「・・・・・・風邪、だって?」


勝手知ったる、といった体でデュナン国主の執務室に乗り込んできた青年は空の机に腰を預け、剣呑な瞳で最も近い位置に席を取る男を ねめつけた。
睨まれた当の宰相はこれといって動揺することはなく、そうです、とあっさりと首肯だけを寄越す。 いつに増して淡白な反応はどうやらセイの相手をしている暇などないと言いたいようで、返される言葉を待つことはなく視線もすぐに 書類に落とされる。
普段ならば、今のように突然に邪魔立てをしている自覚があるときはセイは黙って引き下がるが、彼らの仕事が増えているそもそもの 元凶を思えば追求せずにはいられない。
意図的に足音高くシュウの机に辿り着くと、片手を置いて身を乗り出す。


「何故倒れるまで放っておいた」


部屋を訪ねると今は深く寝入っているところだからと追い払われた。
聞けば酷い高熱で会議の終わった途端に倒れたらしい。疲労が原因だから休めば心配ないとは言うが、それならば突然に熱を出した わけではなく会議の途中から、下手をすれば数日前からリュウの体は不調だったに違いない。
常に顔を合わせていながら、異変に気付かなかったはずはないだろうと言外に込めてセイは宰相を見下ろした。

威圧的な態度に1つ諦めの息を吐いて、シュウは文書を投げ出した。


「放置したわけではない。・・・・・・見込みが甘かったと、言わざるを得ないが」
「つまり知ってはいたんだな」
「ああ」
「それなら」
「お願いしても休んでは下さらないんですよ」


言い募るセイをやんわりと、だが断固として阻む声が割り込む。
鬼宰相と呼び声の高いシュウと稀代の英雄と称えられるセイとの睨み合いに横槍を入れられるのは、今まさに寝込んでいるリュウを 除くとデュナンには1人しか存在しない。 普段から穏やかで物腰も柔らかいクラウスが、他の政務官から一目も二目も置かれている理由はそこにもある。

同行していた官吏に書類の一切を渡して部屋を横切ってくる青年を、渋い顔でセイは見遣る。
気の弱そうな顔をしながら押しの一手などまず通用しない、相手の追及をあっさりと交わす彼を実はセイは多少苦手にしていた。 交渉の技術だけを取れば恐らくセイやシュウが勝るが、見るからに人の良さそうなこの男を相手にしていると嫌でも自分が悪役の ような気がしてくるのだ。
どちらかと言えば悪人面のシュウと良いコンビなのだ、といつだかリュウが嬉しそうに話していたが全くその通りである。


「体調のことなら自分でよく分かっているから、と仰られて」


困ったものです、と神妙に呟くクラウスが心から主の不調を憂慮していることが明らかに見て取れて、セイはそれ以上詰め寄る ことが出来なくなる。 だが見計らったように口を開いたシュウに対してはやはり不本意な心持になったが、そんなことにはお構いなしに宰相は綴られた 書類を捲る。


「殊更、近頃の我らが陛下は強がりが上達してきてな。注意して見ていてもぎりぎりまで分からん」
「リュウからは言っては来ない、と?市井ではリュウと宰相殿の絆の強さは良い噂になっているが、とんだ信頼関係だな」
「セイ殿。それは逆ですよ」


暴言とも取れるセイの言葉にも、僅かに目を見開いただけでクラウスは心外そうな声を上げる。


「リュウ様とシュウ殿は、お互いのことをきちんと把握なさってます。全力で隠し事をなさろうと思ったら、恐らくこのお2人同士が 一番最後まで気付きませんよ」


シュウとリュウはこの国が動き初めて数年間は喧嘩腰にならない日などほとんどなかった。 それだけ本気でぶつかり合った間柄である故に、相手の思考回路から視点を置く癖まで大方のことは熟知している。 それはそのまま、どうすれば相手に気付かれないか、どこにいれば相手が姿を探せないかを知っていることになっていた。

そう説いてセイに向けていた笑顔は、しかし瞬く間に再び曇る。


「リュウ様は責任感の強い方ですが・・・私はともかく、シュウ殿には甘えても良いのではと思うのですけれど」
「仕事が絡む以上は無理だな、性分だろう。それでも俺達が気付く頃には自分から休みを取っていたんだがな」


そうなんですよね、と弱々しく、けれど深いため息を付いてクラウスは肩を落とす。
抜けているところは抜けているくせにそう簡単に弱みを見せない彼が、どうして今回に限って人前で倒れるなど醜態を晒して しまったのか。一番の問題はそこだった。
その理由としては単純で、複雑な案件が同時に舞い込んで首脳陣はここ数日忙殺されていた。
ただそれだけだ。

だが手が離せなくなる前にもう少し十分な休養を取っていればさすがに倒れはしなかっただろう。
彼の疲労を見破って無理矢理にでも休ませられる人材が、デュナンにはいなかった。
それは見破るための洞察力に欠けるという意味ではない。リュウ自身が見破らせないように取り繕っているために、感づいて 深く追求したとしても本人が首を縦には振らないのだ。
或いはナナミならば、「お姉ちゃんの言うことを聞きなさい!」などの一喝で済むのかもしれなかった。 けれど、彼岸の向こうからでは彼女の声も届くことはない。

誰もが一様にそこへと思考が落ち込んで、塞いだ沈黙が僅か流れる。
その中でセイだけは考え込むように口元に指を当てて、やがてなるほどと小さくひとりごちた。


「要はリュウを甘やかす人間がいればいいんだな」


うん、と1つ、納得した頷き。
そして笑顔を執務室の人間たちに向ける。ただし宰相に投げるのは、どこか勝ち誇ったような笑みだった。


「ならばその役割は、僕が引き受けよう」


言って、鮮やかに体を翻す。
何か言葉を発しようと口を開いたシュウは、結局渋い顔で扉が重い音を響かせて閉まるのを見送った。 疲れた息を溢す上司の様子にクラウスは苦笑してシュウの机の上の書類を拾い集める。


「クラウス。セイ殿はお通しして良いと衛士に伝えておいてくれ」
「よろしいので?」
「賭けさせてもらおうじゃないか。有り難いことだ」
「相手がセイ殿でなければ?」
「・・・・・・わざわざ言わなかったことをはっきり指摘するな」


先程よりも増えた眉間の皺が答えて返る。 本気で機嫌を損ねてはいないことは分かっていたので、申し訳ありませんと詫びるクラウスの声もどこか緊張感がない。


「まぁ、初めから上手くは行かない方に1万ポッチだな」
「更に倍で」


にこやかに応えるクラウスに、それでは賭けにならないとシュウは咽の奥でくつりと笑った。
それからゆったりと、慌てることなくデュナンきっての補佐官は宰相の命を携えて扉へと向かう。
これくらいのやっかみは受けてもらっても良いだろうと思いながら。














ぼやける視界に、リュウは瞬いた。
瞳と天井との間に霞がかかっているわけではなく、単純に熱に浮かされた頭が正確に景色を捉えていないだけではあるが、 曖昧に揺れる世界が心地よくはないことに変わりはなくてすぐにリュウは瞼を下ろす。
そうして瞳に被せられた皮膚もかなりの熱を持っていて、ああと改めて溜息をつく。

真の紋章とは便利なもので、多少疲れようが怪我をしようが生命力という点で宿主をサポートしてくれる。
そのことに気付いてからは無茶のし放題、とまでは行かなくてもいいように利用させてもらってはいる。 シュウやクラウスに知られたら確実に大目玉を喰らうのだろうなとは分かりながら、一旦頼ってしまうと手放せない。
統一戦争の間に何度も気を失う経験をしたことで不本意ながら自分の限界というものを体でも頭でも覚えてしまった ことも、無理を通す際の安心感に繋がっている。

だが反動は大きいものだったのだな、とリュウは今にも霧散しそうな思考をうつらに馳せる。
どうやら流石に許容量を超えてしまったらしい自分の体は、かつてないほど気だるい。
水を溢れさせてしまった器がそのまま壊れて溜め込んだ全てを流してしまったような、そんな。


「・・・・・・?」


ふと、誰もいないはずの寝室に人の気配を感じた。
けれどそれは近いのか遠いのか、頭がぼやけてよく分からない。
閉じていたかった視界を仕方なしに開ける。
眠りを妨げないために外の光を遮断した室内は薄暗い。 重い首を枕の上で少し傾けて、その彩度の低い景色の中央に人影を見つけた。

誰だろう、と3度ほど瞬きをしながら考えだが答えは出ない。
ただその人影は丸テーブルに向かって硬直したように動かない。両手にそれぞれ何かを持っていて、それを凝視しているように見えた。
もう何度か瞬きをして見つめていたが、不意に呼吸が詰まる。
熱のせいで乾きすぎた咽が張り付いてはそれでも空気を通そうと痙攣する。

胸を押さえたところで、気道が広がるわけではないけれど、寝巻きの合わせ目を強く掴む。 そうしなければ咳が喉を食い破ってしまいそうだった。 ひりひりと痛むそこから更に溢れそうな咳を少しでも塞ぎ止めようと空いた手を口元に添えても、ただ飛び散る唾液を無駄に浴びる だけの結果に終わる。
じわ、と水の膜が瞳に張った。一瞬波が収まって、待っていたように背中にそっと熱が触れる。
丸められたそこを叩くほどは強くなく、けれど一定のリズムで撫でる手の持ち主を今は涙で滲む眼で見上げた。


「っセイ・・・さ・・・?」
「・・・・・・大丈夫?」


一見して大丈夫ではないことは分かったが、サイドテーブルの水を手渡しながらセイが尋ねる。
返事の前に寝床の主は水に散らされた檸檬の香りに誘惑されて、中途半端な体の起こし方をしたまま受け取ったグラスを傾けた。
ふぅ、と一息をつけたところで、いまだに温かい手が背中に添えられていることに気付く。 呼吸を楽にしてくれたその手はリュウが体を布団に戻すと同じに離れていった。
その戻る先は部屋の中央に鎮座する丸机で、先程の人影は彼だったのだとようやく悟る。


「ちょっと待っててね」
「・・・・・・何を・・・?」
「うさぎりんご」
「・・・・・・・・・・・・うさ、ぎ?」


いつもよりも格段に少ない音節の数がリュウの不調を物語っていてセイも言葉少なに返す。
その彼の手元には丸のままのリンゴが、目の前の皿には皮が残ったままだったり芯と分けられていないままのリンゴが、大きさもまちまちの欠片となって盛られていた。恐らくセイの言うところのうさぎりんごにしたかったものなのだろうが、あまりにも理想の形から離れすぎている。
その差異に思わずテーブルの上の無残な果物を凝視していると、決まり悪そうにセイが肩を竦める。


「昔グレミオに切ってもらったんだけど・・・・・・どうすればうさぎになるのかさっぱりだ」
「・・・・・・貸して」
「ん?うん」


起き上がって手を伸べるリュウにリンゴと果物ナイフを渡して、指先の熱さに眉を顰めるが彼は既にリンゴを四つに割り、自分の手に残す1つ以外を次々にセイに手渡してくるので身動きが出来なくなる。 楔の形に芯を抜き取って更に半分。細くなった最後のアーチに今度は鋭い角度で楔が刻まれ、ナイフはその下を潜るようにするすると進んで行く。そしてぽろりと、歪んだ菱形になった赤が滑り落ちてセイの記憶にあるものとまさしく同じものが現れた。
おお、と感嘆の声を上げたセイの手に剥いた皮共々を押し付けて、ふらふらとリュウはシーツの上に戻って行く。


「え、ちょっとリュウ」
「なに・・・?」
「だから、リンゴ。はい」
「・・・・・・・・・・・・え・・・?セイさんが食べたかったんじゃ・・・ないの?」
「え、いや。風邪って言ったらうさぎりんごが定番・・・・・・」
「知らない、けど・・・」


枕に顔を埋めて、少しくぐもった声が返る。
常識がただの先入観であることを知らされたトランの英雄は、瞬きの間だけ動きを止めた。
最早彼を視界に入れていないデュナン国主は手酌で入れた水をもう一杯補給し、そしてそのままもそもそと羽根布団の中に包まってしまう。


「リュウ、りんごは療養食だから食べた方が」
「うん・・・・・・でもいいから」
「そう、か。じゃぁ何か僕に出来ることはあるか?持ってきて欲しいものとか」


1人で寝るにはいささか広すぎるベッドを覗き込みながらの言葉に、いちど白い海に飲まれていた顔がゆっくりと這い出る。


「静かにしてくれたら、それでいいから・・・・・・・・・・・・寝かせて?」
「あ、うん・・・・・・ごめん。お休み」
「んー・・・・・・」


もそり、と緩慢な動きで再び柔らかな布団の中へと埋まっていく焦げ茶色を見送る。リュウが静かな寝息を立て始めるまで立ち尽くしていたが、深くなる一方の眠りの前で肩を僅かに落とす。
足音もなく寝台から遠ざかり、手の中に残ったうさぎりんごを一口齧る。

いつもは気にならない独特の渋みが、今は妙に切なく感じた。



道のりはどうやら、まだまだ遠い。
e n d

リクエスト小説という素敵すぎる企画をされていたので逃してたまるかと突撃してまいりました…!

ちょ、うさぎりんごが常識って!坊ちゃん(いっそマクドール家が)ラブです〜vvv
「“坊ちゃん&軍師”のはずがどう見ても“坊ちゃんvs軍師”に」とのことですが、待ってましたというくらいにツボでした。
軍師ズと2主の関係が特別で思わずニヤリ。シュウは勿論、クラウスも素敵!頭の中で鐘が鳴り響きました。
さらには、うさぎりんごに悩む坊ちゃんと、彼が食べるものだと思ってむいてあげる2主。リュウくんがセイ坊ちゃんをどう思って(むしろ扱って?)いるかがわかって・・・うわぁ愛しいー!!(えええ)

朝月さんから「お嫁さんにしてあげて下さいv」というお言葉をいただき、誰が帰す(誤字にあらず)ものかと当サイトにお連れしてしまいました。
ほんっとうにありがとうございました〜v