雨粒が窓ガラスにぶつかり伝い落ちる様子を延々と見ていた。




 ドアのノック音がことのほか大きく部屋に響いた気がした。
 今日は家にクレオもパーンもおらず、だとすればこの家に今いるのは自分の他にはグレミオでしかありえない。
「坊ちゃん、お茶いかがですか?・・・雨が止みませんねえ」
 予想に違わず金髪緑眼の青年が開いた扉から姿を現した。
 ラウは視界にグレミオを収めると横になっていた体を起こす。
 そうして自分の手にある本に目を落とし、雨音に読書を中断しそのまま忘れていたことを思い出した。どこまで読んでいただろうかと持ち上げるときちんと栞が挟んであって、それは探すことなく判明する。が、やはり栞を挟んだこと自体を覚えていない。
 グレミオには聞こえない程度に息をついた。
「ありがと。喉渇いてたんだ」
 グレミオはトレイに一人用のポット、カップ&ソーサー、砂糖壷にミルクピッチャーを乗せて、サイドテーブルの横で膝を折りそれらを置いた。
「どうぞ」
「ん」
「何か焼き菓子でも持ってきましょうか?」
「いや、いいよ」
 そうですかと静かな返事が返ってくる。
 ラウは思い出したようにいまだ手中にある本のページを捲った。




 コンコンコンと玄関の扉を打つ音が聞こえた。
 よく響く。

 雨が降っている為に外に人通りは少なく、売り上げが見込めないと当然店も出ていない。子供たちのはしゃぐ声や空に遊ぶ鳥の囀りもない。
 あるのは雨。
 だが地面へ向けて打ち付けるような激しいものではないそれは、ただ窓に当たっては流れ落ちた。時折風に吹かれて窓ガラスの上で白く波立つ。
 憂鬱になるというわけではないけれど、決して心躍るようなものでもなく。
 本のページを捲くっていた手は再び止まり、何を思うでもなく雨の流れを目で追っていた。

「こんな雨の日にどなたでしょうね」
 グレミオの声に我に返る。雨の日はどこか思考が散漫になりがちだ。
 グレミオはお茶飲んでくださいねと言い置いて部屋を出て行った。
 後ろ姿をチラとだけ見送って、こくりと喉にお茶を送り込むと、その熱さに意識が覚醒させられた。
 静かな環境は好きだが、静か過ぎるのも考えものだと心の中でひとりごちる。
「・・・・・・?」
 グレミオの声が途切れ途切れに聞こえてきた。何を言っているのかまでは聞き取れないが、なにかに驚いているような調子の声。客(かどうかはわからないが)と何かあったのだろうか。
 ラウはカップをソーサーに静かに下ろすと階下へと降りてみることにした。




「・・・ユウリ」
「あ、ラウ。こんにちはー」
「ああ、うん、こんにちは。って、いや、その格好どうしたの」
 何故かグレミオの姿のない玄関に、ひとり立っていたユウリはラウの姿を認めると同時にニコリ笑って挨拶した。
 が、問題はその姿。
「あははは。見ての通り雨に降られちゃった」
 両手を子供がジェスチャーでお化けを表現するみたく胸の前当たりに構えてみせた。指先と肘からぽたぽたと途切れることなく雫が落ちてくる。
「確かに見ての通り。じゃなくて。ちょっと待って、タオル・・・あ、グレミオが取りに行ったのか」
「うん、驚かせちゃった。ごめん」
「僕に謝られてもなあ。あーあーあー、本当にずぶ濡れだ」
 苦笑するラウの背後からバタバタと慌しい足音が近づいてきた。
「ユウリくんっ、これどうぞ!そのまま浴室に向かってください、いまお湯用意していますから」
「グレミオ、僕がつれてくよ」
 グレミオの手からバスタオルを取ると、声をかけることなくユウリの体に巻きつけた。歩くようにと背を押すことで促す。
「グ、グレミオさんありがとう。すみません、驚かせちゃって」
 後ろを振り返って言うユウリにグレミオはイエイエと応えながらようやく安心したように肩を落とした。

 ユウリの歩いた後に忠実に水溜りが残る。自分の足跡を見て少年は顔を顰めた。
「迷惑の跡が点々と・・・あとで拭くね」
 その言葉にラウは驚き、それから笑い出す。
「いいよ。グレミオがやる」
 おそらくラウの申し出を断ろうと顔を上げるユウリの頭上から新しいタオルをさらに一枚被せて髪を拭いてやる。
「わ、もう大丈夫だって。すぐお湯使わせてもらうんだし」
「これ以上床を濡らされないように、だよ。ほら、足を止めないで」
 クスリと笑ったラウの声に非難の色はもちろん全くない。
 ユウリも諦めて主張を収め、タオルに視界をほとんど遮られおぼつかない足ながら促されるままに浴室へ向かった。




「えー。まずは、大変お騒がせしました」
 ラウに借りた清潔な服に身を包み、グレミオがお茶を持ってきてくれたところで頭を下げた。
「ふふ、驚きましたよ。おひとりで濡れ鼠になって玄関先に立ってるんですから」
 カシャンとごく控えめな音をたてて目の前にカップとソーサーがセットされていく。
 ラウの置きっぱなしになってしまっていたカップを下げ、彼の前にも新しいカップを並べる。
「そういえば・・・ひとりで来たわけじゃないだろう?他の人はどこかに?」
「今日はムクムクたちと来たんだけど、途中で雨になっちゃったから」
 ムクムクたちは雨が苦手らしい。飛びにくくなるので森で別れたのだという。
 雨が止めば自分達で城に戻るから大丈夫、と続けた。
「ムクムクたちの無事はこの際置いておいて。前にも動物だけで来ないことって言ったような気がするけどな」
 ラウがカップに注がれたばかりの熱い紅茶を口にしながら言う様子は呆れているようでもあり諦めているようでもある。
「5匹して僕の部屋に押しかけてきたもんだから断れなくて」
 ムササビが人語で連れて行ってくれと言ったわけではないはずだが。
 それでも向かい合ったムクムクにユウリが話しかけている場面を一度ならずと見ている身としては肯定するより否定する方がにわかに難しい。
 いただきます、とユウリも用意されたお茶に手を伸ばす。
「はあー・・・。グレミオさん、お茶すごく美味しいです」
「そうですか?あっ、これも良かったらどうぞ」
 先ほどラウも勧められた焼き菓子だろうものが平皿に並べられユウリの前へ出される。
「はい、遠慮なくいただきます」
 サクサクと軽い音を鳴らせながら焼き菓子を食べている様子を見ていたら、つられるようにラウも手を伸ばしていた。どうして手に取ったのだかわからないまま、まぁ良いかと口に入れる。手作りならではの優しい味が口の中に広がった。

 一杯目の紅茶を飲み終えたラウが先に話を切り出した。
「この天気じゃ出発は明日に延期だな」
「え?」
 口からカップを離すと、何のことだと尋ねるような目をした。
「・・・僕を呼びに来たんだろう?」
「あ、うん。そう。そうだった」
「忘れてたの?」
 本当に言われてようやく思い出したらしい。
「途中まではそれが目的だったんだけど、雨が降ってきてからはここに着くことが第一目的に替わっちゃってたみたいだ」
 そう言って悪びれずに笑う。
「とにかく歩くんだ、打倒グレッグミンスター!!って気持ちひとつで」
 打倒されてはたまらない。そうは思ったが黙っておく。グレミオが下を向いてこっそり笑ったのが視界の端に入った。
「なんにしてもご苦労様。大変だったね」
「ううん、楽しかったよ」
 労いの言葉をかければ、思いもよらない返事がかえってきた。ラウとグレミオの目がユウリへ集まり、少年はおかしいこと言った?と首を傾げる。
「道中、雨で大変でしたよね?」
 グレミオがそぅと尋ねると、ユウリは2人の疑問が理解できたらしく快活に笑った。
「ほら、雨の日なんて普通は好んで外に出ないじゃない。足場はぬかるむし、濡れた服は肌に張り付いて気持ち悪いし。でも諦めなくちゃならない状況になったら逆に濡れるのが楽しくなったんだ」
 そういえば玄関で会ったとき、ちっとも息が切れていなかった。急いで走ってきたわけではなかったのだ。雨に濡れた晴れ晴れとした笑みを思い出す。
「まったく君は・・・」
 雨が楽しいという感覚を忘れていた。
「?」
 小さく笑うラウとグレミオをユウリは不思議そうに見やったのだった。




「・・・あ。でも坊ちゃん、ユウリくん。明日もひょっとしたら雨かもしれませんよ」
 2人へ向けてやや遠慮がちにグレミオが発言した。
「えっ、そうなんですか?」
「もう一日延期にした方がいいかもしれませんね」
 困ったように、だが優しく微笑むグレミオに、ユウリは心底困ったという表情を向けた。
「うわぁ。じゃあ僕だけ一度帰らせてもらいます。どうしても明日中に城に戻らないといけないので」
 そしてラウの方を向き、口を「ごめん」の「ご」のカタチに開いたところで。
「僕も行こう」
「・・・ぅえっ?」
 中途半端に口を開いた状態だったユウリはその口から短く奇妙な驚きの声を発する。
「ということでグレミオ。明日出るから」
「はい」
 グレミオは止めても無駄と知ってか、ほんの少し眉を下げただけで了承を告げた。
「っ、えええ、でもダメだって!僕ひとりで帰るってば!」
 ワンテンポ遅れてユウリが胸の前で大きくバッテンを作って声を上げる。
「なんで」
「なんでって・・・」
 飄々と尋ねるラウにユウリは肩を落とした。
「僕はラウにまだ来てくださいって頼んでマセン。だから今回はナシ。今日はただのゴアイサツということで」
「雨に濡れてまで大層なご挨拶だな。僕が行くって言ってるんだから。いらないなら行かないけど」
「そういう言い方はズルイよ。いらないはずがない」
「じゃあ決まりだ」
「あああ、もう〜。グレミオさん、ごめんなさい!」
「ユウリくんが謝ることじゃないですよ。坊ちゃんがお好きでなさってることですから」
「そ。お好きでなさってるんです」
「ラーウ!」
 ふざけた調子で言うラウを軽く睨んで、次の瞬間ぷはと空気を吐き出して笑う。
「負けた」
「僕に勝てるとでも?」
 人差し指でユウリの額を押す。ユウリは押される力に抗わず、そのまま窓越しに空を見上げた。
「・・・せめて小止みになるといいな」
「何故」
「そりゃあ濡れなくて良いに越したことないでしょ?」
「僕は楽しみだよ」
「えー、変なのー」
「・・・ユウリが楽しいって言ったんじゃないか」
「わざわざ濡れるのが楽しいとは言ってないよ、濡れるしかない状況になったら逆に楽しいって言ったの」
 小さく舌を出してどこか勝ち誇るように言った。
「なーまいき。小止みだろうが大降りだろうがここからバナーの村まで歩けばびしょぬれ間違いなしだよ」
「あーうん、そっか。でも視界の問題もあるよね」
「なるほどね。それは確かに問題だ」
 ユウリの言い分をすんなり認め、片手を顎に添えて頷く。ユウリの表情がふっと緩んだ。
「ラウ。僕も楽しみになってきた。やっぱりさ、1人よりも2人がいいな」
「旅は道連れってね」
「ヨロシク」
「こちらこそ」
 パチン、と手を軽く鳴らしあった。人口密度が高くなったせいだろうか、その音は部屋にあまり響かないように思えた。




「そういえば。ユウリくん、国境でバルカスさんに会われたんじゃあ?」
 夕食の準備でも始めようかと部屋を出ようとしたグレミオは、ふと疑問を抱いて尋ねてみた。
「ここで雨が止むまでいてくださいって言われたんだけど、断って出てきちゃった」
 だって着くのが遅れちゃう、とけろり言う。
 バルカスを含めた数人がかりで説得に努めただろう、しかし少年は手をひらひらと振ると足取り軽くその場を後にした。・・・そんな映像が頭に浮かぶ。
 バルカスもあれで仕事に忠実な人間だ(だからこそ国境警備なんてじゅうような役目を任されている。知った時は驚いたものだが)、今頃さぞかし止められなかったことに対して頭を悩めているだろう。気の毒だ。
 同じようにラウも考えたのだろうか、片目を細めるとしょうがないなと笑った。
「明日、バルカスのところに挨拶に寄っていこうか」
「うん」
 微笑ましい光景に目を細めたグレミオは、だがそこで改めて考えた。
 バルカスのところへ2人で顔を出して。また留まるよう提言するバルカスらを振り切って、雨の中バナーの村へと向かうのだろうか。わざわざバルカスの傷に塩をすりこむ結果になりそうな気がする。
 グレミオはその穏やかで端麗な作りの顔をわずかに青くする。
 だが。
 すでに別の話題へ移っている2人の少年へ目を向ける。
 大らかな笑顔の多くなった自分が最も愛する歳若い主人と、この家に新しい光を送り込んだ少年の楽しそうな様子を見て、知らずなんともいえない息が漏れた。
 バルカスには悪いが我慢してもらおう。2人のこの笑顔を見たら誰だって同意してくれるに違いない。
 若干主観的目線であることには気付かずに、グレミオは自らの想像にひとり満足げに頷いた。
 窓の外を覗くと、空から落ちてくる雫は先ほどからと変わらない勢いで窓ガラスを濡らしていた。
 先ほどのユウリの言葉ではないが。できれば、小止みになりますように。
 そう、この無茶な2人の安全をこっそり願い、部屋を後にした。
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雨と坊ちゃんということでシリアスを期待された方いらしたらゴメンナサイ。いつか挑戦したいものです!
いつものごとくほのぼのと。降っても止んでも2人だったら楽しいでしょ?という紺乃の希望からタイトル決定。相変わらずタイトルセンス無しです。
Wリーダーがなんだか天然で困ったヤツらになってきているような・・・お、おかしいなー。