「・・・・・・山火事?」


熱心に読んでいたハイイースト州の選挙報告書から眼を挙げて、リュウは聞きなれない単語に眼を瞬かせた。
知らせを持ってきたのはクラウスで、伝書管から取り出されたばかりで丸まった癖が取れていない紙片を片手に持っている。


「はい。グリンヒル市の西部から西南部にかけて、かなり広い地域で森林・山間部に火災が起きているようです」
「かなり広い・・・・・・って、具体的にはどれくらい?」


火事と言えば戦火に巻き込まれて焼け落ちた民家を思い出す。
特に強く映像として残っているのは、ルカに残虐に滅ぼされた、トトやリューベ。
大地から熱気が立ちこめて熱い筈なのに、命の気配の消えた黒い眺めに体が震えた。

山や森とは言え、少なからずそこに暮らす人々はいるだろう。


不安げに見上げるリュウに、詳しくは分かりませんが、と前置きしてクラウスは紙片をもう一度流し読む。



「特に西部に被害が集中しているようです。グリンヒル市まで被害が及ぶことは考えにくいですが・・・・・・」
「・・・それで、もう火は消し止められたの?」
「リュウ殿。山火事はそう簡単には収まらないのですよ」


口を挟んだのはここまで決算書から視線も挙げずに2人のやり取りを聞いていたシュウで、一区切り付いたのか筆立てに羽ペンを戻して顔を上げる。
その先で何故なのか分からないと表情に出している主に、シュウは並ぶ本棚に向かいながら説明を述べる。


「町で起こる火事とは規模が違います。消化するために近付くことすら危険なのですよ、火の勢いが強過ぎますから。
 雨が降るかあるいはあたりを焼き尽くすか・・・・・・いずれにしろ自然に鎮火するのを待つより他にありません」
「そんな・・・・・・じゃぁ、住んでいるところに火が迫ってきた人たちはどうすればいいの!?」
「逃げるしかありませんね」
「・・・・・・・・・・・・」


言い切られた言葉に呆然としていると、未だに探す本が見つからないのか視線を漂わせながら、それで、とシュウが口を開く。



「それで、今私たちが為すべき事は何ですか?」


その言葉に茫洋としていた瞳が我に返る。
緩んでいた背筋が伸び、少年の顔が執政者のそれに変わる。


「焼け出された人の救援を。シュウ、まず何が必要かな?」
「何が必要だと思いますか?」
「・・・・・・・・・・・・急ごしらえでもいいから、家がいるよね。それと当座の食べ物と・・・?」
「医療品をお忘れです。それと重要なのは人手です。あとは出来れば日用品。ほとんど身一つで出て来ているでしょうから」
「あ、そうか・・・火傷した人、たくさんいるよね・・・」


ふとシュウが捨て身の策を取ったときのことを思い出す。
結果的に生きていたから良かったものの、彼ごと森を包んだ炎に愕然とした記憶はまだ生々しい。

そうかあれの規模の大きいものか、と認識を深めたところで表情はより深刻になる。



「・・・じゃあ、クラウス。今集められるだけの物資を集めて。人手は親衛隊とかから支障が出ない程度に」
「現地で職をなくした者をそのまま採用すると良いぞ」
「はい」
「シュウは他の州から物資を調達して。出来ればトランからも援助か貸してもらえるといいんだけど」
「そういう時は命令して下さい。『トランから援助を取り付けて来い』と」
「・・・はい。取り付けて来て」
「了解しました」


ほぼ同時に立ち上がった2人に僅かに遅れてリュウも立ち上がるが、結局本が見つからなかったらしいシュウに手で押し留められる。


「何処へ行かれるおつもりですか」
「え、と。もっと詳しい情報を集めてもらおうと思って」
「それは私がしておきます。リュウ殿は図書館に行ってこれを」
「・・・?」


何故今この時に悠長に本を読めと言うのだろう、と思いながらシュウが走り書きしたメモを受け取り、記されていた書名に息を呑む。

慌てて顔を上げればシュウもクラウスも退室するところで、会釈ついでの鬼宰相独特の笑顔と補佐官の気遣わしげな微笑が扉の向こうに消えるところだった。






















分厚い本を開いたまま、どさりとリュウはその横に顔を伏せた。

多過ぎる情報量に疲れたのもあるが、何故今までこちらに頭が回らなかったのだろうと、情けなくて顔が上げられない。


シュウから示された本の表題は『災害に対する国家的防衛』。
山火事に関することだけではなかったが、自然災害から国民を守ること、とりわけその被害を最小限に抑えるように事前から防災を心がけることなど考えてみれば当たり前のことにリュウはこの日まで思い至らなかった。

国の体制の基盤を作ること、それに忙しかったのは事実だがそんなことは言い訳でしか無い。
ほんの少しでも何か出来なかったのか。


この夏デュナンでは全体的に降雨量が少ないことは知っていた。
例年より暑いね、と周囲と愚痴を零し合ったことも覚えている。



そんな断片的な情報からも、この本の内容を熟知していれば警戒を呼びかけることくらいは出来たかもしれない。


山火事が起きるのは高温・低湿度・強風が揃うとき。

その3つの現象が起きていることは、知っていたというのに。





・・・・・・本当に、何をしていたんだろう。


腕の向こうに見えるのは、古い本から舞い上がって漂う埃を照らし出す窓からの光。
遠くに聞こえるはっきりとしないざわめき。
ときおり棚のいくつか向こうを通っていく、足音。



平和な空間にいても、心は休まらない。


きっと今も火事は広がっていて。

こうしている間にもまた住み慣れた家を置いて逃げなければいけない人たちがいて。



密集した森を適度に伐採しておくこと。
集落の周りはひろく空き地にしておくこと。

それが出来ていれば被害は少なくて済んだかもしれない、それに。


こうした災害が起きたときにすぐに回せる人が、いない。

シュウやクラウスは有能だから、それでも出来る限り早く人を集めて送るだろうけれど、それでも普段からそんな、自然災害の救護なんてことを専門的に組織的に訓練しているわけじゃない。



きり、と唇を噛む。


自分の家にもう戻れないことがどんなに辛いか、リュウは知っている。
『もらわれっ子』だと排斥されようとしていた街ではあったけれど、ナナミほどではなかったけれど、それでも愛着のあったキャロの街で暮らすことは恐らく二度と無い。


その事実がどんなに切ないか。



こうしていても埒が明かないと、気分の重い頭を起こす。
けれど覆った口元から出るのは溜息ばかりで、鬱々とした考えが抜けない。


貸し出しカウンターにはマルロのように分厚い眼鏡をかけた青年がそれほど利用者もいない中で黙々と本を読んでいたが、本を抱えてきたリュウに気付くとカウンターの後ろにある貸出票を急いで漁り始めた。



「そんなに慌てなくてもいいのに」
「ダメですよリュウ様は私と違って忙しいんですからこんなことで時間食ってる場合じゃないでしょ。えーと本失礼しますね」


寡黙そうな見た目と裏腹に本当はよく口の回る男だ。
手際よく背表紙の裏にあるポケットに入っている薄紙を取り出して返却期限を書き込む。
そうしてリュウの個人カードにも同じように期限と書名を書き込みながら、ふと顔を上げた。


「そういえば。前にシュウ様が借りていかれたのでこの本はもう読まれたのかと思っていたんですけど」
「え?シュウが?」
「ええ。多分その前の・・・ああそう、ちょうど3ヶ月くらい前ですね」


一番新しい日付の一つ上に記されていたのは、確かに3ヶ月昔のものだ。

その頃を思い出して、リュウの瞳に暗い影が落ちる。
けれど口元は笑んでいたので、青年は気付くことなく本を差し出してくる。


「・・・そうなんだ。知らなかったよ、有難う。お仕事頑張ってね」
「いいえー、私はこの仕事楽しいですから〜」


苦笑を返して、リュウは図書館をあとにする。

日差しが瞼を貫くが、本が重いので手の平で遮る気にもならない。
自然と俯いて足元に眼差しを注ぐことになり、憂鬱な気分が助長された気がした。




3ヶ月前。

一年間の予算や新しい人事異動も収まって、少し余裕が出来たかなと思った矢先、ハイイーストで小規模ながら暴動が頻発した頃だ。

きっとシュウはあの頃この本を読ませようとしていたんだろう。
けれど精神的に余裕がなかった自分を見て時期を逸していたのだ。
執務室の本棚を探したということは、暫くそこに置いてあったという事。

リュウはまったくその本の存在に気付いていなかった。


はー、と細く落とした溜息は、今日何度目だろうか。

それでも執務室に辿り着く頃には表情を引き締め、ぐ、と腹に力を入れる。


執務室はその奥に1人で仕事をする部屋もあるが、普段はシュウやクラウスや他の参謀たちが出入りしながら仕事を進めている。
あの2人だけならまだしも、それ以外に暗い顔は見せられない。

そうして気合を入れて扉を開けたのだが、執務室の中は空で誰一人として残ってはいなかった。



正直気が抜けてドアノブに手をかけたまま立ち尽くしてしまったが、見張りの兵に心配そうに声をかけられてようやく扉を閉める。




誰もいなかったことにひどく気落ちを感じている。

それは誰か人がいればその人に対して国主の顔をしようと努力できるからで・・・・・・1人ではさっきまでの、自分を情けなく思う顔しか出来ない。



水差しから注いだ水を一息に飲む。

火照った体の中に一筋、冷たさが落ちる。




「・・・しっかりしなきゃなぁ」
「してますよ」


独り言のつもりの呟きに返事をされて、リュウは傍目からも分かるほど肩を揺らした。

ゆっくりと声のした右後ろへと首を巡らすと、資料の束を小脇に抱えたシュウが窓際に立つリュウの元まで足早に近付いてくる。
その顔はいつも通りの余裕のある笑みだ。


「とは言っても私の気配に気付かないのでは少々危ういですね。あなたともあろう方が」
「・・・・・・シュウ、あの・・・・・・今、何て言ったの?」
「あなたともあろう方が?」
「違う、その前」
「ああ」


食い入るように見上げてくる主に、彼の言わんとしていることを察して微笑む。
大窓の前に据え付けられたリュウの机の上に、整理された資料が置かれる。


「あなたはしっかりしている、と言ったのですよ」


言い含めるように、区切りよくゆっくりと言葉を発しても、リュウは理解しかねるといった風に眉を寄せる。


「私の言うことが信じられませんか?」
「・・・そういう、ことじゃなくて・・・だって、僕のどこを見て・・・」
「しっかり見ているつもりですけれど?」
「知ってる。知ってるけど、でもだって。僕は全然、色々なことが足りてないし。皆から・・・シュウから見たって、どうしても子供だし・・・」



言っている内に尻すぼみになってしまい、リュウは俯いた。

改めて力不足を感じて、気鬱に拍車がかかる。
初めは乞われて元首の座に着いた。
もちろん、そこに真摯な想いもあり納得の上でのことだけれど。

けれど今はもう、自分でなくてもいい気はしてきて。


誰かもっと、能力のある人に国を任せた方が良いのではないかと、それは常にある疑問であり恐れだ。




「・・・何を考えているのです?」
「え、ぁ・・・・・・」
「一つ、言わせて頂ければ。あなたはもっと自分に自信をお持ちになった方がいい」


見透かしたような言葉に、どきりとしてリュウはこの国を支える宰相を見つめる。

返ってくるのはいつになく穏やかな、けれど熱の篭った視線。



「あなたはまだ発展途上です。気付かないことがあるのは当然。けれどあなたはその欠点をご自分で知っている」


ぽん、と撫でるでもなく叩くでもない手が少年の頭に載せられる。


「けれどその割に、長所には気付いてませんね?」
「え?」
「あなたでなければ出来ないことが色々あるのですよ、この国は」
「・・・・・・そう、なの・・・かな?」
「そうなんです」


強く言い切って、この話は終わりとばかりにシュウがくしゃりと墨色の髪を掻き混ぜる。
抗議の視線を向けて払いのけようと手を頭上に伸ばせば、素早く逃げた手の代わりに資料が一束軽い音を立てて叩きつけられる。

それを反射的に受け取ってしまって、リュウは憮然とした表情を浮かべた。



「・・・何だかな。シュウが優しくて気持ち悪いと思ったらもうこれか・・・」
「気持ち悪いとは心外ですね」
「うーん。気持ちはすっっごく嬉しかったんだけど。何でだろう」


山火事とは関係の無い、通常業務の資料を捲る手を止めてリュウは、数瞬考え込む。

そして「あ」と手に持った紙でシュウを指した。



「敬語。やめない?」
「何故です」
「だから、さっき気持ち悪かったの敬語のせいだと思うんだけど」
「・・・・・・そうですか」
「絶対そう。丁寧に叱られるのってなんか嫌」


『叱られる』と表現した少年にシュウは僅かに微笑む。

決して褒めたわけでは無いのだと、気弱になっていた様子を見かねてのことだったのだと彼はきちんと分かっている。


それなら、そのご褒美のつもりで彼の願いを叶えるのも良いかもしれない。



「2人きりのときだけで良いのなら」
「・・・んー。そうだね。皆いるとこだと流石にまずいか。じゃぁそれで」


椅子を引き、座りながらシュウの置いた紙の束を脇へ退ける。
代わりに引きずって持ってくる、図書館から借りた本。

肘をついて見上げれば、素知らぬ振りをして一瞥するシュウの視線。

ふふ、と吐息だけで笑ってリュウは初めのページを捲る。


「ねぇ、シュウ。火災だけじゃなくてさ。災害専用の救助訓練をした部署が欲しいな」
「・・・・・・気が早いな」
「もちろん今回の件が落ち着いたらだよ。とりあえず言っておこうと思って」
「どちらにしろ実現は来年以降だな・・・」
「なんで」
「予算が無い」



にべもなく言い切られて、脱力して机に沈む。


「そうだよね・・・・・・戦争の借金だってまだあるもんね・・・・・・」
「金の掛からない対策から始めれば良い」
「え、例えば?」
「それはこれから考える」
「・・・あーやっぱり来年かぁ・・・」


それはつまりこれから専門家を集めて、委員会を開いて。

人を集め始めることすらもう少し先の話になりそうなのに。



「気長に行くことだな」
「気長にね・・・僕はいいけどさー」


まだ実感は無いが、何せ寿命がなくなってしまったのだから。



よしよしと慰めるように頭を撫でる手にからかいと意地の悪さを感じて、頭の動きだけで振り払う。

咽の奥だけで笑う、低い声


ああやっぱり性格悪い、そう思いながらも心地のよく思ってしまうのは、これが日常の風景だから。



「いいから早くトランから援助貰ってきてよ!」
「もう人は派遣した。あなたもそろそろそっちの決済を済ませたらどうだ?」
「・・・・・・ああもうっ!!」


クラウス早く戻ってきて。



元首の座についてから何度呟いたか分からない心の嘆きを、今日もリュウは落とさずにはいられなかった。
e n d

朝月幻様から当サイト5000HITお祝いをいただきましたー!!
それも前もってリクを聞いていただくという贅沢ぶり。
朝月様の2ED後の話が好きで好きで・・・。迷わず国王2主決定ですv

リュウ君は前向きで、でも柔らかくて。微笑む、という姿が合うんですよーv
宰相シュウとの関係が!互いに揺ぎない信頼の上にいるって感じ。主従関係だけど、師弟のようであり、でも対等にいられる相手というか。2主をちゃんと認めている上での軽い態度がたまりません!2主だからそんな態度取るんでしょ〜、とツッコミたくなりますvきっとクラウスあたりには心の中で「またこのお方は・・・」と苦笑されていることでしょう。それがまたステキ。そのクラウス。何気に補佐官クラウスの存在が癒しです。。。
国王2主と宰相クラウス、補佐官クラウスが同じ部屋でそれぞれの仕事に集中する姿。いいなぁー!!

本当に、本当に、素敵な小説をありがとうございました・・・!
読み直すたびにPC前でニヤけてる怪しいやつがここにいます。そんな私ですが、どうぞこれからも宜しくお願い致します!!