣な目で返すその姿がまるで嘘っぽく見える。が、暇なはずがないのだ。表舞台には出てこないが(出たら主にトランとの友好に問題があろうことくらい僕にだって想像がつく)、ユウリのサポートを全面的に行っているはずだ、この男は。
「仕事してきなよ……」
「君をあのままにしておけないよ」
すべては僕の蒔いた種か。
「あー、昨日のことは忘れてください。僕は疲れてました、だからあんなことを言ったの!もう大丈夫だから!」
だから早くひとりにして欲しい。せっかくひとりで今までのことをゆっくり整理したいと思ったのに、ラウがいてはまたペースが狂わされて何を話してしまうかわからない。なにより、気持ちが休まらない。
「疲れてたってのは本当だろうけど。それだけに本音混じりだってことだと思ってるよ」
「ぐっ」
わざわざ言うあたりが意地悪だ。
段々と目の前の存在が恨めしく思えてくる。
「ラウって意地悪だ」
「好きな子には、ってやつじゃないかなあ」
ラウにとっては何気ない言葉のキャッチボールだったのかもしれない。でも、ぼくにとっては聞き流せない言葉だった。
「だからさ。僕はユウリじゃないって、昨日言ったよね?」
言ってから気付く。しまった。これじゃあ自分から昨日の話題を振ってるようなものだ。
そして、ラウはこの機会を逃さず食らいついてきた。
「うん、聞いた。でも、僕は最初から君とあの子が違う存在だってことをわかってる。わかってないのは君の方だ」
「……何、を」
「君のこと、深く知ってなきゃ気にかけちゃダメなのかい?誰だって全く知らないところから始まるんじゃないか。それを君は許してくれないのか。気になるから知りたくなる、そんなの普通のことだろう」
「……この世界の僕は、僕じゃなくてユウリだ。僕のことを気にかける必要はないよ」
「必要か必要じゃないか?そんな言葉を君の口から聞くなんて思わなかったな。まぁ、そんなの関係ない。僕は、君が気になるから関わろうとしている」
ラウは僕との関係を構築しようとしている。王様でない僕と。
ここまでまっすぐな理由だと、何を言っても無駄な気もしてくる。が、ここでひくわけにはいかない。
「でも僕はラウに知られたくないことがある。だから無理だ」
「知られたくないことのひとつやふたつ、僕だってあるよ。君にだって全てをさらけ出せなんて言ってない」
「違う。ラウ、違うよ。ねえ、なんでそんなに僕にこだわるのさ?ラウのそばにはユウリがいるじゃないか」
ラウがぱちりと瞬きをする。
「君が言ったんじゃないか。君はユウリと違うって」
「あ?」
だんだん自分が何を言いたいのかわからなくなってきた。
目の前のにっこりと笑うトランの英雄が怖い。このパターンはまずい。
「さあ、他になにか言うことはないかい?」
それはそれは綺麗な笑みを向けられる。
ちくしょう。
言葉づかいが悪くてすみません。でもこういう時に使う言葉だと僕は認識してます。
「……僕は何を話したら解放されるのでしょうか」
「君は捕虜かい」
「気分的には当たらずとも遠からじ……」
まるで首根っこを捕まえられた猫の気分。ラウの満足する答えを返すまでは離してくれなさそうだ。
僕が力なく項垂れていると、頭上から「あのさぁ」と声がする。
「僕といるの、そんなに嫌なの?」
今は嫌です。
と、伝わってないことが驚きだ。こんなに態度や言葉で示しているのに。
「だって……ラウって僕が言いたくないことを言わせようとしてるじゃないか。嫌で当然でしょ」
「嫌って、嫌って言われた……!」
「自分が聞いたのに」
「君が言わせたんだよ。あまりにつれないから」
つれないとかそういう話じゃなかったはずだ。
「もう!だったら尚更早くユウリのとこに戻ったらいいじゃないか」
「なんでそっちに行くかな。戻らないよ。僕は君といたいんだ」
「僕は一人でゆっくりしたいんだってば」
「僕が行ったあとでゆっくりすればいい」
「……解放してくれる気はあるんだ?」
「あのねえ、僕を一体なんだと思ってるのさ……」
ふと口を噤み思案顔になったラウに嫌な予感がする。
「……君はユウリに対して劣等感を抱いているのかもと思ったんだけど。どうやらそれだけじゃないみたいだ」
こういうことばかり的中する。僕は悲しいやら空しいやらで肩を落とした。
ラウと目が合うと、彼は軽く吹きだした。このタイミングで笑うなんてありえなくないか。
「ユウリ。怖いよ。心底嫌って顔してる」
「!わかってるならっ」
「止めない。僕は今日、君と語るって決めたんだ」
なんて迷惑な決意表明だ。
何度目かわからないため息を落とし、答える。
「でもラウ。……僕は、ラウにだって、皆にだって嫌われたくない」
いつか離れる場所だとしても。自分の世界の人たちじゃないとしても。
自分が好きな人たちから嫌われたくないと思うのはいけないことだろうか。
ラウは顎に手をあてて、首を傾げる。それだけの動作が妙に優雅に見えるのは何故だ。
「皆には聞いてみないとわからないな……、でも僕が君を嫌うなんてことないと思う。っていうのは君にとって答えにならないんだろうね」
そして次にこちらへ向けた視線は静かで、それまでの明るくてくだけた雰囲気とは異なっており、僕は何を言われるのかと構える。
「ユウリ。じゃあ、君は?僕が何をしてきたか君は知っている?僕にも言えないことがあるって言ったよね。君と同じように、知られるのは怖いと感じている。……君は僕を嫌うだろうか」
ラウの言葉は耳に滑り込むように入ってきて、心にまで届く。
僕はこの人の何を知っているというのだろう。
8年前に協力してもらい、ほんの少しの間笑顔を向けてもらっただけでラウを知った気になっているのか。
ラウに初めて会ったときに垣間見た暗闇を突然思いだした。本当に、突然。
真っ黒の瞳に一瞬過った、揺らぎ。それきり僕が見ることはなかったが、それが彼の心に影を落としているものだということはわかった。彼にとって重たく辛いものであることも。
でも。
「……でも。それでもラウは優しい人なんだと思う」
今だって。普通、こんなに話したがらない人の話なんて聞かなければいいだけだ。その方が波風が立たないと誰にだってわかる。でも、ラウは波風が立とうと僕と向き合うことを選び、辛抱強く待っている。それは間違いなく彼の優しさだ。
ラウが目を細めて笑みを溢す。
「ほら。そうやって君は人を受け止めるのに。自分のことは受け止めさせまいとするんだね」
あの子にもそういうところあるけど、と小さく笑い。
「ねぇ、ユウリ。人は基本的に受け止められたいものなんだよ、たぶん。だから無条件でまるごと受け止めてくれる君に感動する。嬉しくて、そばにいると安らいで、もっとそばにいたいと願う。もっと知ってほしいと思うし、もっと知りたいと思う」
穏やかな黒の瞳がふわりと温かみを帯びる。
「僕はだから君に惹かれる。ねえ、君は優しいんだよ。知らなかったのかい?」
優しくなんてない、という言葉は喉の奥で引っかかって出てこなかった。胸の上で拳をきゅうと握る。
「ユウリ。僕だって君を受け止めたい。君が、僕を優しいと言ってくれたように」
僕がなにをしてきたか知らなくても、そのままの僕を受け止めるという。
そして、僕があなたのことを知らなくても、受け止めていいと。
凝り固まっていた心が、蕾みが綻ぶように解けていく。
ああ。
本当だね、ラウ。
受け止められると、嬉しい。