「ユウリ―!」
名を呼ばれて振り返ると、義姉ナナミが手を振っていた。丘に吹く風は強く、ナナミはもう片方の手で髪の毛を押さえて顔にかかるのを防いでいる。
「なにー?」
風に負けまいとこちらの声も自然と大きくなる。
「買い物追加ー!塩が足りなかったぁ!」
わかった、の変わりに片手を挙げて応えた。
「……塩って。今日の買い出しの中で一番重要な物な気がする……」
何が足りないコレが欲しいとナナミは1時間かけて考えて厳選したはずだった。にもかかわらず、必要不可欠な塩を忘れているあたりがなんともナナミらしい。思わず口元に笑みが浮かぶ。
ナナミに頼まれた食糧や雑具の買い出しに、近くの村へ向かう。村での宿泊も考慮したが、宿屋がすでにキャンセル待ちであったことと、自分たちの懐程度の具合から、村の近くでの野宿を決めた。幸いここらは治安が比較的良く、それでなくても僕らは星空の下眠りにつくことが少なくない。
また、僕もジョウイも、そしてナナミも、そこらのモンスターや山賊といった相手に負けない程度には強かった。
陽はまだ高く、薄水色の空を見上げれば細い雲が流れていくのが見える。目指す村は見渡しの良い場所にあるため野宿する場所から見ることができる位置にあり、まっすぐに足を向けて歩く。短い草に覆われた地のところどころに木が立ち、目に優しい風景が広がっている。村の、その先へ目をやれば遠くに緑の山々が見渡せる。流れる雲はその山の先へと運ばれていた。
空の眩しさと、山の先に僕らの未来を思い、緩く瞼を下ろす。瞼の上にあたたかな光が落ち、足の裏に柔らかな草の感触が靴越しにも伝わってきた。
***
買い込んだものをチェックするため、道具屋を出たところで立ち止まり、紙袋の中身を覗き込んだ。
「ユウリ、なんで君まで来てるんだい?ナナミは?」
「ジョウイ」
肩を引かれ、そのまま横を見上げると幼馴染の驚いた顔があった。僕は肩をすくめて答える。
「うん、ナナミに食糧調達もろもろを頼まれちゃって」
「ええ?足りないものがあれば明日の出発前でいいって話にならなかったっけ?それに僕が来てるのに君までって」
「それはもうナナミに言ったよ。それでも行ってこいって言うんだ。ジョウイだって想像つくだろ?」
「ああ……うん、まぁ……」
ジョウイは肩を落とし、深くため息をつく。ジョウイは、ジョウイと僕の武器を整備しに先に村へ赴いていた。手にはジョウイの棍と、僕の剣がある。
「ありがと、もう出来上がったんだ」
「うん。あんまりこの村で整備に出そうって人がいないみたいで、スグに取りかかってくれたよ」
剣を2本受け取り、さっそく腰のホルダーに差す。
まさか丸腰で村まで来たのかと問われ、ポケットに入れていた小さなナイフを見せると、ジョウイは苦く笑った。その表情が語っているのは、それで護身のつもりか、だろうか。
僕は国を出る際にトンファーを置いていき、それ以降双手剣を身につけるようになっていた。今のところ基本的には体術で事足りているが、剣はなにかと便利である。
ジョウイも一度は棍を置いたが、1年ほど前から再び棍を握るようになっていた。剣より棍が合っていると笑う彼に、僕もなんとなくその通りだと思った。
「買い物はもう済んだのかい」
「たぶん。今チェックしようと思って」
「それで道の真ん中で立ってたの?目立ったから気付けたんだけど、危ないし迷惑だよ…」
「ご、ごめん」
道の端に向かいながら紙袋の一つをジョウイへ手渡す。まったくぽやんとしてるんだから、とぼやきながらも紙袋を受け取ってくれる。
ジョウイの色素の薄い髪の毛が風にサラサラと揺れる。
ジョウイは国を出る際、長かった髪の毛をバッサリと切り落とした。少しでも正体がバレるようなリスクを減らすために、迷いはなかったという。
元々それほどこだわりはなかったのだと言う彼に、じゃあどうして伸ばしていたのかと聞いたら、「昔、君とナナミが僕の髪が綺麗だって言ったからだよ!」と何故だか怒られた。
「……何?」
僕の視線に気づいて、紙袋の中を確認していたジョウイがこちらを向いてきた。僕はにやりと笑って答える。
「いやー、相変わらずジョウイの髪は綺麗だなぁと」
「……もう伸ばさないよ」
「伸ばしてほしいなんて一度も言ったことないけどね」
ううっ、と呻き声を出すと、くるりと背を向けて歩き出す。言い返せないのが悔しいのか、恥ずかしいのか、短い髪の毛から覗く耳が赤い。
「ユウリ、帰るよ!ナナミが待ってるだろ」
「うん」
ジョウイの背中に昔揺れていた長い髪はないけれど、短い髪の先は昼間の光で白く光り、やっぱり綺麗だなと心の中で呟いた。
ジョウイが僕とナナミの一言に影響を受けて髪を伸ばしていたらしいことをからかったが、僕にも同じようなことがあった。
昔、じいちゃんに縁日で買ってもらった金環。あれをずっとつけていたのには理由がある。ナナミやジョウイが似合うと言って、外そうとしても外させてくれなかったからだ。気付いた時には外す気が起こらなくなり、いつのまにかトレードマークになっていた。
そして現在。
僕の額に、金環はない。
これも国を出る際に置いてきたものの一つである。
戦争中、何度か言われたことがあった、僕の赤い胴着と金環は同盟軍リーダーの特徴であると。だから公式に他所の街を訪れる際などは必ずそれらを合わせて身につけていたのだ。
ジョウイのように、僕も同盟軍リーダーだとわかるような特徴は取り除く必要があった。
思い出のつまった金環を外すことに多少の寂しさはあったが、やはりリスクの軽減にはかえられなかった。元同盟軍リーダーも元ハイランド王も、外の世界にいるはずがなく、共に歩いているなんてことがあってはならないのだ、絶対に。
ナナミは金環は持っていけばいいと言ったが、感謝と謝罪の意味も込めて、僕の軍師へ残した。彼があれをどうしたのかわからないが、僕にとってシュウへ渡すという行為に意味があった。
風が何もない額に当たって、前髪を散らす。
金環を外した僕に、僕自身もジョウイもナナミもすっかり慣れていた。
「ユウリ。そっち重い?変わろうか」
「平気、平気。僕は両手使えるんだし。せっかく綺麗に磨かれた棍、落とさないようにしてよ」
彼の右手には先端に竜の細工がなされた棍が、左手には紙袋が握られている。
ジョウイが目を細めて、勿論と笑う。
僕はジョウイとナナミが笑うと嬉しくなる。
2人の笑顔を守ることが僕の幸せなのだと感じる。
守るべきものは、ここにある。
「さて、ナナミをひとりにしとけないし急ごうか」
「ナナミなら何が来ても大丈夫だと思うけどね」
「僕はナナミがご飯を作り出さないかを危惧しているんだよ…」
「うん、ジョウイやっぱり早く帰ろう」
2人して少し足を速める。
その歩幅は少年であったあの頃より広くなっている。
国を出て8年。
僕らは、常なる多少の不便さを抱えつつも、穏やかと呼べる日々を過ごしていた。
そして、別れは唐突にやってくる。