僕はグリンヒルに到着してから、休みなしに雑用に走った。
情報屋として紛れて連れてきてもらったが、人数的にも対外的にも、雑用係としているというスタンスの方が都合が良かったからだ。
そしてそれは結果的には僕の精神的にも都合が良かった。すべきことでもないと、心に身体がひっぱられて動かなくなりそうだった。

少し、自分が精神的に不安定になっているという自覚があった。
こういうときは無理やりにでも動き続け、そして倒れるように寝てしまうに限る。以前、ルックにそう話したところ「君はなに、マゾ?」と真顔で言われ絶句したことがある。そんなつもりは全くない。単に、体育会系だということだろう。たぶん、ビクトールあたりに話していたら同意を得られたと今でも思っている。




がむしゃらに働き、棒のようになった足であてがわれた宿に辿りついた頃にはすっかり陽も沈んで、僕も落ち着きを取り戻しつつあった。
単に疲れて頭の回転が鈍くなっていただけかもしれないが、ここしばらく頭の中を占めていた問いかけに意識をもっていかれることがなく、それが何より助かる。

あとはもう寝るだけだ。
気合いをいれて六人部屋の扉を開き、空いているベッドを探そうと見渡し、一点で目がとまる。

目立ちすぎだ、あの人。

ラウ=マクドールが一つのベッドに腰かけていた。
おそらく、あのベッドは僕が使うことになるだろう。
というか、広くもない部屋で、同室者と思わしき人たちが皆してそれぞれのベッドの、ラウから一番離れた端に座っている。
なんて落ち着かない光景だ。少しげんなりする。

しかも彼は何故かこちらを睨んでいる。
一体なんだというのか。てっきりユウリと一緒にいて忙しくしているものだとばかり思っていたが。
とりあえず彼をこのままにはしておけない。状況からして僕を待っていたには違いないだろうから。

「あの、外に出ませんか」
「もちろん」

自分の声に疲れが混じっている自覚があったが容赦してもらおう、間違いなく僕は疲れている。
ラウだって疲れているはずだが、するりと立ち上がりドアへ歩いてくる彼の動きは無駄がなく、また洗練されたもので、僕はなんだかため息しかでない気分になった。

部屋を出るときに室内の人たちへ、小さく「すみません」とひとこと告げる。
ドアが閉まる瞬間に中からホッとしたような空気が感じられた。
本当に、すみませんでした。




大通りから外れた路に入り、立ち止まる。

「いつから待ってたの?なにか用があれば伝言しといてくれたらこっちから行ったのに……」

ラウはここまで無言だった。だから尚更なにか重要な用件でもあるのかと思ったのだけれど。

「……もしかして、ユウリに何かあった?」

あの後、休憩時にユウリは元の馬車に戻っていた。僕自身誰ともあまり話したい気分でもなかったため、馬車を降りた際に待っていたラウにユウリを任せ、さっさとその場を去ったことが多少なりとも気にはなっていた。

すると、ラウは深く息を吐き出し、ゆらりと身体を傾がせると家の外壁にもたれかかった。
その様子はラウ=マクドールにしてはくだけており、僕の瞳にらしくなく映る。

「違うよ。君のことが気になって」
「……うん?」
「ユウリは大丈夫。そうだ、伝言。本人が直接言いたがってたけど、やっぱりスグに自由に出歩けそうにないから代わりに僕から。約束だよ、ってさ。僕には何のことだかわからないけど、言えばわかるって。わかる?」
「う、うん」

いや、ユウリが大丈夫なのは良かったけど、僕のことってなんだ?そっちが気になるじゃないか。

ラウの目線が静かにこちらを窺う。居心地が、悪い。

「……本当に大丈夫だね?」
「大丈夫、だけど」

何が心配なのかはよくわからないが、とりあえず僕は大丈夫だ。

「君が馬車から降りてきた時。僕は君を放ってユウリの元に行ってしまったから。ごめん」
「え。いや、だって。ユウリのことをお願いしたのはこっちだし……。やだな、そんなことを気にしてたの?」

思いつめたような厳しい顔をして、雑用係の部屋まで来て。
本当、ラウ=マクドールらしくない。
でもなんだか。

「ラウって真面目だね」

くすっと笑いが漏れてしまった。
ラウが眉を顰める。

「僕って君にどういう認識をされているんだろうか」

はて。
そういえば、元々僕は彼のことを真面目な人だと思っていなかっただろうか。

「あはは。よくわかんないや」
「なんだい、それ」

眉を下げてラウが小さく笑顔をこぼした。
僕の知るラウはこんな表情を見せない。眉を顰めるなんてこともなかったと思う。
でもたぶん、向こうの彼だってきっとこんな顔をするのだろう。ただ、僕が知らないだけ。僕が知ることのなかったラウの表情。

「……ユウリだから、なのかな」

僕ではなくて、ユウリだから。

僕の呟きに、ラウが「え?」と聞き返してくるが、笑って首を振った。
するとラウの表情が若干曇る。

「その、笑って誤魔化そうとするの、やめて欲しいな」
「えっ」
「誤魔化そうとしただろ」
「……」

そんなつもりは、あったような、なかったような。
はー、とため息がひとつ。そうだ、僕の知ってるラウはため息だってつかなかった。
なんだ、僕は本当にラウのことを全然知らなかったんだな。

でも。目の前にいるラウは、僕の思っていたラウとはだいぶ違うけれど、優しい人だっていう印象は変わらない。
そう思えば思うほど。
やっぱり僕は本音は話せないと思ってしまうんだ。

「ごめんね。ラウ」
「ちゃんとわかってる?」
「わかってる、わかってる」
「わかってないだろ」
「わかってるよ」

もう戻ろうよ、と歩みを再開させると、ラウも壁から背を離して歩きはじめる。
路地を抜ける手前で、後ろから声がかかった。

「君は頑固だって、僕は知ってる。だから、君が決めたことを簡単に覆すことはできないんだろうって思ってる」

そのまま大通りに出てしまえばよかったのかもしれない。でも、足を止めてしまった。後ろの声は徐々に近づき、僕の心臓の鼓動は足音に比例してにわかに大きくなる。

「ユウリ。僕らが君にかかわることを、君はあまり良くは思ってないみたいだ」
「……そんな、ことは……だって、僕は皆と話せて嬉しいし……でも」

でも、あなたたちが僕に巻き込まれることを僕は良しと思えない。
僕にかかわることで、あなたたちの時間が使われたり、心配をかけたり。そういったことは苦痛だ。

「僕らがそれを望んでいるとしても?」

僕はほんのりと笑みを作る。存外に気持ちの悪い笑みだと自分で思う。
ラウたちはそう言ってくれるだろうと思ってた。
僕はたぶん、ラウたちが思ってるよりも強かなんだ。

あと数歩で明るい通りに出られる。
でもラウがそれを許そうとしない。この薄暗い路地で、この話題を終わらそうとしている。

ああ、僕は疲れてるな。
今日はたくさん移動した。馬車に乗り、歩いて、走って、階段の上り下りを繰り返した。
あらためてそう思うと、より一層疲れを実感させられる。

「ユウリ」

面倒くさい。
そんな失礼なことを一瞬考えた。そういうことを考える自分は嫌いだ。僕のことを心配してくれる人に対してこんなことしか思えない僕は。
こんな僕を、知られたくない。

「……ラウ。疲れてるんだ。今度時間に余裕があるときに」
「ユウリ。今度じゃだめだ。でないと、君はきっと本音を言わないだろう?」

ラウは僕のことをよく知ってる。そうさ、こんな時でないと僕は本音を言わないかもしれない。いつもならもう少し色んなことを考えて、頭の中で整理させてから言える。
もう、いいかな。
ラウも言ってほしいみたいだし、僕も疲れてるし。

振り返る。
逸らされない、ラウの瞳。薄暗い路地の中で、その瞳は力強く煌めいている。
闇より深く濃い黒が眩しくて、僕は目を逸らして逃げ出したくなった。
本音を言うほかに、この場を離れる手立てはない。
重い口を開く。その口から吐かれる言葉も同様に重かった。

「……僕は、ラウたちの知ってるユウリとは違うよ」

何故、あなたたちは僕を気にかけてくれるのか。それは、『ユウリ』だからだろう。
でも僕は、あなたたちに親切にしてもらえるようなことは何もしていないんだ。
僕は、国を、責任を。あなたたちを、みんな置いていった。

そんな僕だから、ラウとだって親しくなることができなかったんじゃなかろうか。

あなたたちは僕を正しく認識しているのだろうか。
本当の僕を知って、それでも望んでくれるというのだろうか?

自分の選択を悔いているわけではない。僕の選択はこれしかなかった。でも。

数日前。ユウリの私室で、僕はユウリに感謝の意を伝えた。その時は確かに感謝でいっぱいで、あたたかい気持ちで心は占められていた。なのに、今。僕は不安に揺れている。
ここの皆は、僕が何をしたのか知っても僕を受け入れてくれるのだろうか?
シュウやクラウス、ラウやシーナは、僕がデュナンを出て旅をしていることを知っている。笑顔で接してくれている。でも、本当に?はじめは驚きが先行して、状況を受け止めるしかないかもしれない。でも、僕のことを本当に知って、それでも笑えるだろうか?
僕は、あなたたちを、デュナンを置いて去りました。笑って許せますか?
あなたたちが僕に対し優しいのは、ユウリとの良い関係から来るものだ。本当は僕との間には何もないに等しい。
僕は、僕の世界のあなたたちをきっと裏切った。




短くて長い、わずか数秒間。
ラウの返事がないのを受け、僕は彼に背を向け、大通りに出た。
まだ店には明かりが灯り、中からは賑やかな笑い声が聞こえてくる。通りも足音が絶えず、自分の左右を顔も名も知らぬ人たちが通り過ぎる。
後ろからはラウがついてきているかもしれないけれど、足音は通りに溢れる様々な音にまぎれて判別できなかった。
空を見上げると、街の灯りに邪魔されて、星はひとつも見えなかった。

僕は、この世界にきて、はじめて孤独を感じていた。
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