「しっかり!!」
土ぼこり舞う戦場に倒れた同志に、馬の嘶きと共に少年の声が空から降って
きた。
鮮やかな手綱さばきで馬を止めると、ヒラリと地面へ降り立つ。
「ユウリ殿!?ここは我らにおまかせを。早く陣へ戻られてください!!」
私は声を上げながら、飛んできた矢をひとつ、またひとつと払い落とした。
こちらの声を聞いてか聞かずか、そのまま横たわる兵士の傍らへ座り込むと、
耳元へ口を近づけてゆっくりと話し掛けた。
「しっかりするんだ。もう戻れるから気を確かに。いいね?」
「ユ、リ・・・殿・・・?」
今朝、出陣の際に聞いた軍主の声に兵士が反応を示す。
「生きて戻る。そう強く願うんだよ」
「・・・・・・っ」
その兵士は苦しさのためか、感極まってか、言葉は出さずにただ弱々しく、
だが口をギュッと引き締めて頷いた。
「よし」
血のついた兵士の頬に手を一度当ててから立ち上がり、私の姿を見つけて
駆けてきた。
「ボリス、ご苦労様!!」
「そんなことを言っている場合ではありません!早く陣へ、ここは危険です!!」
そう言いながら返ってくる言葉を半分以上予想していた。
『危険だからといって、放って行けるはずがないじゃないか』
今までにも数回このセリフを聞いたことがあった。
時に戦場で、時に会議室で。
その都度に周りの者と同じく思わず苦笑したのだが。
しかし、彼は明るい笑みをひとつよこすとこう言った。
「大丈夫、皆に手伝ってもらってるから」
私はその言葉にようやく土ぼこりの中へと気を巡らした。すると中から青いマントの端が
見え隠れし、器用に剣を片手に紋章を使う者や紋章を二ついっぺんに発動させる
者の姿、そして姿は見えないものの聞き覚えのある掛け声やガンの音が聞こえて
きた。
「こ、これは・・・・・・」
「陣へ戻る最中に合流できたんだ、だから来た。さあ皆を連れて帰ろう!」
そう簡潔に答えると兵士らが倒れているこの場をぐるり見渡した。
戦場に充満している様々な騒音を突き抜けて、リーダーの声が高らかに響き
渡った。
「我は軍主ユウリ!!同盟軍の兵士らよ、立て!!」
血を流し、希望を失いかけていた兵士がその声に体を起こす。
「ユウリ・・・殿・・・?」
「まさか・・・」
疑いの目を向けるも、瞳に映るのは鮮やかな赤い衣服を身につけた自分達の
主に他ならなかった。
「我らが援護に駆けつけた!!さあ立て!!」
毅然としたリーダーの声は希望となり、希望は力となって、兵士たちの残り
少なかった気力を奮い立たせた。
「リーダー・・・!」
兵士の声に力強い瞳を向けた少年は、ここが凄惨な場である
ことを忘れさせるような柔らかい笑顔を零した。
「戻るよ」
「は・・・はい・・・!」
軍主殿に導かれるように次々と立ち上がる傷ついた兵士たちの姿を、私は
不思議な思いで見ていた。
「ボリス。腕を怪我してる」
いつのまにか目の前に立っていた少年に私は慌てた。
「え?い、いえ!軽傷です!」
「ほんと?でも早く手当てしなくちゃね。じゃ、あとの指揮をお願いします」
ごく当然のように、また穏やかに主導権を返されて、私は瞬きを返した。
「僕ではこの部隊の編成がわからないもの。ボリスの的確な指示が欲しい」
兵士たちへ視線を巡らせながら言った。そして私を見上げる。
「ありがとう。ここまで耐えてくれて」
返事ができずぼんやりと軍主殿の横顔を見ていた私に、振り返ってニコリと
笑った。
「僕は援護の手伝いに行ってくるから」
よろしく、とは赤い着衣の裾を翻した背中で語っていた。
あっという間に馬に跨り、土ぼこりの中に消えていく。
時に甘さの出る軍主殿を困惑の思いで見ることもある。
そしていかな強い
援護部隊ができようと、それにリーダー自ら加わることを私自身は必ずしも
良いこととは思っていなかったし、今でも変わらずそう思う。
が、今。絶望の淵を歩いていた兵士たちが、確かに彼の声に勇気を与えられ、
彼の姿に再び希望を見いだしたのだ。
「・・・貴方の信頼に応えられる部下でなければいけませんね」
嬉しさと安堵に緩みかけた口元をきゅっと引き締めなおすと、部下へ向き
直して自分もまた声を上げた。
「隊列を組み直す!馬の数と怪我人の数を報告しろ!!」
無事陣へと帰還し、私は自部隊員に新しいグループ編成と役割分担を命じると、
陣の端に設営されている医療テントへと向かった。数々のテントの間を抜け
ながら、軍主殿の姿を探す。今日のことの礼を告げたかった。
先ほど軍主殿のテントを伺ったところ、中では軍師殿と数人の将のみが
ミーティングをしているところだった。ちょうどよいところへ、と声をかけ
られたが、その場に軍主殿の姿がないのを見て、後から加わることを告げた。
所在を尋ねれば、シュウ殿は苦い顔をして答えた。
少しだけ出ると言ってかれこれ一時間になる、と。
軍主殿に会うことなく医療テントの前にたどり着いた。ここには今日の戦いで
多くの部下が運ばれていた。
入り口をくぐってみると、広いテント内にはところ狭しと兵士が寝ており、
その間を救護班が忙しく動いていた。兵士らの苦しそうな声、そして血の匂いが
辺りを埋め尽くしているが、私は眉もひそめずにスタッフ一人を捕まえて自部隊
員の様子を大まかに尋ねた。
比較的軽傷な者はそのテント内におり、姿を見つけては声をかける。皆、傷の
痛みに顔を歪めているものの悲壮感はなく、生還できた喜びの方が見て取れた
のでほっとする。完治に励むよう告げ、そして待っていることも付け加えてこの
場を後にした。
重傷を受けた者、重体の者は別のテントに収容されていた。ここを訪れる時、
私の心は少なからず重たくなる。決して慣れることはないであろうこの感情に、
いつものように仕事というフィルタを下ろしてテント内に足を踏み入れた。
そこに、先刻まで自分が探していた少年の姿を見つけた。
私が入ってきても振り向かず、寝ている兵士の手を取り、何か話し掛けていた。
一瞬近づいてよいものか迷ったが、手を取られている兵士が私の部下だとわかり
足を進めた。
兵士を挟んで軍主殿の向かい側に自分も座り込み、部下の名を呼ぶ。すると
反応を示して私の名を呼び返した。
「ボ、リス・・・将、軍・・・・・・ああ・・・、来て、くださった、のですか」
包帯やガーゼの当たってない部分を探した方が早いと思われるその兵士は、
辛うじて無事だった左目でこちらに見上げた。
「当然だ、お前は私の部下だ。無事で嬉しい」
私の言葉に僅かに微笑む、ような筋肉の動きを見せた。無事でなんかあるはず
ない。本人もわかっているに違いない、だがそれを私が示すわけにはいかなかった。
「すみ・・・ませ・・・、こんなとこ・・・で、もっと・・・力に・・・・・・っ」
痛みが襲ってきたのか、体をギクリとさせると激しく喘いだ。
「しゃべるな。安静にすることが今お前に与えられた任務だ。回復したらまた力
になってもらう」
どれほどの効果があるかはわからない、ただ私は彼を落ち着けるように言葉を
かけることしかできなかった。
「はい・・・、は、い・・・」
うっすらと瞳に涙を浮かべる兵士の頭には、この短い会話の間にも赤く染まっ
ていく元白い包帯が幾重にも巻かれている。
ゴボ、と兵士の喉が嫌な音を立てた。
次いで咳が血と混じりながら吐き出さ
れる。救護班が駆けつけ、咳をなんとかおさめた兵士は体全体で息をしながら
血の気のひいた白い顔をこちらに向けた。
「しょ・・・ぐん、貴方、の・・・部隊・・・っに、配属、され・・・良かっ
・・・」
「私もお前がいて助かった、お前はよくやった」
ここまで、と思った。苦しげに歪んだ顔にほんの少しだけ安堵の表情が浮か
んだ気がした。そして。
「ユ・・・リ、殿・・・・・・」
「ここにいるよ」
握ったままだった手がもう一度握り直され、優しい声がかけられた。
私はここでようやく軍主殿の顔を見て驚いた。彼はいつもの柔らかくあたたか
い笑顔を浮かべていたのだ。
「ここにいる」
と、繰り返す。
「助け、に・・・来て・・・くだ・・・り、ありが・・・っ」
ヒュッと息を吸う音がする。少年はゆっくりと首を振った。
「ううん。いつも貴方たちが僕を助けてくれているんだから、礼には及ばないよ」
「い・・・え・・・、あの、場所・・・で、命・・・をっ、終え・・・とおも
・・・ました・・・。ここ、に、戻って・・・うれし・・・。あ、貴方・・・の、
元、に・・・。貴方、が・・・ここに・・・」
乱れた息の下、兵士は確かに微笑んだ。
ユウリ殿は握っていた両手のうち、片手を離すとそれを兵士の頬へそっと
添わせる。そして慈しみに彩られた瞳を穏やかな笑みと共に兵士へ落とした。
「貴方が仕えてくれたことを誇りに思います。貴方に心からの感謝を伝えたい。
ありがとうございます」
兵士の左目に透明な光の粒が生まれ、頬を伝い落ちた。
「ユウ・・・リ、ど・・・の・・・?・・・私・・・の・・・ため、に・・・
・・・」
私は兵士の唇の動きが止まり、次いで瞼が力無く下りたのを見届けた。
しかしながら、その兵士の表情に私は目が離せないでいた。
彼の頭や右目には赤く濡れた包帯やガーゼが当てられて痛々しく、その傷の
深さ、辛かったであろうことがわかるのに。
その表情を見、実は痛み
を感じていなかったのではないかという有り得ない思いがよぎったのだ。
閉じられた左目と動かぬ口元。そこには間違いなく安らぎがあった。乾いた
血と、まだ乾かぬ涙の跡を残した頬には微笑みすら浮かんでいて。
この者に何が起こったというのか。
いつのまにか彼の胸の上には手が重ねられていた。
と、ぽた、と兵士の服の上に水の落ちた音がしたのに私は気がついた。
彼はもう泣くこともないのに。音のした個所を見れば真新しい水の痕がいくつか
あった。そしてこの間にも、ぽた、ぽた、と水が滴り、新しい染みを
作っている。
その上にある少年の顔に行き着いた私はまたしても目を見張ることになった。
茶色みがかった黒の双眸から止まることなく溢れ、流れ落ちる大粒の涙。
いつから涙を流されていたのだろう。
そんな疑問が頭に浮かんだが、兵士の最後の言葉を思い出した。
わたしのために。
わたしのために・・・涙を?
しかし横たわって自らも涙を流していた
あの兵士に、ユウリ殿が泣いていたことを知ることができただろうか。
それとも
主自らの感謝の言葉と、傍にいる間中注がれていた穏やかな笑顔に・・・?
首を振る。
ああ、それがなんだったにしろ、彼に向けられた主の全てに。
なによりもきっと傍らに在ったユウリ殿自身に。彼は微笑みながら逝った。
それにしても、私は涙を流す軍主殿を見ながら、胸が痛まないことに我ながら
不思議に思った。
単に驚きが勝ってしまったのだろうか。
その涙はあまりに透明で綺麗な涙だった。
はっ、と我に返り、ポケットからきちんとたたんだハンカチを取り出す。
「ユウリ殿」
目の前に差し出されたハンカチに少年は一瞬驚いて瞬きをした。目にたまった
大きな涙の粒がぼろりと落ちる。
そして私の手からハンカチを受け取ると涙を拭いた。
「ありがとう、ボリス」
私の目を見ると、少し恥ずかしそうに笑う。
ハンカチをしまおうとするので、受け取る為に手を出すが、ちゃんと洗って
アイロンもかけてから返す、と言われた。
私はそんなつもりはなかったのだが、
軍主殿がこういうことに頑固なことを知るには既に充分な時間を過ごしていた
ので、素直に聞くことにした。
少年はすくっと立ち上がると、テントの出口を向いた。
「ボリス、行こうか」
「はい」
想像していたよりもしっかりとした声に、こちらもしっかりと答える。
ユウリ殿はテントを出る寸前、短く中を振り返った。
チラと垣間見たのは静かな笑み。
兵士の死には嘆くよりも感謝の意を示して欲しいな、と思ったので。
できれば涙を流してはいても悲しみだけでないように書きたかったんですが、
そこまで書き込むことができていませんね・・・。
己の文章力の無さにギブアップ。無念ー!
でも、それくらいにティントイベントを終えた2主には強くなっていて欲しい。
・・・ような、欲しくないような(どっちだ)