やや遠慮がちに響いたノック音に、ビクトールはベッドから起き上がり、
「おう」
と返事をした。
ここはマクドール家の一室であり、ビクトールが割り当てられたこの部屋を
こうして訪れる人は限られている。しかも、ノックの仕方からすれば該当者は
一人しかいなかった。
「よう、ユウリ。どうした」
ドアが開ききる前に声をかける。
「ビクトール、寝る前にごめん。ちょっといい?」
「ああ、まだ寝やしないさ。かまわん」
そう言って手招かれてから、戸を閉じて近づいてきた。ビクトールはベッドの
上で足を組み直すと、少年にも座るように指し示す。
「昼間ラウさんと一緒にいた時、ラウさんの紋章の話を聞いたんだ」
ユウリは腰掛けると同時に話し出した。
「・・・そうか」
実はユウリがやってくる30分ほど前、ビクトールはフリックの部屋を
訪れていた。そこでフリックの口から、ラウとユウリが互いの紋章の話をした
らしいと聞いて驚いた後のことだった。
だが実際ユウリから直接聞いた今も、我ながら驚くくらい鮮やかに胸が
鳴った。まだ会って間もない人間に、あの紋章の話をラウがするとは思いも
しなかったのだ。
しかし。いや、と自らの考えに待ったをかける。ユウリ相手ならばあり得る
かもしれないと。何事にも頓着がない、目の前にいるこの少年であれば。
「それについて俺に相談が?」
「相談というか・・・意見を聞きたくて。・・・僕がラウさんの紋章のことを、
ジョウイの紋章と似ているって言ったんだ。それからジョウイの黒き刃の紋章と
僕のが揃って、始まりの紋章になるって話した。・・・そうしたら、しばらく
してラウさんも教えてくれた。ラウさんは親友から紋章を引き継いだって。
聞き出すつもりじゃなかったけど、ひょっとしたら僕が話さざるを得ない状況を
作ってしまったんじゃないかって思った。ラウさんは・・・きっと話したく
なかった、紋章のこと」
俯き加減になったユウリの頭を、ビクトールが掴んで上を向かせる。
「心配すんな。あいつは自分が話したくないって思ったことは話さねえよ。
それにな、あいつはそんなに弱いヤツじゃねえんだ。俺が言うんだから
間違いない!」
ビクトールの言葉にユウリはふにゃりと困ったように笑って頷いた。
ビクトールがそう
言うのだからこれ以上悩むのは余計なことだと了承したのだ。
「しっかしお前もよく話す気になったな。知り合ったばかりのヤツにジョウイの
ことを話すのは難しいだろう」
「うん?別に話しにくくなんか・・・。あれっ。そういえばあんまりよく考えて
なかったな。懐かしいなぁって思いながらしゃべってたから・・・。う、うわあ。
ど、どうしよう?ラウさん何も言わなかったけど、ワケがわからないから黙って
たのかも!?」
「・・・まぁ、そんなとこがお前らしいよ」
「ビクトール!!」
ユウリの拳を避けながらビクトールは思う。ユウリにジョウイの名を出させた
のもラウだからこそだと。ラウがいくらジョウイの敵でない人間だとはいえ、
普通ならユウリは置かれる立場故に口にすることはできなかっただろう。
ラウの傍にいると、何故だろう、無条件に大丈夫だという気がしてくるのだ。
太陽のような金色の輝きと漆黒の闇の美しさに彩られた、才知溢れる瞳を持つ
少年。過去、正真正銘少年だった彼が、名だたる将らの前に立ち、視線を
めぐらせるだけで皆が勇気に湧いたことは記憶に鮮明だ。
そして昔よりもより一層深くなったように思える包容力。優しさと力強さに
満たされた彼の空気に、ユウリは無意識に緊張を解いていたのではないだろうか。
パシリと、ユウリの拳を受け止めてからそっと離す。
「ユウリ。あいつもまたいろんなものを背負っている」
「・・・うん。でも、とても強い人だって思った」
そう短く答えたユウリの瞳を見て、ビクトールは口元を綻ばせた。
物事の真実を見極めようとする少年の瞳はまた、ラウをもまっすぐに見ていた。
「トランの英雄」というフィルタを通さず、心に直接響くものを素直にそのまま
受け取る。そのこだわりの無さは、人に言われて身に着くものではなかなかない。
ラウの事にしても、具体的なことは何一つとして知らないはずなのに、何かを
敏感に察知し、理屈ではなく感覚的に受け止めているのだろうとビクトールは
思う。
「そんだけわかりゃ充分ってもんだ。話す機会がまたあったら近づいてみろ。
あいつは俺の自慢できる友達の一人だ」
ニカリと笑って、ユウリの肩に大きな手を置いた。
「うん。もっと話してみたい」
ユウリは肩の上の重みに力づけられるように、はっきりと頷く。ビクトールが
ラウのことを友達と表現したことを何故か嬉しく思いながら。
「砕けたはずの剣と盾・・・ねえ」
ユウリの出て行った戸を見ながら、ビクトールは先ほどフリックの部屋で酒を
呑みながらチラとのぼった話題を思い出していた。
ビクトールの持ってきた酒(正しくはビクトールがグレミオから分けてもらった
もの)を口に運びながらフリックが言った。
「去り際にラウが言ったんだよ。剣と盾は何を失い、何を得たと思う?ってな」
「あん。伝承のことか」
「俺もそう聞いたさ。そうしたら目を細めて過去形に聞こえなかった?って
皮肉られた」
「くっく、ラウらしいなあ」
「そうそう。・・・じゃなくて。その質問だよ」
「ああ。ええと?・・・剣と盾は7日間戦い、互いに砕け散った。そして砕けた
剣と盾が空や大地となり、そして二つを飾っていた宝石が27の真の紋章と
なって世界が動き始めた・・・だっけか?」
「あー・・・俺の記憶もそんなものだ。で、何を失い、何を得た?」
「さあなぁ。わかんねえ」
けろりと即答するビクトールにフリックは顔をしかめる。
「少しは考えるとかないのか」
「わーるかったな。生憎と俺にはその問いに対する答えは出てきそうにねえよ」
と、歯をむき出して答える。フリックはフと小さくため息をついたものの、
まぁな、と続けた。
「俺も考えたところで何も浮かばなかった。なんていうか・・・下手なこと
言えないだろ」
バツが悪そうに頭を掻く。ラウは伝承の話だと言ったが、明らかにユウリの
ことを考えての問いかけだ。ビクトールもそれに気付き苦笑いを浮かべる。
「んで?肝心のラウはなんて言ったんだ」
「ああ。あいつは・・・」
互いを失い、答えを得た。そう答えた後、ラウは複雑な顔をしたらしいフリック
に気付いて微笑み、物語だと付け加えた。が、しかし、と続ける。
「じゃあ何故、剣と盾の紋章が存在する?」
砕け散ったはずの剣と盾。
わからない、と素直に言ったフリックへラウは背を向けながらこう答えた。
「待ってるんだ」
何を、と問うフリックに、ラウは柔らかな笑みだけを返したという。
「・・・ラウのやつ、なぁに考えてんだかよくわかんねえけど・・・」
ビクトールはベッドに横になり、天井を見つめながらひとり呟く。数分前
までユウリが座っていた場所もすっかり冷たくなっていた。
「少なくとも伝承と同じ答えが出ることを望んじゃいないってことかね」
と言葉にして、ん?と何かに気付く。
「・・・何を・・・?・・・誰が?・・・ラウが?それとも紋章が、か?」
そのまましばらくじっと天井を睨みつけていた。しかしやがて、ふあ、と
大きな欠伸をして両腕を広げた。
「ああ、俺にはわからん。まったく、俺は体を動かしてるだけのが性に合ってる」
だが。
「・・・俺だってそんなのは望んじゃいない・・・」
そう口を動かして、ゆっくりと目を閉じた。
ガシンッと重たい音と共に、左手のトンファーが弾き飛ばされた。
「っ!」
一瞬、手を離れたトンファーに気を取られる。すぐさま「しまった」と思うが、
遅かった。
「甘い」
声と共にコツンと頭に棍の先を当てられる。
「・・・!」
数メートル離れた場所から鈍い音がし、半分以上はその正体を知りながら目を
チラリと向けてみれば、想像通りトンファーが草の上に転がっていた。
「手。痺れてるんじゃないか?」
「あ、大丈夫です」
「反射神経いいね。うまいこと力を流した。なるべく気をつけていたつもり
だけど、今回は思いっきり当たったからやっちゃったかと思ったのに」
握って開いてを繰り返すユウリの左手を見ながら感心したようにそう言った。
「そんなこと気をつけながらやる人なんて普通いませんよ」
褒められて嬉しさ半分、実力の差を感じて悔しさ半分。
「まあね」
棍を肩の上でトントンと弾ませて明るく笑う。その様子があまりに様になって
いるのでユウリは苦笑しながら落ちたトンファーを拾い上げる。
自分が自分について褒められたとして。それを当たっているからといって
笑って受け止められるだろうか。
「僕にはまだできそうにないな。ってその前に実力を付けるのが先だよね・・・」
「え、何?」
「いいえ、何も」
そう?と笑って、そろそろ戻ろうとユウリの肩に手を添えて歩き出す。
ユウリはそのラウの手を見て、そして自分の手を見る。
実力。今の時点でその差があることはよくわかっている。しかしそれは練習
次第で近づくことができるとも思うのだ。それ以外に。絶対的に足りないものが
ある気がする。と、考える前に答えはすぐ出た。
「自信・・・」
「何を黙って考えているのかと思えば」
ユウリの口から思わずこぼれた言葉に、笑み混じりのラウの声。
「す、すみません。ひとりごとです、いえ、口に出すつもりじゃなかったん
ですけど。その・・・僕には自信が足りないと思って。あ!自信がある
ものが有るかというのはまた別の問題で・・・!」
説明するつもりが、どんどん深みにはまりつつある気がする。
「ふうん?確かにユウリは謙虚すぎる気がするけどね。・・・うん。自信を
付けるには何事も努力が一番の近道だよ。そうすれば結果は出てくるし、それがたとえ
自分の望んだレベルに至らなかったとしても、必ず自信には繋がる」
自分より少し高い位置から笑いかけるラウの黒い瞳を見上げて、ユウリは
少し恥ずかしそうに笑い返した。
「はい。頑張ります」
見下ろす黒の目が細められる。
「僕も手伝うよ」
「・・・・・・?はい」
ラウの言葉の真意が掴めず、首を傾げながら返した。よほど曖昧な表情で
返事したのだろうか、ラウはユウリがそう答えると吹き出した。
「え?え、なんですか。何か変なこと言いました、僕?」
「変っていうか・・・」
ククク、と笑うラウの反応がユウリにはさっぱり理解できず、何と言って
よいかがわからない。
「ん、ごめん。僕の反応の方が変だ」
反論する間もなく笑いを抑えて謝られてしまい、ユウリはため息を
つくしかなかった。
「いいえ。・・・でもそんなあっさり自己完結されると困ってしまいます。
僕はからかわれているわけではないんですよね?」
ラウは口元に笑みを浮かべる。それをユウリは肯定と取った。
「それじゃあ教えてもらえますか。何を手伝ってくださるんですか?」
「ユウリが望んで、僕ができることならなんでも」
これまたサラリと返すので、ユウリは訝しげにラウの顔を見やる。
「それは・・・言葉のとおり受け取ってもいいんでしょうか」
「もちろん」
「例えば、ですよ。例えば僕が明日も稽古に付き合ってくださいって言ったら?」
「例えばでなくても、いいよ」
「本当ですか!やった!」
眉間に皺を寄せていたことも忘れて、興奮に顔を赤く染める。ストレートに
喜びを表現されて、気を悪くするものはいないだろう。ラウも例外ではない、
少年の反応に思わずくすりと笑みを漏らす。
「デュナン城に戻った後もユウリがここに来たくなったらいつでも来るといいよ。
僕はしばらくはグレッグミンスターにいるつもりだし、家の者にも言っておく
から」
「えっ。そこまでしてもらっちゃ悪いです」
慌てて横に振るユウリの頭へラウの手が伸び、ぽんと置かれた。
「僕がユウリの力になりたいと思ったんだからいいんだよ」
こちらを見る黒い瞳は本当にいいのだと語っていて、ユウリはその瞳を
見つめたまま小さく頷いた。
「わかりました」
ユウリの素直さに満足してか、目で笑うとラウは歩きだす。
「さ、本当にもう帰らないとグレミオがうるさいんだ」
「グレミオさん、ラウさんのことすっごく大事にしてますよね!」
小走りに近づく少年を見やって苦笑した。
「さすがに過保護だとは思うんだけどね。言っても聞かないんだ。もう諦めた」
「でもラウさんも嬉しそうですよ」
「・・・ユウリ」
「はい?・・・っ、い、いひゃ、いひゃいー!!」
「口は災いの元ってね」
ぎうう〜っとユウリの頬を引っ張りながら、なんとも綺麗に微笑む。
「痛、たっ、ひ、ひどいじゃないですか!僕はただそう思っただけで・・・ッ」
手を離されると涙目でラウを睨み上げて反論に転じようとしたが、
ユウリはすぐにそれを止めた。
「そう。それが賢明」
伸びかけたラウの手が戻るのを見て、ユウリがほっと息をついた。
「ラウさんが照れ屋さんだなんて意外でした」
ユウリが悪気無くポロリとこぼした言葉に、ラウは膝から崩れ落ちた。
純粋に驚いて手を貸そうとする少年に、ラウは呆れたように息を吐き出す。
「まいった。ユウリみたいなタイプは初めてだ」
「・・・一体何のことですか?それにそれは僕のセリフですよ」
顔を合わせると、俄かに笑い合った。
ラウが、そして数歩遅れてユウリが再び歩きだす。
軽く後ろを振り返ったラウの横顔が夕日の赤にそまって、その境界が曖昧に
なる。ユウリは目を細めて辛うじて彼の唇が開いたのを確認した。
「全てはユウリ次第だ」
ラウの声は夕暮れの空気のようにあたたかい重みを伴い、
優しくまた力強くユウリの耳へ届く。
「はい」
ラウの曖昧とも取れる言葉に、ユウリは短く、だが
確実にまっすぐ意思を返す。そんな少年の様子にラウはふわり微笑む。そして。
「ユウリの好きにしたらいい」
ラウは、ユウリへ右手を差し出した。
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ここで終了ですー。読んでくださった方、ありがとうございました。
なんだかな出来で・・・。言葉も表現方法も足りません。
答えが出たような出てないようですが、それでも良いかなと。
全ての行動に確固とした理由があるわけでもない気がします。なんて。理屈っぽく。
2主と坊ちゃんがなんとなく近寄りつつあればそれでいいです。(私がか!)
坊ちゃんへの敬語はハマりそうでした。
うちの2主は言いませんが、「マクドールさん」とかいいですねー!
いろいろ修正しながら進めていたら、いつもと同じ長さになってました。
元は半分くらいだったのに・・・一体何が増えたんでしょうね(笑)