「なんか焦る」
「え、何が？」
　サスケのやや苛ついたような声に、フッチはブライトを撫でていた手を止めた。
　サスケとフッチは軍主に同行を求められ、あと１時間に迫った集合時間を前に、 庭の一角で防具や武器の手入れを終えて休憩しているところだった。
「オレ、今年で１５になるんだけど」
「？うん」
「おととしのアイツとたぶん同い年だ」
　アイツ、と名前を出さないものの、フッチはすぐに思い当たったらしく小さく 笑った。サスケのライバル視している相手といえば、純粋な理由でこの軍の リーダーか、もしくは個人的な理由でトランの英雄だ。そして今の場合、年齢 から前者だと容易にわかる。
「でもサスケにはサスケの目標があって、ちゃんと前進を続けてるじゃないか」
「そうだけど・・・でもオレはもっと急がないといけない気がする」
　フッチが目線で何故と問う。
「今までのスピードじゃダメだって痛切に感じる。オレ、ここに来てからそれまで よりずっと頑張ってるつもりだし、その手ごたえも感じてる。でも遅いんだ。 アイツはオレの倍以上のスピードで前を走ってる。差ばっかりが広がって、すごい 焦る」
　最近特にそう思う。自分は忍者の里を代表してモンドとカスミと共に来て、 新同盟軍に力を貸すことを約束した。そして、それを実践し、役立っているという 実感も確かにある。
　だが、ここのリーダーである少年の傍に立つと、急に不安になるのだ。
「・・・それは」
　ブライトが手にじゃれついてくるので、フッチは軽く遊んでやるように手を 動かした。
　嬉しそうに小さく鳴いて、しっぽをばたりばたりと横に倒す。
「ユウリ様はリーダーだから」
「そんなの。オレもフッチも同盟軍の一員じゃないか。それに自惚れるわけじゃ ないけど、結構な戦力になってるはずだ」
「求められているものが違いすぎるよ」
　フッチの余裕にすら見える穏やかさが、サスケの胸を妙に騒がせた。これは 苛立ちだろうか。
「フッチは焦らないのか？」
「僕は・・・。自分のできることをするだけだと思ってるから」
　サスケは面白く無さそうに鼻を鳴らした。
「そういうの志が低いって言わないか？それとも自分をもう１００％わかって しまっているつもりか」
　ケンカ腰にも聞こえるその言葉にフッチは笑い返した。
「そんなつもりなんてないよ。いつもいっぱいいっぱいだし。それに、それを 言うなら・・・僕は身の程を知ったってことだと思うよ」
「身の程？」
「僕は一度取り返しのつかない失敗をしているから」
「先の戦いでってことか」
「・・・・・・」

　フッチがもう４、５年前になる解放戦争にも参加していたことは、カスミからも 聞いたことがある。
　同盟軍のみんながブライトとの初対面時に驚くのに対して、元解放軍メンバー の反応はすこし違っていた。誰だったろう、「見つけたのか」と感慨深げに 言っていたのは。
　サスケが初めてブライトと会った時。竜を間近に見ることすら初めてだった。
　フッチの腕に抱かれた真っ白の竜を遠慮なく覗き込む。
「竜って竜洞でしか見れないと思ってた、すごいな・・・」
「サスケくん、竜を怖がらないなんて珍しいね」
「サスケでいいよ。竜は賢い生き物だって知ってたら怖くなんかないさ。な、 触ってもいい？名前は？」
　フッチは嬉しそうに微笑むと、
「ブライトっていうんだ」
　と、答えた。

　思い当たってサスケははっとした。
「そうか、ブライト。っていうか竜が関係するのか？フッチ、なんでか竜洞騎士団 のサークレットしてるよな。単に憧れてるのかと思ってたけど。え、アレ？」
　混乱してきたらしいサスケにフッチが苦笑した。
「そうだよ。竜騎士団にいたんだ。見習いだったけどね、もう・・・５年以上も 前のことだ」
　忍びは様々な知識を必要とするため、あまり勉強を得意としていないサスケも 勿論例外ではなく、竜洞騎士団のことは一応学んでいた。
　自分のあまり充分とは言えない知識とフッチの過去と現在を照らし合わせ、 ひとつの結論にたどり着く。
「竜、死んだのか」
　口にしてから後悔が襲った。
「ゴメンッ！！オレ、すごい無神経なこと」
「いいんだ。本当のことだから」
　そう言ってまた微笑む。その瞳には想像するような影はなく、サスケは返って 戸惑う。
「隠すつもりはないんだけど、わざわざ言うこともないことだったから 言わなかっただけ。サスケの想像通り、解放軍に入るまでは竜洞にいたよ。 ブラックっていう竜が一緒で・・・僕が無茶したせいで、僕を庇って死んだ。 悲しかったなあ。あの時は後悔ばっかりで」
　ブライトに落とした目線はとても優しい。ブライトが気付いて長い首を傾けて 、真っ黒い目を瞬きする。
「騎竜を失ったら竜洞にはいられないんだってな・・・前に習った。それで フッチは竜を探してたのか？」
「うん、手がかりを求めてハルモニアに行く途中だったんだ」
「じゃあもう竜探しは終わったからハルモニアに行く必要はないんだな」
「ううん。ブライトが本物の竜なのか確かめなくちゃいけないから、この戦争が 終わったら行くことになると思う」
「そっか」
　ギャ、とブライトが相槌を打つように鳴く。
「うわ。コイツ、自分のこと言われたってわかったのかな」
　サスケがブライトの額をトンと押すと、ブライトは甘えた声を出してその指に 前足をかけてじゃれ始めた。
「でもさ、じゃあなんで同盟軍に参加したんだ？早くハルモニアに行きたかった んじゃないのか」
　サスケの素朴な疑問にフッチはキョトンとしたあと、ああそうかと破顔して首を振った。
「ごめん、順番が違うんだ。ブライトと出会うことができたのはユウリ様のおかげ。 だからだよ」
「あー・・・なるほど」
　ユウリという名の少年は、それは様々な場所から様々な人を集めてきている。 その理由も様々だが、フッチの言うような恩を受けたからだ、というような理由も 少なくはなかった。
　軍主不在時にも城に人が続々と訪れる光景を、サスケははじめこそ胡散臭げに 見ていたが、いまではすっかり慣れてしまっていた。
　すべてはあの軍主なのだからあり得る、で片付く。戦時下において随分と のんきだと思わないでもないが、その緩やかな空気がともすれば殺伐とするはずの 軍本拠地を明るくさせている。それは確かにユウリの人柄によるものだとサスケも 気付いていた。
　里にいる時に聞いていた隣国の状態は最悪としか言いようがなかった。同盟とは 名ばかりで、それぞれの思惑によってもはや個々にしか動くことができず、分裂の 一途を辿りつつある、と。
　それが軍主ユウリのもと新同盟軍が旗揚げされ、疑心暗鬼に陥りたがいに敵視 することしかできなかった者たちが再び手を結んでいる。
　一体ひとりの少年が何をしたというのか。一体何をしたら為しえる、そんな ことを。
　考えていると、いつのまにか口はへの字に、眉には皺が寄っていた。
「・・・やっぱり焦る」
「あははっ、頑張れサスケ！僕は応援してるよ」
「うわー、なんでそう他人行儀なんだよ〜！」
　サスケは頭を掻き毟りながらフッチに噛み付いた。
「僕は僕なりに、サスケはサスケなりに。ペースってものがあるだろ？」
　肩を竦めて笑う。
「そ、そりゃそうだけど。フッチは自分を過小評価しすぎてると思うな」
「え。ありがとう」
「今のは褒めてない！」
　勢いで叫んでから、ふいにため息をついた。その変わりようにフッチが どうしたのだろうと窺う。
「よくわかってないんだけど。宿星ってなんだろうって時々思う。 運命ってあるのかどうか、っていうことだけど。オレ、 あんまりそういうこと考えないタイプだけど、でも考えてたら 面白くなくなってくるっていうか」
「・・・僕もわからない。でも僕は、何らかの結果を運命のせいにするのは嫌だな」
　フッチの珍しく強い口調にサスケは目を丸くしたが、やがてうんうんと何度か 頷いてみせた。
「だな。オレは何よりオレのために強くなろうと思ってるし。ユウリが嫌なヤツ だったらきっと里に帰ってたし」
「それって忍びとして許されるの？」
「う、う、うるさいな」
　ほとんど無理やりモンドとカスミに同行することを許してもらったことを フッチを含め、ここにいるほとんどの者は知らない。たぶん。クスクスと笑って いたフッチが笑んだままちょっと遠くを見た。
「あの時、僕がユウリ様に出会ったのは運命だったのかもしれない。でも、 僕を助けてくれたのは、ユウリ様の優しさ以外の何物でもないよ。・・・そういう ことなんだと思う」
「・・・うん。オレもそうだと思ってる」
　ただ認めるのがすこし悔しいだけだ、と付け加えた。
　はじめはただモンドとカスミについて行きたかっただけだった。でも、今は 違うとハッキリ言える。ここに住む人たちを守りたいと思い、その想いに応えたい と思う。また、ライバルであり友人である軍主を支えることができたらと心から 願うし、親しい者たちと互いに鼓舞しあうことができるならと。
「あのさ。話蒸し返すようだけど、オレもフッチのこと応援してるから。身の程 を知ったとか言うなよ、オレたちまだまだこれからだろ。フッチだって 努力しないことが失敗を回避できる方法だなんて思ってはいないんだろ」
　フッチは驚いてサスケを見たが、サスケは視線を合わそうとはしなかった。
「・・・うん、サスケの言うとおりだ。そうだね、一緒に頑張ろう」
　返事の代わりにゴホンという咳払いが返ってくる。
「ブライト、本物の竜だといいな」
「うん」
　どこか恥ずかしそうにしているサスケの様子に気付かないフリをしてフッチは 空に向かって返事した。



「そこふたり。呼ばれてたと思うけどすっぽかす気？」
　突然城内からそっけない声がかけられる。だが、彼が声をかけてくれただけでも ありがたいと思わねばならないだろう。風の魔法のエキスパートは、 声から態度から面倒くささに染まっていた。
　弾かれるようにサスケとフッチが振り返り、そして我に返った。集合時間のこと がすっかり頭からぬけていたのだ。
「えっ、あ、もうそんな時間か！」
「しまった！あっ、ブライトをハンフリーさんに預けてこなくちゃ」
　急いで足元に置いていた装備を拾い上げる。フッチは慌てすぎて、立てかけて あった槍を倒してしまった。
「ぼんやりしてるのと組みたくないからね」
　ため息と共にそう言うと、防具を装着しているふたりをそのまま残して廊下を 歩き進んでいく。
「・・・今日はルックも一緒か」
「ということは・・・」
　美少年攻撃。
「・・・あのさ。思うにユウリ様気付いてるよね」
　言おうか言うまいか迷っていたフッチが口を開く。それを口にすることは 認めてしまうことになり、それは恐ろしいことだったから。
「悪いけど、気付いてる。アイツこないだ戦闘終了後になんつったと思う？ 『惜しい、あとコンマ５秒・・・んー、１秒早く飛び退いて！』って笑顔で 言いやがった。実は鬼だ」
「コンマ５秒と１秒じゃ全然違うよ・・・しかも今だって精一杯なのに・・・」
　それぞれの方向を向いていた目が一瞬にして合うと、グッと両手を固く 握り合い。
「やるしかないね」
「まずはルック対策だ」
　ふたり同時に頷いた。