「ユウリ、使うな!!」
「嫌だ!!」
 迷いの全くない拒否の言葉とほぼ同時にユウリの右手から光が発せられた。 次の瞬間、眩いばかりの光が周囲に満ち、思わず目を瞑る。
 羽にそっと触れられたような感覚と共に、数々の痛みはすぅと 消えていった。
 だが全身を柔らかく包み込んでいくそれは、あまりに優しすぎてラウの胸に 小さな痛みを与えた。



「じゃあ1時間半後にここで」
 それから間もなく森を抜けてとある村に着いた一行は、ちょうど昼の時間を 迎えていたので多めに休憩を取ることになった。
 村の入り口でのリーダーの言葉にメンバーはやったぁと賛同の声を上げる。
 テンガアールと彼女に手をひかれたヒックスがいち早く村へと入っていき、 続いて駆け出そうとしたミリーとメグが共に長い髪を揺らして振り返った。
「ねえねえ、リーダーはご飯どうするの?」
「あっ、一緒に食べに行こうよ!」
 誘いを受けた同盟軍リーダー、ユウリは何故か動こうとする気配を見せず、 立派な木の幹を背にしながら落ち着いた様子でゆっくりと笑んだ。
「うん、ありがとう。でも僕は・・・」
「ちょっと付き合ってもらう用事があるんだ。二人で先に行っておいで」
 ユウリの言葉を穏やかに遮って、隣に佇んでいたトランの英雄がニコリと 笑って答える。
「はーい」
「じゃあ何食べよっか」
 見た目以上に大人っぽい表情を浮かべる黒髪の少年に、少女二人は元気よく 返事すると、はしゃぎながら村の中へと消えていった。

「・・・ありがとう、ラウ」
 頭上から落ち込んだ葉の影によって、ユウリの青白くなった顔は よほど近くで見ないと判りにくかった。
「いいから。早く座るんだ」
 笑顔を消して言うラウに、じっと立ったままのユウリは困った顔をした。
「ここで座り込むのはマズイよ。人通りがあるし・・・」
「じゃあどうするつもりだ。・・・ッたく!」
 珍しく苛立たしげに眉を顰めると、ユウリの膝を掬い上げたのだった。
「ラッ・・・!?お、下ろしてっ、重いよ!」
「そりゃあ片腕でってわけにはいかない程度に重いよ。でもユウリが歩けない ならしょうがないだろ」
 言い当てられたユウリが息を呑む。ここに座り込むわけにはいかない。 かといってこれ以上歩いて移動できる状態でもなかったのだ。

 ラウは村に入ってすぐ脇に木々が生い茂る場所をすばやく見つけ、中へ 分け入った。
「ここならあまり人も来ないだろう。楽にするといい」
「うん、大丈夫」
 ひとつの木の根元にユウリを下ろすと、ラウも並んで座り込んだ。
 その表情は涼しげで、大して体格の変わらない人間を抱えて歩いたようには とても見えない。
「迷惑をかけたくないって思ってるなら、なんでも正直に言って欲しいんだけど な。黙っていられる方がよっぽど困るよ」
「ごめん。・・・ありがとう」
 素直な謝罪と感謝の言葉にラウの表情が緩む。
「まったく。力を使うなって僕の忠告を即答で断ったね」
「うっ。そ、その通りです」
「次まで待ってくれたら僕が回復したのに・・・。ハイ、これ」
 と、濡れているらしいタオルを項垂れたユウリの前へ差し出した。
「顔拭くといいよ。少しはスッキリするかもしれない」
「ありがとう。うわ、冷たい」
「紋章の上手な日常活用方法かな」
 笑って目の前に掲げた左手の甲には流水の紋章がまだ淡くブルーに色づいていた。
 このトランの少年は自分が知らない紋章の使い方をよくしてみせる。特にその 方法を根掘り葉掘り聞いたことはないが、毎回素直に凄いと思ってしまう。
 タオルを広げて額と瞼の上に乗せる。冷たさが鈍さを残す頭に染み込んで いく心地良さに、ユウリは大きく息をついた。
 しかし。
「ん。ラウって流水の紋章なんて宿してたっけ?」
「あれ、よく気付いたね」
 記憶ではラウの左手には補助系統の紋章が宿っていたように思う。たしか 回復系はあまり使わない、と言っていた気もする。ユウリが思うに、たぶん ラウ個人にあまり必要がなかったのだろう。
「付け替えたんだ。どこかの無茶な軍主さんと行動するにはこっち(回復系) の方がいいみたいだからね」
「・・・誠に申し訳ありません」
 あはは、と明るい笑い声が耳に入ってくる。この年長者の明るくサバけた ところにユウリは随分救われていた。
「ラウがいてくれて良かったな」
「それってどういう意味?」
「え?あっ、回復役がいてってワケじゃなくて・・・!わ!?」
 ふいに瞼の上のタオルが持ち上げられ、木漏れ日とはいえ予想外の眩しさに 目を細める。
 あたりの明るさに慣れてみれば、ラウが楽しそうにユウリの顔を眺めていた。
「ちょっとイジワルしてみた。これでチャラってことで」
 言うなり、タオルがまた瞼の上に落ちてきて、ユウリは慌てて再び目を瞑る。
 チャラにするにはこちらのかけた迷惑の方がだいぶ大きいのだが、これで 良いとわざわざ言ってくれたのだからこれ以上気にするのはやめようと自分に言い聞かせる。
 遠慮や気後れがかえって相手の負担になることはユウリも知っている。 とはいえ、どうしてもすまないと思う気持ちは捨てきれないのだが。

 さわさわと葉の擦れあう音と、頬を撫でる爽やかな風。
 この辺りは田舎で空気が良いのだが、さらに緑で洗われたそれはとても 澄んでいて気持ち良い。
 呼吸をするたびに体の中に溜まっている澱んだ何かが消えていくような気がした。



 ラウはちらりと隣に座る少年を見やった。
 木にもたれて顔をやや上向きに保ったユウリは静かに呼吸を繰り返している。
「・・・やれやれ」
 立てた片膝に腕を置き、その手に顎を乗せる。呆れた言葉のひとつも 出したくなるというものだ。
「自分もこうだったとか?・・・いや、ここまでは・・・。どうだろう」
 唸るように呟き、また一つため息をこぼす。
「周りの者の労苦って思った以上に大変なものだな」
 ないとは思わなかったが、これほどとも思わなかった。
 脳裏に浮かんだのは、グレッグミンスターの我が家に残るグレミオ、クレオ、 パーンの顔。帰ったらちょっと孝行でもしてみようか、などという気がしてくる。 彼らにはもう随分といろいろな我侭を聞いてもらっている。
 先ほどユウリにかけた自分の言葉を思い出してみると、偉そうなことを言った ものだと思う。
 ここにグレミオがいたらなんと言っただろうか。「そうですよ!坊ちゃんも グレミオには包み隠さず・・・」と、すかさずこちらに矛先が向きそうだ。
 クレオなら快活に笑いながら「あら。坊ちゃんもわかってらっしゃるんじゃ ないですか」とでも言うだろうか。
 パーンに至っては「坊ちゃん!隠し事なんて水臭いですよ!」と厚みのある 大きな手が背中に振り下ろされるか・・・。
「はは、想像ができるくらいには迷惑をかけてるってことかな」
 苦笑を滲ませ顔を上げれば、葉が揺れる度に黄や緑に彩られた光が目に 落ちてくる。
 と、陽光が直接目に入り込んできて、刺激の強さに瞳を閉じた。
 閉ざされた視界をなお白く染め上げるその光はただ眩しかった。



 パサリ、という音にラウは目を開けた。
 少しうとうとしていたようだ。音の元を辿ってみると、地面に落ちたタオルが 目に入る。次いでやはり今起きたのだろう隣の少年と目が合った。
「やぁ」
 先にラウが声をかけると、ユウリは眩しそうに目を瞬かせた。
「・・・タオルがズレ落ちる感覚に驚いて目が覚めた・・・」
「どう、調子は?」
 顔を覗きこむと、恥ずかしそうに笑い返す。
「うん、だいぶスッキリした。どれくらい寝てた?」
「30分くらいかな。ごめん、僕も少し寝てたみたいだ」
 ユウリは目をぱちくりとさせたが、すぐに顔を綻ばせる。
「良かった。ラウも休めたんだ」
「気持ちよくてつい。ユウリに回復してもらったのにな」
 おどけるように肩を竦めるラウにユウリは軽く首を振った。
「僕の紋章で回復できるのは体の傷までだからね。疲れがあるのは当然だよ、 休まなくちゃ」
 その言葉は何故かラウの胸を小さくざわつかせ、それに対抗するように急いで 次いだ。
「僕がこれくらいで疲れるとでも?違うよ、ただ単にあんまりいい天気だから 昼寝したくなっただけ」
 ユウリは無意識の内か、時々どこか危ういと思わせる発言をぽろりとこぼす。 それは弱音を吐くでもなく、悲観的な言葉でもないのに。それとも自分の 気にしすぎだろうか。
 そっと少年へと視線を向けてみる。
「そっか。うん、すごく気持ちいい。あ。僕の場合はこれのおかげもあると 思うけどね」
 と、傍らに落ちていたタオルを手に取って笑う。それは普段となんら 変わらない淡い陽だまりのような笑みだった。
「・・・紋章を付け替えた甲斐があったかな」
 いたずらっぽく笑ってみせれば、ユウリも嬉しそうに白い歯を見せて笑う。 顔には血の気が戻ってきていた。



 ラウは立ち上がると、自身についた草を静かに払い落とした。
「何か食べられるかい?まだ移動もあるし、できれば何か口にしたほうがいい」
 食欲が全くないわけではなかった。しかし、今はここで体を休めたい気持ちの 方が大きかった。
「んー・・・いいや、このままボーッとしてる。もう大丈夫だし、ラウは 食事に行ってきて?」
「じゃあ何か買ってくるよ。一緒にここで食べよう」
 またもや隠したものに気付かれてしまった。
「・・・ごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」
「わかってる」
 くすりという小さな笑い声に目線を挙げると、口角をツと上げてこちらを 見下ろす、だが優しい笑顔がそこにあった。
「付き添い甲斐があるってものだ。ねえ、手が焼ける軍主さん?」
「反論の余地がアリマセン」
「正直で宜しい。・・・でも全回復、ありがとう。じゃなきゃ今頃みんな 疲れきって昼ごはんどころじゃなかったね。お疲れ様、ユウリ」
 ぽんぽんと頭を軽く叩くと踵を返した。
 バンダナの先を揺らしながら再び茂みへ分け入っていくラウの後姿を どこかぼんやり見ていたユウリが、何かを思い出したように声を高くした。
「ラウ!入り口近く右手にある宿屋は持ち帰り用のメニューがあるんだ、そこが いい!」
「・・・へえ?じゃあそこにしよう」
 ユウリがこういうことに主張を示すのは珍しいと思ったが、足は 止めずに手で了解のサインを送る。
「それとパストラミビーフのサンドイッチが美味しいんだ!ピクルスも女将さんに 言ってもらってね!」
 さらに後ろから追ってきた声に今度は足が止まった。振り返ったラウの少し 驚いた顔は、ユウリからは確認できなかっただろう。木の幹に背を預けたままの 少年は笑顔で手を振っている。いってらっしゃい、の声に目を細めて応えると、 また元の進路へ戻った。

「パストラミビーフにピクルス、ね」
 まだ本調子でないユウリが突然肉類を食べたいと言うとは思えないし、特に それが好物だとも聞いたことがない。それなのにあれだけ熱心に言うなんて。
「・・・僕が好きだって知ってたのかな」
 ひょっとしてグレミオが教えたのだろうか。同盟軍リーダーはマクドール家を 訪れてはよく台所で金髪の青年と楽しそうに料理に勤しんでいる。 それとも一緒に行動している内に気付いたのか。足を進めながら妙に 気恥ずかしい気分になって、何故か咳払いをしてみる。
 それから緩みのおさまらない頬に手をピタリと押し当てた。
「何を頑張って言うのかと思えば・・・。こういう時はもっと 自分のことに我侭になればいいのにな」
 それでもこういうどうでもいいことを覚えていてくれたことが嬉しいという 気持ちも隠しようがなく。我ながら困ったもの だと思いながら、目線を先へ向けると緑の向こうに人影がちらほらと見え始めた。
 黄緑の柔らかい草と湿度を程よく保った土は足に優しく、前へ前へと体を 押してくれるようだ。
「・・・さて。困ったリーダーさんの為に消化のいいものを作ってもらわないとね」
 顔には笑みを残したまま、足を速めた。
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遠慮や我侭って、時と場合によって、困ったり嬉しかったりするものではないでしょうか。
それから、自分が甘えることのできる人がいるということは勿論のこと、 自分に甘えてくれる人がいるということも嬉しいことだと思うのです。

少し男っぽい坊ちゃんを目指してみましたが。・・・お兄ちゃんぽいような気が しなくもない。はっ、フリック2号!?(本人達は激しく否定しそう)
そして坊ちゃんを勝手に肉好きにしてスミマセン。 さらに勝手に2主は肉より魚派と思います。なんとなく。(あああ、話がズレてる〜)

そういえばこの話だと、紋章を使ったら命縮めるって二人ともわかってる ことになっちゃいますね。うーんと、その辺はあまり考えてませんでした。