夕食の時間を過ぎ人通りもまばらになった廊下を歩いている時、背後の気配に ラウは振り返った。気配で充分知った人間だとはわかっていたため、その動きは ゆっくりとしている。
「やあ、ビクトール」
 突き当たりの角を曲がった途端に声をかけられ、ビクトールは一瞬目を丸く した。が、すぐに歯を見せて笑う。
「おう。なんだ、まさか今からメシか?」
「まあね」
 ビクトールが追いつくまで待って、一緒に歩き出す。どうせ行くところは同じ 場所なのだろうと検討はついていた。
「ビクトールはお酒だろう?」
「当たりだ。どうだ、お前もちょっと付き合うか」
「いいね。でも僕はちゃんと食べさせてもらうよ、お腹空いてるんだ」
「遠慮なく食え!」
 はははは、と豪快に笑う年上の友人に、夜もだいぶ更けてきた時間なのだが と思わず苦笑するが、やがてイタズラっぽくビクトールを見上げた。
「じゃあ。遠慮なくいただくよ」
「おう!・・・ん?」
「ビクトールのおごりで」
「は・・・?あっ。そ、そういう意味じゃねえって!」
「男に二言はない」
「がっ・・・、な・・・ああっ、畜生ーっ」
「あはは」


 ビクトールをはじめ、解放軍の面々は遠慮というものがない。 ラウのことを親しみを込めて「リーダー」と呼び、信頼のうちに指示を仰ぎ、 また指示に従う。かつてラウの知っていた上下の関係とは違う、 互いを認め互いを信頼し合った関係だった。
 集まってくる者たちは皆、帝国になんらかの理由で不満を抱えており、だから こそ解放軍の存在を知って力を貸してくれている。
 個々に立ち、 また互いに反発していた幾つもの群れが、一つの目的のために協力し合う。
 かつて限りなく不可能に近かったそれを、可能にしたのはたった一人の少年。 そのまっすぐで真摯な瞳に、それぞれに惹かれ、それぞれに信頼を置き、人々は この湖上の城へ集まってきたのだった。


「仕事はどうだ」
「とんでもなく忙しいよ」
「お前はそういうことをサラリと言うのな」
「別に隠すことでもないかと思ったんだけど。それにリーダーたるものその くらい当然」
 と言って、食事を終えたラウは黒い瓶に手を伸ばす。
 空のグラスを手元に引き寄せると、いい音をさせながら指2本分くらいの高さ まで中身を注ぎいれた。
「飲みすぎだろ、少年」
「誘ったのはそっちじゃないか」
 グラスを目の前に掲げてみせる。濃い琥珀色の液体と大きな氷を通して、 少年の黒の瞳が揺らめいて見えた。
「そういう言い訳は子供じみてるぞ」
「荒くれどもに毎日揉まれてれば、子供の部分をうまいこと使うことも手なんだ って学習するさ」
 荒くれどもってのは俺たちのことかー!と、ビクトールの背後を顔を赤くした バルカスたちが笑いながら通っていく。ラウも「他に誰がいるって?」と、 ニコリ笑って手を振って見せる。バルカスは違いねえと大笑いし、 席に座るとこちらと会話したことも忘れたように、同席の者たちと大声で 話し出した。
 ラウは片肘をテーブルにつくとフと笑う。
「こんな環境に放り込まれるなんて想像もしてなかったけど、それなりに 気に入ってるんだ。自分でも意外なほどに合っているように思う」
「お前さんのは社交性が高いなんてもんじゃねえな」
「幼い頃からいろんな人間と会う機会はあったからかな。それでも順応性の高さ には自分でも驚いてるよ。さほど努力しているつもりもないしね」
 自分達は解放軍と名乗っていはいるが、中身は反乱軍であることを承知している。 国外からの侵略に抵抗するために戦っているのではなく、権力奪取を目的と した内乱を起こしているのだ。つまりは国内勢力の抗争である。
 帝国貴族に生まれ、それ相応の教育を受けながら、いま解放軍リーダーとして 立っている。少年の身でありながら、圧倒的な存在感で。
「それで解放軍新旧メンバーともお前はまとめちまってるんだから大したタマ だぜ」
「僕が出会う人間に恵まれていただけだよ」
「俺とかな」
「くくくっ」
 楽しそうに小さく肩を揺らせる。
「で、その恵まれた人材をもっと使ってやろうとは思わんのか?」
「使ってるつもりだけど。それも一部は特に厳しく」
 ちらりと目の前の男を見上げる。
 解放軍が戦いに赴く時、その最前線に立つ幾人かはほぼ面子が決まっていた。 ラウをはじめ、その中にはビクトールも含まれている。
「あー、確かに。ってそっちじゃなくて。お前は城に戻ってからも仕事がある だろう。マッシュとなにやら話し合ってるわ、かと思えば訓練場には顔出すわ」
「・・・・・・。心配してくれてるんだ」
「当たり前だろ」
 きょとんとした表情でビクトールを見たあと、頬をカリカリと掻いた。
「ありがとう」
「え。ああ。いや、どういたしまして」
 素直に感謝され、こちらが戸惑ってしまう。

 ラウは大人の中でも堂々としていて、纏う空気すら大人びている。
 だが、ふとした瞬間、今みたいに幼い子供のような面を見せるのだ。
 それは何事にも(いろんな意味合いで)まっすぐで誠実であるラウのことを よく考えてみれば、とてつもなく彼らしいのだが。
 もっともそのような姿を見せるのは、無意識の内なのか、マクドール家の者や 自分を含め少数のようではある。

「いやいや、今はそういう話をしてるんじゃなくてだな。つまり、もうちょっと ふんぞり返ってていいってこった」
 何が言いたかったのかを思い出して、むりやり話題を戻した。
「んー。言われてる意味はわかるんだけど。僕の性分かな、これは。やれること はやりたいし。それに、やることがたくさんあることは嫌いじゃない」
 眉を下げて困り気味に笑うラウにビクトールがすかさず口を出す。
「好きでもない」
「変なツッコミ入れないでよ」
「お前はよく『なんとかなる』と言うが、実際なんとかするのは自分だよな」
「うん?そうかな・・・。あんまり考えたことないけど。でもなんとかなってる だろ」
「なんとかしてるんだろうが」
「そんな難しい顔してるとお酒がマズくなるよ」
 かわすつもりなのか、おどけるように肩を竦める。
「お前と会話してると時々自分の言いたいことの10のうち5も伝えられてねえ 気がする・・・」
「大丈夫、5だと思ってる2倍以上は伝わってるさ」
 ニッコリ笑う様子は余裕という名の花が咲いたようだ。 綺麗な花には棘がある、などという言葉がビクトールの頭を掠める。
「あーのな。本人がわかっていても周りにはわかってなきゃしょうがないって こともあるだろうが」
「・・・それもそうだね。うん。了解、努力するよ」
「物分りがいいんだか、悪いんだか」
 ビクトールの言葉にラウはやはり無邪気に笑うとグラスに口を付ける。
 ビクトールも手にあるグラスに目線を落とす。氷が溶けて、だいぶ 薄まっているようだった。気にせず、一気に流し込んだ。
 大して酔いも回っていない頭で少し考える。
「ラウ。俺は愚痴くらい受け止められると自負してるぜ?」
「勿論頼りにしてるよ」
「どうだかな」
 言って、ラウの頭に手を伸ばした。問答無用で乱暴に頭を撫でた後、ぐいと 掴み寄せる。
「わっ?」
「不満とまでは言わない。もしあったとしてもお前は絶対に言わないだろう。 だが、苛立ちくらいあるはずだ。些細なことでもくだらないことでもいい。 言ってみろ」
 目の前に迫った真剣なビクトールの目に、ラウは一瞬釘付けになった。
 この男は、こういう男なのだと思い出す。
 次の瞬間、ラウは柔らかい笑みを零した。
「・・・言わなくても伝わってるだろ、ビクトール?」
「そーれーを、口に出せって言ってんだよ。言葉にすることで解決すること だってある、心の中でもな」
「じゃあ次からはそうしよう」
 大きな手の下からするりと頭が逃げた。
 ビクトールは椅子の背もたれにドッと体を預けた。
「あーったく!俺に言えないならクレオたちには言っておけよ!?」
 ラウは無言で笑みなおすだけ。
 これ以上言ったところで無駄か、とビクトールが諦めて新たな酒を作ろうと した時。

「忙しいけれど。正直苛々したりする時がないとは言わないけど。でもそれは 感謝すべきことなんだろうと思う」
 ラウの落ち着いた声が酒場の雑踏にあっても耳にクリアに届いた。
「・・・10代のくせに達観してんじゃねーぞ」
 ごちん、と軽く拳が額に当てられる。ラウはその拳を受けた額で押し返した。
「達観だなんて。ただ、得たいと思う知識があって学ぶことができ、守るべき 対象がいてそれを守る力を磨くことができる。・・・僕になんの文句を言う 必要がある?それは贅沢の上になりたっている我侭じゃないだろうか」
「正しい理屈だけで感情をすべてコントロールできる人間なんていねえぞ。 まして人間一人のできることなんざ限りがある。それはお前だってよく知っている はずだ、ラウ」
「わかってる。だからこそ、手を抜いてられない」
 そう即答するラウにビクトールはお手上げだと片手を挙げた。片手に酒瓶を 持ってグラスに注ぎながら。
「わーかったよ、わかった。別にお前さんの努力を否定したいわけじゃない。 ただ、完璧であるべきだと思ってるんじゃないか気になっただけだ」
「まさか。人よりちょっと器用だって自覚はあるけど、そんな過信はしていない つもりだ」
「そりゃ良かった」
 軽くグラスを回すだけにして口にした。液体の常温部分と氷が触れて冷たく なった部分が舌の上でマーブル状に感じられてどうもよくない。口を離すと、 今度は念入りに回す。
「ま、話を蒸し返すわけじゃねえが、たまには苛つく気持ちを表に出しても 構わないと思うぜ。すべて吐き出すのが正しいとは限らねえが、逆にすべて 飲み込むことも正しいとは限らねえだろ」
「ふふ。そう言ってくれる人がいる内は、僕は大丈夫だと思っている」
 頼むよ、ビクトール。と言って、グラスを上げた。カランと大きな氷がグラス に当たって一際透明な音を響かせる。液体はもう残り少なく、色も薄い琥珀色に 変わっていた。
「やれやれ。ったくヤダね、かわいげがないったら」
「これでも甘えてるつもりなんだけどな」
 ビクトールが口に寄せたグラスを寸前で止める。
 もし口の中に入っていたら、吹き出していただろうこと必至だ。どう反応 していいか決めかね固まってしまったビクトールに、ラウはにぃと口の端を 上げる。
「かわいいとこあるだろう?」
「・・・バカ言え。自分で言うヤツはかわいかねえよ」
「僕ならあまり人からは言われたくない言葉だなあ」
 椅子を引いて立ち上がると、残りの酒を飲み干したグラスをテーブルに置いた。 グラスの中で氷が僅かに跳ね、硬い音を鳴らす。
「それじゃあ、お先に。ご馳走さま」
 そう言って、少年らしくも大人っぽい、アンバランスさが美しく形を成した ような笑顔を浮かべたのだった。


「と、時にラウ。今持ち合わせの金がだな」
「オッケイ。給料天引きしておくから問題なし」
「ち、ちくしょ・・・!」
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わかって「る」とか、わかって「いて」とか。わかって「欲しい」じゃなくて。

解放軍時代の坊ちゃんを書いてみたいな、と。
なんていうか。真剣に話し合うのもいいけど、何気ないような会話の中で、 どちらも気付かないフリして、わかっていることを匂わせるような。
そんな駆け引きがどこかにあればいいな。

でもなんだか頑固っぽくなった坊ちゃんはやはり少し若いのかもしれません。
うちのラウ坊は16歳で紋章継承してるので、この時点では17歳くらいで しょうか。
青いフリックさんと坊ちゃんのやり取りにも興味ありありー。