まだ温かみの残るカップをソーサーへ下ろし、ラウは満足そうに息をついた。
「お茶ご馳走様。美味しかったよ」
「取り寄せたばかりの茶葉だったんだ。丁度良かった」
 自室用の執務机に座っていたユウリは本から顔を上げ、テーブル席のラウに応える。
「でもこの種類はデュナンでは流通していないと思っていた。取り扱うようになったの?」
 言いながら茶器の蓋を持ち上げて中を覗きこむ。しげしげと見つめながら、やっぱりこれだよなぁなんて言っている。
 一体この人は今回の旅でどこまで行ってきたのだろうかと思い、ユウリは片目のみをそっと細める。この茶葉を手に入れるためにかかった行程を考えると、想像するに難くない。
 少年は軽く目を閉じて無駄な詮索に奔走しそうになる思考を中断させ、口元を柔らかく笑みの形にする。
「相変わらず雑多な知識にまみれているんだね。この茶葉は個人的にゴードンにお願いしてたんだよ。交易するほどの利益は見込めないんだ、いまのとこ。だから当然デュナンでは流通してない」
 茶器の中の葉を見ていたラウはなるほど、と答えて蓋を下ろした。

「さて。温かくて美味しいお茶もいただけたし、あとは寝るだけっ」
 両手をぐうっと天井へ向けて伸ばし、首を鳴らした。目をぱちぱちと瞬く様子は傍目から見ても疲れているように見え、瞼も少し重そうだと思った。
「うん、いつでも寝てもらっていいからね。僕はもうちょっと起きてるから灯りを全部消せなくて悪いけど」
「いや。こっちこそ悪いね。ベッド半分使っちゃって」
「僕は構わないよ。・・・でもやっぱり部屋用意しようか?」
 さきほどユウリが部屋を用意すると言ったところ、ラウは辞退していた。しかし今の疲れた様子を見ると一つのベッドを使ってゆったり寝てもらったほうが良いのではないかと思える。
「ううん。実はかけてもらう手間を考えて辞退したんじゃないんだ。部屋を移動するのが面倒くさいだけ」
「ああ、そういうこと。・・・おまけにこれから誰かと顔を合わすのは更に面倒くさい?」
「さすが。僕のことよく知ってるね」
「適当に言ったら当たっちゃっただけ。ってそれもなんだかなあ」
「あはは。それはそれは勘が宜しいようで」
「おかげさまで、とでも言っておこうかな」

 そんなやり取りを交わしながら、ふらふらとラウは寝台へとたどり着く。
「ふー」
 寝台の縁に座り、埃を立てないようシーツの上に上半身のみ仰向け状態になった。バンダナでまとめていない黒髪が放射状に散らばる。
 どれだけ遠くからどれだけの日にちをかけてやってきたのか。それとも実は近くに長くいたのかもしれない。
 しかしそんなことよりも、いつこの部屋を目指そうと考えたのかかがよっぽど重要である。今日一日でこんなふうに疲れるくらいに歩いてきたことは確かだ。
「ここにユウリがいて良かった〜」
 ラウの間延びした声に、意識が引き戻される。
「なにそれ?」
「デュナンで勝手に部屋に上がりこんでもいいのはユウリのとこくらいだもの」
「あの。わかってると思うけど普通はダメだと思うよ。僕のはたんに免疫があるってだけで、決して諸手を挙げて歓迎してるわけじゃないからね。その辺ヨロシク」
「はいはい。今後ともヨロシクー」
「違う。違うよそれ・・・」
「窓開けてまで待ってたくせに」
「違うってばー!!」
 慌てて否定しながら立ち上がると、ラウは若干申し訳なさそうに顔を歪めて口元を手で覆った。どうやら。非常にタイミングよく欠伸が出たらしいと察する。
「・・・眠そうだね」
「うん。・・・寝ていい?」
 涙の滲んだ目を瞬きながら尋ねてくるのでユウリは言葉に詰まってしまう。勢いをそがれてしまっては今更声高に訂正したところで逆に言い訳がましい。上げた腰を溜息とともに椅子に落として、掌を上に向けて差し出した。
「はい、どーぞ」
「アリガト。さっきのことだけど」
「え?」
「さっき。君がいて良かったーっていうアレ」
 そういえばそんなことを言っていた。すぐにいつもの冗談みたいな会話になっていたからすっかり忘れていた。
「それなりに本気。ユウリがいなければココに寄る理由はないわけだし」
 腹筋を使ってなんなく上半身を起こし、靴を脱いできちんと揃える。どんなに眠くてもラウが靴を脱がなかったり衣服を着替えなかったりしたまま就寝することはない。いや、あるのかもしれないが、少なくともユウリは知らなかった。
「君に逢いにくる楽しみをくれて、ありがとう」
 顔を上げて、笑った。とてつもなく純粋で優しい笑みだった。
 ユウリは不意に胸が締め付けられ、悟られないようラウから見えない側である自分の服の裾を握った。

「・・・そう言ってもらえるなら。それだけでここにいた甲斐があったというものかな」
 しかし、「でも」と続けた。ポツリと吐く。
「誰かを待つためだけに一つの場所にいるだなんて僕には耐えられそうにないな・・・」
「そりゃあまあ。耐える必要もないだろう?ユウリは生きてる家なんかじゃないんだし」
 ユウリ自身が何故こんなことを口走ってしまったのかと訝る間もなく、ラウから気軽な返事がかえってきた。
「・・・・・・?僕、生きてる家なんて見たことないよ」
「僕だってないよ。そこ、ボケない」
 珍しい話を聴いてしまったとばかりにユウリの目が興味深そうにラウへ向けられるので、彼は力ない笑いを浮かべた。
「つまり。ユウリは誰かを待つためだけに一つの場所にいる必要はまったくないってこと。ってなんで僕が言い直すのかな、君が言ったことじゃないか」
「ああ、うん・・・。それは・・・そうなんだけど。うーん。ほら、さ。責任を感じるわけじゃないよ、でも。でももし、誰かが『帰って』きてくれた時に不在だったら悲しいなって思うんだ」
「誰が?」
「僕が」
「君が不在だったら来訪者があったかどうかすらわからないのに?」
 とうとう堪えきれなくなったとラウがケラケラと笑い出す。黒の双眸を明るく煌かせる。
「ねえ。それって君がその誰かを待ってるだけじゃないのかい」
「え」
 ユウリが一切の動きを止める。
「え、え?」
 やがて眉間に深い皺を刻み、そんなはずはないとでも言いたげな表情を作る。
 ラウは止まない笑いに一度二度と咳き込んだあと、まだ余韻の残っている口元をもう一度きれいな笑みの形に整えてみせて言った。
「あのさ。仮に、だよ。例えばその『誰か』を僕であてはめた場合。・・・辿りついた場所に目的の『家』がなかったとする。でも僕はその『家』がその場所になくても構わないよ」
「・・・目的にしている『家』がないのに?」
 ラウは肯定の意を込めてにこりと微笑む。
「幸い僕の知ってる『家』は強くて逞しいので。誰かの手によってこの世から一切の痕跡も残さずに消されてしまうとは思えない。きっとどこかに移ったのだろう。そう思うだけだよ、きっと」
 それも『家』自体にそう工夫されてしまえば流石にわからなくて困りそうだけど。と、あまり困ったふうでもなく肩を竦める。
 言われていることは優しい言葉には聞こえない。それだけだと切って捨てるような潔さ。けれど何故だかショックは全くなく、それどころか安堵すら覚えるのだ。
 ユウリは、はぁ、と返事ともいえないような相槌を返した。
「そう・・・そっか」
「これで心置きなく姿を消せるかい?」
「!!」
 反射的に身体を固くしてからラウを見ると、彼はゆったりと余裕の笑みを浮かべて意味ありげな視線を送ってきた。頭に血が昇るのを感じとり、自分の顔の真正面で両手を広げる。
「ちょ、・・・ち、違うからね!?そんな理由が僕をここに留めているわけじゃないからね!!!?」
 耳に血が集中している気がする。両手で顔を隠したところで、きっと耳は真っ赤だろう。
 どうしてこう自分は返し方が下手なのだろうか。国王として振舞う時には上手くできるのに。彼の前ではいけない。本性どころか、ヘマばかり見せてしまっている。
「わかってるって。そんな大声出さなくたって」
 くくっと笑い声を立てるラウが妙に腹立たしくて睨みつけると、ラウの両目が細められ、そして手招くのだった。
 そんなふうにされれば行かないわけにはいかなくて駆け寄る。
 寝台に腰掛けてユウリを待っていたラウの前に立ち、なに、と問おうとしたところ。
 ラウはユウリの腕を引っ張ることで2人の距離をさらに縮めた。
「なっ?」
 咄嗟のことに反応できずラウヘ倒れ掛かる。抗議の声を上げようとしたユウリの外耳にラウの声が流れ込んできた。
「消えたいのに消えられないという時が来たなら、いつでも僕を呼べばいい。いつだって君が望むように尽力しよう」
 強く、囁く。その言葉はユウリの耳の奥に心地良い重みを伴って残った。

 ラウの肩に寄りかかっていた身体を起こして、小さくありがとうと述べた。
「でも、大丈夫」
 きっと自分はラウを呼ぶことはないだろうと確信めいた気持ちを抱きながら。けれど確かに彼の言葉はいまだ耳の奥に在り、それはたぶんいつか自分を密かに支えるものとなるのだと予想できてしまう。
 悔しい気持ちがしなくもなかったが、言葉そのものが嬉しくて、ラウの目をまっすぐに見据えて応えた。
「それは頼もしいね」
「だって頑丈で逞しいんでしょ?」
「それは『家』の例えだと思ってたけど」
「今ここでそれを言うかな。ずるい」
 ユウリが口を尖らせる。ラウは口の端をツとあげて彼の柔らかい髪をくしゃりと混ぜた。
「・・・でも。『家』が壊れそうになっていることに気付かないくらいになったら、僕は無理やりにでも引っ張りだすよ?」
 頭の上に残った決して大きくはない手の存在が優しくて、ユウリは顔の表情を緩めた。
「そうならないように善処します」
「信頼はしているけど、それ以上に僕は君が気になるんだよ」
 ラウの手がふわと離れ、少年の目がそれを追うように動く。しかし途中で焦点を彼へとズラし、首を捻った。
「・・・今のは『家』の例えだと思ってたんだけどな」
「さあて?」
 いつのまに身体を横たえていたのか、肘を立てて掌でその顔を支えて楽しそうに笑う。
 眠い眠いといいながら、よくまぁこれだけのことが次から次へと言えるものだとユウリは感心すらしながら、自分もまた元の位置へと戻るために彼に背を向けた。
「大体さ、呼べばいいって言ったって。放浪癖のある鳥を探すほうがよっぽど大変そうだよ」
「鳥を探す余裕があるうちは呼ばれないと知っているからね。鳥は探されているうちは見つからないんじゃないかな」
「それじゃあやっぱり頼りにならないじゃないか」
「頼りにすることも忘れた頃に現れるから頼りになるんだよ」

 ユウリは机に辿りつきクルリと振り向く。そして手を腰にあてると、頬杖をつく寝台上の少年へ視線を落とした。
「ねえ。なんだか腹が立ってきちゃった。やっぱり部屋を移ってもらっても?」
「それは困るなぁ。さすがにちょっと疲れたので」
 わざとらしいまでにぱたりと顔をシーツの上に伏せる。首を回して目だけで寝かせてくれと訴えてきたラウを見てユウリが吹き出した。
「ここの壁をのぼってきたせいで疲れたとか言わないでね」
 くすくす笑うユウリへ、ラウも短く笑い返す。
「それは一刻もはやくお目当ての家に辿りつくためだもの」
「陽が落ちる前に着いてよかったね。鳥は夜目が利かないもんね?」
「また鳥かい。でもそれもまた問題ないよ」
「?」
 ユウリの目がきょとと瞬く。
 一度はシーツの上に下ろされたラウの手が再び持ち上がり、人差し指がまっすぐにユウリへ向いて止まる。
「僕がこの光を見失うはずがないからね」
 ユウリはしばし目を瞠り。それから自らの止まった思考をなんとか動かそうとするためにその表情は難しいものに移っていった。
 ユウリの様子にラウの目元がいっそう楽しそうに笑って、言いたいことは全て言ったとばかりに引き寄せた枕に頭を乗せるとアッサリ目を閉じてしまった。
「じゃあね。おやすみ」




 すう、と微かな寝息が聞こえてくる。
 ユウリはいつの間にか固くなっていた肩を意識的に落とした。すると途端に眠気が襲ってくる。
「ラウのが移ったかなー」
 呟くと同時に欠伸が昇ってきて、逆らうことなく大きな口を開けた。吐き出した空気と一緒に今悩んでいたことまで出てしまったような気がした。軽い脱力感を覚える。
 読んでいた本にちらと視線を送る。部屋に戻って手にしてからさして進んでいない。急いで読まなくてはいけない書物でもない。右手に持ちっぱなしだった栞を挟みこみ本を閉じた。
「・・・僕も寝ようっと」
 足音を立てずに寝台へ近づき、なるべく静かに隣にもぐりこんだ。でもどうしたっても寝台は軋むし、重みの加わったほうへ傾く。
「ん・・・」
「あ、ごめん」
 やはり起こしてしまったのだろうか、慌てて謝るが続く返事はなくてホッとする。
 触れた肌から伝わる体温にラウの言葉を思い出す。
(人肌、かぁ)
 とりたてて寒い季節ではなかったが、温かさが気持ちよくて、もう少し、と近づいた。
 あたたかい。
 いつもの自分の部屋。いつもの寝台。
 自分の空間の中に、「いつも」とは違う存在があることに心地良さを感じるのは何故だろう。
 また温い欠伸が出て思考が途切れがちになる。猛烈に襲ってくる眠気に負けて瞼を下ろした。
(もう寝よう)
 おやすみ、と惰性で言おうとして。
 まだ辛うじて動いていた脳の片隅を違う言葉が掠めた。そういうことか、と納得すらできてしまったのは眠気のせいだと思いたい。けれど、次に起きた時には忘れているような気がするから。せめて今、口にしておこうと思った。
「ただいま、ラウ・・・」

 部屋の闇の中に、文字通りもうひとつの闇が目を開けた。衣擦れ音を出さないためか身動きひとつせず、隣で幸せそうな寝息を立てている少年を黒目に映す。
 その眼差しが緩められて、そのまま再び瞼の奥に姿を消した。
「おかえり」
 唇の動きに相応した僅かな空気の震えが生まれるが。
 そのあまりに小さな振動は、寝台の天蓋に届くことさえなくシーツと闇に溶けて消えた。
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完結です。
何が書きたかったのかというと・・・・・・。あとがきですらちゃんと書けないのか私は!!
「こんな2人です」ということを書きたかったんだと思います。