「アレス君……強い子……。本当に……あの頃の坊ちゃんによく似て……」

 それは、マクドール邸で催された宴の後に、クレオさんが回顧の眼差しと共にくれた言葉。
 僕はその言葉に嬉しさと誇らしさと、そしてほんの僅かな重圧感を感じていた。





 デュナン湖畔の城に夜の帳が下りていた。
 日中は多数の人が城内のそこかしこに佇み活気に満ちた騒々しさを振りまいているのだが、今はそれが嘘のように静まりかえっている。人気の無い廊下は僅かな足音さえ響き渡る程の静寂に支配され、通り抜ける風の音すら耳に届く様は不気味さを併せ持つ程だった。昼間は混雑する屋外の施設通りも、夜ともなれば人の気配が珍しくなり犬猫の数の方が多くなる。
 こんな時間でも賑わっているのは、吟遊詩人の歌声と踊り子の舞が楽しめる舞台と、屋外から直ぐに足を運べる酒場くらいだろう。この戦時下でよくもと思える程に各地の酒を取り揃えている酒場は、陽が落ちると同時に客が入り夜闇が城内を支配する頃にはかなりの喧騒を見せていた。戦いに疲れた心と身体を癒すには酒が一番だ――というのはビクトールさんの弁だが、それに賛同する者が決して少数ではないということなのだろう。
 先程まで図書館に篭り調べ物をしていた僕は、自室に戻りがてらこの場へと足を運んでいた。ずっと人気の無い図書館の一室にいたものだから、人恋しくなっていたのかも知れない。熱気溢れる喧騒に包まれて安堵を感じ、人波を縫いながらゆっくりと進む。軍主である僕の姿を認めて慌てて敬礼する者も居るが、殆どは僕の存在など気付かずに酒と歓談を楽しんでいる様子だ。
 彼等に混じりたい気持ちも無くはないのだが、未成年である僕は酒とは無縁である。飲んではいけないとは誰も言わないが、そもそも酒に強い体質でも無かった。一度ビクトールさんに面白半分に飲まされたことがあるが、酒場の隅で吐き戻すという醜態を晒すだけの結果に終っている。以来僕は心の中で禁酒を誓っていた。なので雰囲気だけを楽しみながら通り過ぎようとしたところ、右腕をいきなり後ろに引っ張られる。

「うわわっ!」
「隙があるな、アレス」

 二、三歩たたらを踏んで横転を免れた僕の耳に親しげな声が届いた。聞き覚えのある声と揶揄混じりの口調に犯人を悟り、失礼にならない程度の力で右腕を振り払う。難なく自由を取り戻した腕を軽くほぐし、彼へと向き直った。

「何するんですか」

 眉を顰めて抗議の声を上げる僕と相対するのは、頭に巻いた緑のバンダナから黒色の髪を覗かせ、まだあどけなさを滲ませる笑顔である。一見すると少年にしか見えない姿だが、彼こそが三年前にトラン解放軍を率いて勝利へと導いた英雄、フリオ・マクドールその人だ。
 しかし彼は英雄らしさなど微塵も感じさせず、悪戯っ子のように目を輝かせて口元に笑みを浮かべている。

「軍主殿をからかってみたくなったんだ」
「……正直ですね」
「それがとりえだから」

 絶対に嘘なのだが、反論したところで適当にかわされるのが目に見えるので聞き流すことにした。
 年季の入った漆塗りの円卓の一席を陣取り、飄々とした表情で琥珀色の液体が入ったグラスを口に傾けるフリオさんの姿は、周りの雰囲気に何の違和感も無く溶け込んでいる。唯一違和感があるとしたら少年の風貌で酒を呷っているという事ぐらいだろう。そんな些細なことは、飲んだくれている周囲の者達にとってどうでもいいことであることは間違いない。
 立ち尽くして辺りの様子を目で伺う僕の視界に、手招きをするフリオさんの姿が入った。

「まあ少し座っていけよ。お酒でも飲むかい?」

 言葉こそ伺いを立てる調子になっているが、偶然空いた隣席の椅子を素早く引き寄せ、空席を虎視眈々と狙う輩を目で威嚇して追い払っている姿を見る限りは、僕がそこに座る事が前提になっているのだろう。まあ確かに断る程の理由は無かったので、僕は周囲で立ち尽くす人の痛い視線に申し訳なさを感じつつ椅子に腰を下ろし、フリオさんに向かって苦笑いを浮かべた。

「僕は未成年ですよ」
「僕も一応未成年だけど、お酒を飲んでるよ。どうだい一杯?」

 辺りの様子など一切気にも留めない堂々とした態度で、フリオさんはグラスを掲げて飲み交わしを誘う。その図太い……もとい揺るがない性格は、周囲に振り回されがちな僕としては羨ましくもあった。尊大なまでのその態度が嫌味に感じられないのは、彼に漂う風格の成せるわざなのだろう。
 折角の誘いなのだから付き合いたい気持ちもあるのだが、自らの立場と体質を考えたらとても快諾することは出来なかった。

「止めて下さいよ……僕はお酒に強くないんです。酔っ払って変なことをしたらシュウさんに何を言われるか」
「それもそうか。じゃあアレスはジュースにしようか」

 フリオさんはあっさりと酒の飲み交わしは諦めて、給仕の子を捕まえてジュースを頼んでいる。ただ単に一緒に話す相手が欲しかっただけなのかも知れない。「ジュースが来るまでの繋ぎ」とドライフルーツの盛られた小皿をこちらに寄越して、自身はまたグラスを口に傾けた。

「フリオさんってお酒に強いんですか?」
「まあ、それなりにね。ビクトールには負けるだろうけれど」
「ビクトールさんに勝てる人間って居るんでしょうか……」
「シエラには負けたって聞いたけど……あ、彼女は人間じゃないか」

 他愛の無い会話に花を咲かせて僕等は笑い合う。こうしていると同年代の友人と何も変わらなくて、彼が『トランの英雄』であることを忘れてしまうこともしばしばだ。
 やがて話題は「同盟軍で一番酒が強いのは誰だ?」という実に下らない方向へと進み、ドライフルーツを口にする暇も無く盛り上がっていく。レオナさんか、ゲオルグさんか、意外なところでホウアン先生とかどうだろうと、傍に本人達が居ないのをいいことに好き勝手な物真似を交えて笑い合っていた。

「よお、お二人さん」

 ふいに肩に手を置かれて誰かと思い振り返ると、ビールジョッキを片手に爽やかな笑顔を浮かべたフリックさんと目が合う。彼は隣の円卓に腰掛けていたらしいが、僕は全く気付いていなかった。

「あ、フリックさん」
「やあフリック」

 フリオさんは驚いた様子も無く、グラスに手を掛けたままいつもの調子で軽く挨拶をする。もしかしたら気付いていたのかも知れない。フリックさんは隣の円卓から椅子持参で移動してきて、僕の隣に腰を下ろした。それなりの量を飲んだ後なのか、顔がやや紅潮しているように見える。それでも整った顔が崩れないのは美青年と言われる所以だろう。しかしフリオさんが「ニナは?」と聞いた途端、顔が引き攣った。

「……その名はよしてくれ。酒が不味くなる」
「そこまで言わなくてもいいだろう?」
「悪気が無いのは百も承知だが……あそこまで突進されると、な」
「色男は大変だな」

 ニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべてちっとも同情してなさそうなフリオさんを、フリックさんが一睨みする。一般人ならば二の句を告げられなくなる程の鋭い視線なのだが、フリオさんは涼しい顔で全く気に留めた様子も無かった。
 僕を挟んで緊張した空気――と言ってもフリックさんが一方的に敵意を示しているだけなのだが――が流れる。揉め事に発展する前に仲裁すべきかと考えたけれど、それより先にフリックさんが気の抜けたような溜め息を吐いた。

「ったく、お前は相変わらずだな。三年前とちっとも変わらない」
「どういたしまして」
「……褒めたつもりは無いぞ」
「褒められたつもりも無いよ」

 敵意を外して代わりにげんなりとした様子のフリックさんと、相変わらず飄々としているフリオさんが実に対照的で、まるで漫才を見ているかのようだ。可笑しさに耐え切れず僕が小さく吹き出すと、フリックさんがバツの悪そうな顔をしてジョッキを呷った。
 フリオさんは中身が残り少なくなったグラスを軽く回して、一気に口へと流し込む。ふう、と一息ついてから空になったグラスを手に立ち上がり、「ジュース遅いな。取ってくるよ」と言い残して雑踏の中へと消えて行った。
 その後姿を見送ってから、フリックさんが口を開く。

「……あいつとお前は似ているよな」
「えっ!?」

 僕はあんなに人を食ったような態度をしているのだろうか? あんな無遠慮に物を言う勇気も持っていないし、嫌味をさらりと受け流す度量も備わってない……と思うのだけれど。
 心中の動揺が伝わったのか、フリックさんが慌てて言葉を紡ぐ。

「いや、性格は似てないけどな。境遇とか年齢とか背格好とか、まあ色々な部分で三年前のフリオと今のお前は似ているように思える。俺だけじゃなくて、解放戦争に参加していた連中はそう思っている奴が多いぜ」
「そう……なんですか」

 珍しく饒舌なフリックさんの言葉を聞いているうちに、僕の心に漠然とした不安感が湧き上がってきた。はっきりとした原因は分からないけれど、酷く落ち着かない。三年前のフリオさんと僕が似ていると言われても不都合は無いはずだ。シュウさんにしてみれば『英雄ゲンカクの子』という以外の新しい宣伝用のレッテルが増えていっそ喜ばしいくらいだろう。三年前にトラン解放軍を勝利に導いた英雄フリオ・マクドールと軍主は似ている。それならきっと今回も勝利するだろうという、一種の暗示みたいな効果も期待出来るかも知れないし。
 僕は必死に良い方向へと考えを巡らせるが、心の奥に巣食った不安感は消えなかった。別段レッテルが増えることに関しては気にしていない。そんなことはゲンカクじいちゃんの一件でもう慣れているのだから。
 フリックさんには生返事を返しておいて不安感の原因を探っていると、ふいに以前グレッグミンスターでクレオさんに貰った言葉が頭を過ぎる。

 ――あの頃の坊ちゃんに良く似て……。

 その時には嬉しさと誇らしさが強くて深く考えなかったものの、原因不明の重圧感も同時に感じ取っていたことを思い出した。
 トランの英雄――フリオ・マクドール。都市同盟でも広く知れ渡っているその名前は、常に賞賛と尊敬と時には畏怖を篭めて囁かれる。実際の本人は一見するとあどけなさの残る風貌だが、時折垣間見える風格と迫力、そして有無を言わさずに兵士を率いていく圧倒的なカリスマ性は本物だ。新同盟軍内でも、解放戦争に参加した兵士達はフリオさんを見れば一様に恭しく敬礼をする。それだけ人の心を掴んで離さなかったリーダーだったのだろう。
 では、僕はどうなのか? ゲンカクじいちゃんの七光りと言える状況で軍主に据えられ、しばらくの間は輝く盾の紋章を軍主の証として何かある度に掲げなくてはいけなかった状況からも、カリスマ性というものが無いのは明らかだ。それでもこの地にたくさんの人が集まってくれて、嬉しい反面どうしてかと不思議でシュウさんに尋ねたところ「あなたはどこか放っておけない雰囲気があって、助けてあげたい気分にさせられるんですよ」という喜ばしいとは言い難い理由を教えられてしまったこともある。そんな僕がフリオさんと似ているだなんて……。
 ふいに眼前をオレンジ色が過ぎり、僕の思考は中断される。卓上にオレンジジュースが入ったグラスを置き、フリオさんは上機嫌そうに目を細めて席に戻った。彼の手には琥珀色の液体が並々と注がれたグラスがあり、これを貰うついでにジュースを取ってきてくれたのだろうと納得する。

「ジュース貰ってきたよ。あ、僕のも含めてフリックにツケておいたからな、宜しく」
「おい!」
「年長者なんだから、こんな時くらい懐の深いところを見せてくれよ」

 あくまでも爽やかに、日常会話と何一つ変わらない調子でフリオさんはとんでもないことを言う。これが彼の持ち味でもあるのだが、被害に遭った方はたまったものではないだろう。僕自身も何度か被害に遭っているから良く分かる。今回の被害者フリックさんは悪びれる風もないフリオさんを睨み、肩を竦めて立ち上がった。

「ここに居たらまた奢らされそうだな、俺は部屋に戻って飲みなおす」
「あ、すみません」

 僕は小さく頭を下げて詫びる。自分に非が無くても反射的に謝る癖があるのだ。何かと苛められることが多かった幼少時に揉め事を回避する最善策として身に付けたものなのだが、それは今では習慣となってしまっていた。僕が軍主らしくないと言われる理由の一つでもあるのだろう。
 フリックさんは優しい眼差しを向けてくれて、やや苦笑交じりの微笑みを作った。

「アレスが謝ることじゃないさ」
「ほんとほんと」
「誰のせいだ!」

 フリックさんは物凄い勢いで首を回し、フリオさんに向かって捨て台詞とばかりに息巻いたが、彼は相変わらず楽しそうな表情を浮かべているだけで歯牙にも掛けた様子は無い。暖簾に腕押し、とはこのことを指すのだろうか。なんだかフリックさんが不憫に思えてくる。
 やがてフリックさんは色々なことを諦めたようで、げっそりとした顔になり力無い足取りで去って行った。それを見送ったフリオさんが僕に笑みを向けて、右手に持ったグラスを掲げる。

「さーて、邪魔者も居なくなったし乾杯といこう」
「邪魔者!?」
「冗談だよ」

 彼が言うとどこまでが冗談なのかさっぱり分からないが、詮索するのも恐ろしいので止めておいた。
 フリオさんの誘いに応じる形で僕もグラスを掲げて、お互いに重ね合わせる。硝子同士が当たる小気味良い音が響き、慣例通り互いに口へと傾けた。オレンジの酸味と冷たさが口内を走り、寒気を感じて一口でグラスを下ろす。一方のフリオさんはお酒の入ったグラスを一気に傾けて、にこりと嬉しそうな表情を浮かべた。
 グラス半分程になった琥珀色の液体を眺めて「やっぱりカナカンの銘酒はいいな」と呟いてフリオさんはまたグラスを呷る。あっという間に空になったグラスを僕は唖然として見ていた。

「おいおい、未成年がそんなに飲んでいいのかぁ?」

 急に粗野で野太い声が割り込んでくる。フリオさんの背後に居るその人物は声だけで誰なのか分かるようなものだが、彼は一応目線を動かして相手を確認した。そしてすぐに目線を元に戻し、苦笑を浮かべる。

「ビクトールか。お前にだけは言われたくない言葉だな」
「何言ってやがる。俺は成人になるまで酒なんか嗜む程度しか飲んでねぇぜ」
「お前の『嗜む』って基準は当てにならないな」

 言い合いながらも張り詰めた空気は無く、ビクトールさんは酒瓶を持って来てフリオさんのグラスに中身を注いだ。「礼を言うべきかな?」と尋ねるフリオさんに、「天変地異が起きるから止めておけよ」とビクトールさんが冗談交じりに返す。互いに無遠慮ながらも楽しそうに談笑する彼等の姿を、僕はぼんやりと見詰めていた。
 きっと三年前のトラン解放戦争の時も、彼等はこんな風に飲み交わしながら談笑していたのだろう。フリックさんが「三年前と変わらない」とフリオさんを評していたから、その可能性は極めて高いと言えそうだ。
 トランの英雄、フリオ・マクドール。英雄譚に初めて聞いたその名前は、僕には決して触れることの出来ない高みに居る者だと思っていた。実際に成し遂げた偉業の数々を聞けば、未だに全然及ばないことが分かる。武術にも戦略にも学問にも優れ、圧倒的な指導力で解放軍を率いた若き英雄。吟遊詩人のサーガにも歌われている程だ。
 そんな偉大で、なおかつ三年前というまだ記憶にも新しい英雄に、僕が似ていると囁かれているらしい。フリックさんの言うように、境遇や背格好などの外面的な要素だけであったとしても、一度似ていると認識されれば内面も似ていると思われかねない。そうなると、僕もフリオさんのような絶対的な求心力を持って皆を必ず勝利へと導くだろうと、期待されて信じられているのだろうか。

――僕は、フリオさんのような英雄にならなくてはいけないのか?

 それはずっと胸に抱いていた漠然とした不安が、形になった瞬間だった。
 フリオさんがどのように解放軍を率いどのように戦っていたのかなんて、その場に居なかった僕に分かるわけがない。けれど皆がそれを望むとしたら、その期待に応えるべく努力すべきなのだろう。でも、僕がフリオさんのように振舞うことなど出来るのだろうか?

「アレス、どうした?」

 やや心配さを滲ませた声が僕の鼓膜を震わせ、思考が中断された。
 そこでようやく、僕はフリオさんを凝視していた事に気が付く。失礼なことをしていたと反省して咄嗟に頭を下げた。

「あ、すみません。ボーっとして」
「いいけどね。あまりにも熱い眼差しだったから僕に惚れたのかと思ったよ」
「馬鹿なこと言わないで下さいよ」

 呆れたように僕が返すと、フリオさんがニヤリと笑う。僕が悩んでいるのを見ると、大抵の場合こんな風に冗談を言って気を紛らわせてくれるのだ。それが僕には大変ありがたくて、ナナミとは別の癒しとなっている。
 気が付けばいつの間にかビクトールさんの姿は消えていて、机に置かれた酒瓶だけがその名残を表していた。フリオさんがそれを自らのグラスに傾けると、琥珀色の液体が注がれていく。

「心配事かい?」

 目線をグラスに向けたまま問われて、僕は苦笑いを浮かべた。

「いえ、そんな大したことじゃないです」
「僕を無遠慮に凝視していた癖に、関係ないかのように言われるのも癪だな」

 口調は軽いが言葉には容赦が無い。確かに非があるのはこちらなので、甘んじて受け止めるしか無いのだが。
 フリオさんはグラスに向けていた目をこちらに向ける。底の深い黒色から放たれる強い眼光が真っ直ぐに僕を射抜き、真偽を問い質すまで許さないといった雰囲気を醸し出していた。思わず気圧されそうになるこの瞳が、絶対的なカリスマを誇った理由の一つなのだろう。僕は逃げられないと悟って、諦めたように口を開いた。

「少し考えたんです。僕とフリオさんって似てるのかなぁ? って」
「誰かに言われたのかい?」
「ええ、まあ」

 言葉を濁して目を逸らした僕をそれ以上追求しようとはせず、フリオさんは机に片肘を付いて「なるほどね……」と呟く。指で小さく机を叩いて考えるような素振りをしてから、グラスを手にして口に傾けた。

「僕も聞いたことがある。まるで解放戦争の頃のようだとか、アレスはあの頃の僕のようだとかね」
「そう……ですか」

 相槌を打った僕の言葉に落胆の色が滲む。隠そうと思えば隠すことも可能だっただろうが、フリオさんにかかれば見透かされる可能性が高かった。彼の洞察力は並みではないと分かっているから、無駄な抵抗はしないに限る。
 彼の耳にも入っていたとなると、思ったよりも多くの人がフリオさんと僕の姿を重ね合わせているのだろう。重ね合わせたなら次に来るのは比較だ、あの頃はこうだった、今はこうだと。考えると急に身震いがした。トランの英雄フリオ・マクドールと、僕が比較されているというのだ。
 その比較対象であるはずのフリオさんは、涼しい顔でグラスを回している。氷がグラスに当たる小さな音が聞こえてきた。

「全く、失礼だよな」
「えっ!?」

 予想していなかった言葉に驚嘆する。
 確かに僕はフリオさんに比べたら未熟で、至らない部分も多いのは充分に承知している。彼のような求心力も持っていないし、武術はともかく戦略や学問は苦手分野だ。だからこそ『似ている』という言葉に重圧感を覚えて悩んでいたのだけれど、そこまできっぱりと非難されるとは心外である。まるで僕のような青二才と似ているなどと評されるのは不快極まりないと言われているようだ。
 やや不信感を覚えた僕だが、フリオさんが珍しく真面目な表情をしていることに気付き、その気持ちが薄らぐ。彼はグラスの中身を一度に呷り、眼光を鋭くした。

「僕は僕で、君は君だ。境遇が少し似ているからって、一括りにされたらたまったもんじゃない」

 声量は決して大きくないが、強い口調で語っていく。何も無い空間に向けて放たれる言葉は、まるでこの空気に触れる者全てに対して語っているかのようだった。自然と辺りの喧騒が遠くなり、彼の言葉が胸に刻まれていく。

「僕は、あの戦いでたくさんのことを経験した。楽しい思い、嬉しい思い、辛い思い、苦しい思い。これらは全て、他の誰もが経験できない僕だけの経験だ。アレスだって、この戦いで君だけの経験をたくさんしているはずだ」
「はい」

 神妙に頷いた僕を一瞥して、フリオさんは続けた。

「人は経験によって創られていくと僕は考えている。君が僕と全く同じ経験をしていたのならば、僕と同じような人間になるのかも知れない。でも君は生まれも育ちも、経験した思いも僕とは全く違う。けれど、それが当然なんだ。僕達は別の人間なんだから」
「……そうですね」

 それは、僕だって良く分かっている。グレッグミンスターで将軍家の嫡男として育ってきたフリオさんと、キャロで街外れの道場主の養子として育ってきた僕とでは、積んできた経験は余りにも違いが大きい。生い立ちに不満があるわけでは無いけれど、同じような人間になれるわけがないんだ。だからこそ、悩み困っているのだから。
 僕の鈍い反応にフリオさんは首を傾げる。「僕じゃ相談相手にならないかな?」と困ったように問われて、僕は慌てた。

「そうじゃないんです。僕達は違う人間だって、それは分かるんです。けれど、皆はどう思っているのかなって。僕にフリオさんみたいになって欲しいと思われてるんじゃないかと……」
「アレス」

 少し咎めるような口調で名を呼ばれて彼の顔を見れば、先程よりも一層鋭い眼光が僕に向けられている。思わず、背筋に寒気が走った。無言の非難を含んだその目線の迫力は、悪いが先程のフリックさんとでは比べ物にならない。もし視線だけで人を殺すことが出来るのなら、それは恐らくこういう視線なのだろう。
 フリオさんは目を据えたまま、淡々とした口調で続けた。

「そんなことを言ったら、君を信じて新同盟軍に参加した人達が嘆く。君が僕に似ているから、なんてふざけた理由で参加した馬鹿は一人も居ないはずだ。居たら僕が追い出してやる」
「何もそこまで……」
「した方がいい。軍主を信じられない兵士なんて必要ない。まあ居ないだろうけどな」

 いつもの冗談ではなく本気であることが語気からも伝わってくる。身震いしそうになったその時、フリオさんの眼光が緩んだ。「脅かして悪かったな」と微笑みながら言われて、僕はようやく安心して肩を撫で下ろす。フリオさんは口元に笑みを称えたまま顎に手を当てて片肘をつき、今度は優しい眼差しを向けてくれた。

「君がどうして人を惹き付けるのか僕にも分かる。君には誰でも受け入れる懐の深さがあるんだ。どんな境遇の人であっても、赦してしまう雰囲気がある。傍に居たい、協力したいと思わせる力があるんだ」
「そんな大層な力があるとは思えないんですが……以前シュウさんに、僕にはどこか放っておけない雰囲気があって、助けてあげたい気分にさせられるって言われたことならあったけれど」

 フリオさんが小さく吹き出す。その表情からは、さっきまでの厳しい気配は完全に消えていた。

「分かり易く言えばそうなるのかな? けれどそんなに頼りないというわけじゃない。君の頑張る姿を見ていると、少しでも手を貸してやりたい気分になるんだ」
「何だか、あんまり格好いい理由じゃないですね……」
「贅沢言うなよ」

 僕の頭にフリオさんが手を置いて、押し付けるように力を込めて撫で回される。髪の毛がぐしゃぐしゃに掻き回されるのが嫌で何とか逃げようとするけれど、なかなか解放してくれなかった。「贅沢者にはお仕置きだ」と理由をつけてはいるが、きっと自分が楽しいからやっているだけだろう。額冠が外れて落ちそうになったところで、ようやく掻き回す手が止まった。僕はやれやれと思いながら髪を手櫛で整えて額冠を着け直す。その仕草をフリオさんが目を細めて見ていた。

「アレスはアレスのままでいいんだ。ここに居る人達は、今のままの君の姿に惹かれて参軍したんだからな。下手に僕の真似なんかしたら皆が幻滅するし、僕だって嫌だ。もしそんなことになったら、余計な邪念を振り払うために脳天目掛けて力一杯棍を振り下ろしてあげるよ」
「いいい、要りませんっ! 結構ですっ!!」

 最初は優しい表情だったけれど、言葉の最後の方でフリオさんの目が獲物を狙う鷹のように輝く。冗談なのは充分承知しているけれど、フリオさんの棍の一撃を脳天に喰らうなんて想像するだけで恐ろしい。身体を引きながら両手を振って遠慮する僕を見て、フリオさんが可笑しそうに笑った。
 馬鹿にされた気分になって憮然としたが、ふと気付けば胸の重荷が跡形も無く消えている。これが彼なりの癒しの手法なのだということに思い至り、心が温かくなった。

「フリオさん」
「ん? 棍の的になってくれる気になったかい?」
「いつそんな話に……そうじゃなくて、ありがとうございました」

 混ぜ返されて真剣味が薄くなったけれど、感謝の意だけはしっかりと伝えたいと思い、僕は頭を下げる。顔を上げると、フリオさんが少しはにかんだような笑顔をしていた。

「改めて言われると照れるな」

 言葉通りやや照れているのか、目が泳ぎがちになっている。フリオさん自身にも自覚があるのだろう。目を閉じて顔を両手で叩き、「ふぅ」と一息ついて瞼を上げた。そこにはいつもと同じ強さと温かさを持った黒い瞳が輝いている。彼はその光を称えた眼差しを僕に向けた。

「アレス」
「はい?」
「気負わせてしまうかも知れないけれど……君ならきっと英雄になれる。但し、僕とは違ったタイプの、な」

 真っ直ぐに向けられた力強い瞳が、今の言葉に嘘は無いと証明してくれている。先程までは英雄という肩書きに不安を抱いていた僕なのに、今は素直に嬉しいと受け止められた。それは多分無責任な噂の類ではなく、フリオさんが自分で責任を取る気で放った言葉だからなのだろう。
 彼は片手にグラスを持ってそれを掲げ、僕にも同じ仕草をするように目で促す。それに従い僕もグラスを掲げた。目が合った途端、乾杯の音頭が自然と口をついて出てくる。

「未来の英雄に、乾杯!」
「トランの英雄に、乾杯!」

 掲げたグラスがぶつかり合い、互いの健闘を称え合うかのように高く鮮明な音が響いた。
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リンク絵のお礼に、とリクを聞いていただいちゃいました!

なっつ様の2主は歳相応に子供っぽく、置かれた立場からちょっと大人っぽく、それでいて男の子っぽいんですー!いい意味で普通の男の子なんですよね、それがとても魅力的で。
坊ちゃんは子供っぽさを抜け出して、余裕というものが感じられます。誰とでも馴染みつつ、誰とも違う雰囲気が素敵だー。自分というものがしっかりしてる人ってそれだけで格好良いんですけど、フリオ坊ちゃんの歯に布着せぬまっすぐさには高貴さが漂ってるなあ〜と思うのです。

今回、なっつ様の書かれるWリーダーを読むことができて感動です!
特に最後の二人の様子は想像して思わずニヤリです。だって格好いいんですもん、二人が!!
坊ちゃんが少なからず2主を認めているのであろうことが言動の端々に見えるのが嬉しかったり、2主が坊ちゃんに対して様々な思いを抱きつつもそれ以上に救われていることが嬉しかったり。それぞれの凸凹具合とでもいうのでしょうか、絶妙です!!

上手いこと感想が言葉にできないのが悔しいのですが・・・本当にありがとうございました!