ユウリは瞬きをして、視界に入ってくるのが天井であることを確かめた。
　闇に慣れた目は天井の木目をすぐに映したが、寝ていた頭でそれを天井だと 認識するには少しの時間が必要だった。
　どうして目が覚めたのかはわからない。気がついたら天井を見つめていた。 それほど珍しいことではない、むしろ割とよくあることの内に入るだろう。
　気を取り直して、寝直そうと枕に頭を落ち着けて瞼を下ろす。

「・・・・・・っ」
　ユウリの右耳へ絞り出すような小さな声が入ってきた。
　今夜、この部屋で寝ているのはユウリとジョウイの二人。ナナミは別の部屋で 寝ている。

「う・・・・・・」
　また聞こえてきた声に、ユウリはベッドから降りると右隣の ベッドへ近づく。
「ジョウイ」
　そっと声をかけた。呼びかけられた少年は声に反応を示したようだった。 だが、すぐに眉間に皺を寄せる。
「ぃ・・・・っ、だ・・・」
　なんと言っているのかはよくは聞き取れない。ただ、顔を滑り落ちていく汗が 彼の見ているものをユウリに容易に想像させた。
　ユウリはたまらず肩に手を伸ばしてジョウイの体を揺らした。
「ジョウイ、起きて」
「・・・う・・・っ」
　ジョウイは歯を食いしばると、顔を横に倒した。汗の玉がいくつか枕に流れ 落ちる。
　ユウリは一度手を戻し、辺りを見回した。サイドボードの上にタオルを見つけ ると、それで汗を拭おうとした。
　と、ジョウイの手がそれを狙ったかのように伸びてきて、ユウリの腕を しっかりと掴んだ。
「！！」
　驚きのあまりユウリはもう少しで声を出しそうになったが、喉元でなんとか 止める。
　ジョウイの手にさらに力が入り、その強さにユウリは小さく顔をしかめた。
「な・・・ぜ・・・！行かな・・・・・・っ」
　ばくばくと煩いほどに鳴っていた心臓は、ジョウイの言葉に急速にその速度を 緩めた。
　ユウリは空いている方の手をジョウイの頭へ置くと、髪の流れに沿って軽く 撫で始める。

　どんな夢を見ているのかはわからない。
　どんな言葉をかけていいのかもわからない。
　頭を撫でることに何の効果があるかもわからないが、それしか できることはないような気がした。
　ユウリが無言の内にそれを数回繰り返していると、突然掴まれていた腕が 解放され、同時にジョウイの腕がシーツの上にぱたりと落ちた。

　ハイランドの皇王になっても戦場へ出ることをやめなかったジョウイの腕には 筋肉が綺麗について引き締まっている。ユウリはその腕を取って布団の中に しまった。
　それからジョウイの顔を見れば眉間の皺も消え、苦しそうなうめき声 の代わりに規則正しい息遣いが耳へ届いてきた。ユウリはホッとして手早く彼の 顔の汗を拭うと、自分のベッドへと戻ろうとした。

「・・・・・・リ・・・」
　背後からの声に振り向くが、ベッドの上の彼はうなされている様ではない。
　ただの寝言だろうと緊張を解いたユウリは、だが、ジョウイの両目の端に新た に光るものを見つけた。
　それは、すうと一筋の線を描いて彼の銀に近い淡い金髪の中に消えていった。
「ジョウイ・・・？」
　ジョウイの息は乱れず、穏やかなままだ。

　悪い夢を見ませんように、とは言えなかった。
　それは絶対に無理なことだと分かっているから。
　ジョウイが悪夢を見るように、ユウリも時折悪夢に目を覚ますことがあった。
　できれば見たくないと思うものの、抗うつもりはなかった。
　きっとその思いはこの親友も同じように持っているだろう。
　それはもうどうしようもないことで。
　それでも親友がこのように苦しんでいる姿を見るのは辛かった。

　ジョウイの傍らへ引き返すと、彼の顔を覗きこみ、両手を顔に添えた。
「・・・せめて。もう今夜はゆっくり眠れますように・・・」
　そう囁きかけると、ジョウイは微笑んだような気がした。



　次の朝、ユウリが目を覚ました時には、ジョウイは身支度も済ませた後だった。

　目を擦りながらベッドから起き上がったユウリにジョウイが笑いかける。
「おはよう、ユウリ。よく眠れたみたいだね？」
　どちらかというとジョウイは目覚めが悪く、普段はユウリの方が先に起きる。
「おはよう、ジョウイ・・・。なんかぐっすり寝てたみたい。・・・珍しいね、ジョウイ が僕より早く起きるなんて」
「うん。今朝はなんだかスッキリと目が覚めたんだ」
　そう言うジョウイの顔は本当にスッキリとして気持ち良さそうだったので、 まだ寝ぼけた頭ながら安心した。
「顔洗っておいでよ、もうすぐご飯だよ。そろそろ起こそうと思っていたんだ」
　ジョウイに促されて、部屋干ししていたタオルを手に洗面所に向かおうとした。 ひとつ思い出してサイドボードへと目を向ける。

「・・・あれ？」
　昨夜のタオルを探して目が泳いだ。そのまま置きっ放しで寝てしまったので、 洗面所で一緒に洗ってしまおうと思ったのだが、そこにタオルはない。 落ちたのだろうかと下を覗く。
「ユウリ。何か落としたのかい？」
「ううん。昨日ここにタオルを置いてたんだけど・・・」
「あ・・・。えっと、僕、ちょっと使ったんだ。だから洗っちゃったんだけど マズかったかな・・・？」
　思ったよりも歯切れの悪い返事がかえってきて、ユウリはキョトンとした。
「え？あ、そんなことない。僕も洗うつもりだったから」
「そう。じゃあ良かった」
　笑いながら、やや切れ長の目がユウリの方をチラリ向いた気がした。
「・・・何、ジョウイ？」
「んっ、いや！な、なんでもないよ！ほらほら、急いで。ナナミが呼びに来るよ」
「変なの」
　渋りながらもジョウイに背を押されて洗面所に立った。
　それでもナナミ、の言葉に確かに早く用意しなければと思い、 とりあえず蛇口を捻る。

　ぷは、と息をして顔を上げると、鏡の中の自分と目が合った。
「あれ」
　目をぱちぱちと瞬く。
「寝不足・・・なハズないし。水が目に入ったのかな・・・？」
　下瞼を軽く下げる。ユウリは少し赤くなっている自分の目を覗き込んだ。
「・・・？ま、いっか。それよりも急がなくちゃ」
　濡れた顔をタオルでおざなりに拭くと、歯ブラシに手を伸ばす。



　コンコンコン、と少しせっかちなノック音が聞こえてきた。