「よう、フリックじゃねえか」

 名を呼ばれた青年は、下りの階段へ踏み出そうとしてた足を止めた。
「ビクトール。いたのか」
 さも今呼ばれて気付いたかのように、この踊り場から外へ続いてるバルコニー へ向く。バルコニーといっても木や花、一つだけだがベンチも置かれてあるので 、ちょっとした庭のような作りになっている。
 青いバンダナを揺らして、バルコニーの端に腰掛けている友人の元へ 近づいてゆく。

 本当は、気付いていた。

 新月の晩であったため辺りは闇に包まれていたが、人の気配を感じ取った フリックは足を止めてバルコニーを左から右へ見渡したのだった。 その右端、城の壁にもたれながら闇に向いているビクトールの姿をフリックは 視界に納めていた。

 その珍しいともいえる光景に、フリックはある出来事を思い出した。
 約一月半前の満月が欠け始めた晩。ミューズでビクトールは親友―親友と いう表現が正しいかどうかはわからない。だが、心のどこかで結びついた 相手だったとは言えるだろう―をなくした。
 彼女を思い出しているのかもしれない、と静かに退出しようとした。だが。

「フリックじゃねえか。何こんな夜更けにフラフラしてんだ?色男はすみに置けねえな」
 一応声のボリュームは落としているつもりなのかもしれない、しかし それでも十分大きく、夜の城によく響く。
「もうちょっと声を小さくしろ、ビクトール!それと俺は軍師殿に呼ばれて 遅くなっただけだ」
「シュウはまだ仕事か。一日中よくやるよ」
 笑いを含みつつ、呆れたように言い放つ。
「マッシュにしろシュウにしろ、軍師さんってのはやっかいな人種だな。 それともあの師匠あってこの弟子ありってことか?」
「それについては俺も全く異論はないが、たぶんこちらも向こうにそう思われ てるぞ」
「くくっ、違いねえ」
 ビクトールの元にたどりつくと、地面に腰を下ろす。
 ほんの少しひんやりした感じが気持ちいい。 そしてバルコニーの手すりに背を落ち着けると、 上に座っているビクトールを見上げた。
「酒でも持っていれば良かったな。こんな場所で飲むのも悪くない」
 その言葉に被さるように、ちゃぽんと音をさせて小さめの酒瓶が目の前に 差し出された。
「さっきレオナに分けてもらってきた。部屋で飲むつもりだったんだがな、 ちっと気が変わってここで飲んでた」
 受け取って蓋をはずす。匂いでわかる、ビクトールのいつも 飲んでいる酒だ。
 軽く一口含むと、蓋はせずにそのまま頭上に持ち上げた。手から重みが消え、 ビクトールが手に取ったことがわかる。
「・・・あいつのことを考えていた」
 ふーっというため息と共に耳に届いてきた声は、落ち込んでいるようなトーン でもなく内心ホッとする。
 もちろん自分を呼んだ時点で深く落ち込んでいる様子 ではないとある程度わかっていたわけだが、この普段豪傑な友人の落ち込んだ姿 を、自分が見ていられるかどうかあまり自信がなかった。
「そうか」
 言葉すくなに返す。
 ミューズ市長を務めていたアナベルが殺されたのは、ビクトールが彼女の 部屋を後にしてしばらくことだったという。未だにその犯人は 明確になっていない。
「悲しいというよりは、悔しい気持ちの方が大きい。なんともいえない 複雑な気分で・・・気持ちわりぃ」
 グイと酒を煽る。
「正直、どうしようもなかっただろう。今こうして考えていること自体が 馬鹿げているのもわかっている。それでもな、俺がもう少しあの部屋にいたら 何かが変わったかもしれないと思わずにはいられん」
「・・・ああ」
 覚えのある感情だ。
 死に顔も見ることなく永遠に別れた女性。
 思い出すのはよく通る声で皆を 導いていた、毅然とした立ち姿。皆を励ました優しい声。そして、自分に だけ向けられた少女のような笑顔。
 自分はよく知らないが、アナベルもきっとビクトールにしか見せない顔が あっただろう。
 そう思うと胸が締め付けられる。
「あいつは強い女だった。後悔なんざないだろう。それでも心残りはあった だろうさ」
 都市同盟の結びつきが危うくなっている今。
「・・・と今ボヤいてみても始まらねえな。すまん、一方的に しゃべっちまった」
 どうだ、と酒をよこす。
「いや。お前のもんだ、飲めよ」
「なんだよ。遠慮するなって」
「お前が飲め」
「・・・・・・」
 ちゃぽん、とまた頭上で水音がする。
 溺れるように飲むことはない。飲むことで忘れてしまいたいわけではない。 ただ少しだけ酔いたいだけだ。
「ま、残った方で頑張るしかないってか」
 ビクトールの投げ出すでもない、明るい物言いに心底救われる。 それだけつらい経験を重ねているという証でもあるが。
「ああ、やるさ。途中で投げ出すつもりは元からないしな」
「もちろんだ。それこそあいつに笑われちまう」
 くっ、と小さな笑い声が聞こえた。
「悪ィな、気ぃ使わせたか」
「今更気を使う相手でもないだろう」
「そうか」
「さ、俺は帰るぞ。明日は軍師殿に伝令係を頼まれてるんだ」
 フリックがそう告げると、ビクトールが体を倒して下を覗いてきた。
「お前一人でか」
「ああ。サウスウィンドウまでひとっ走りだ」
「よし、俺も付き合うぜ」
「朝早いぞ。飲んでて起きれるのか?」
「これくらいで二日酔いになるもんか。だがまあ・・・ オイ、残りは今ここでお前が飲んでしまえ。あと少ししか残ってねえがな」
 受け取った瓶は確かに軽かった。二口で飲み干してしまうと、 手に持っていた蓋を閉めて返そうと頭上へ上げる。
「ん。悪いがそれは処分しといてくれ。しばらくこういう酒は飲まないつもりだ」
「・・・しょうがないな」
 友人の強さに密かに微笑みつつ、瓶を手に立ち上がろうとしたところ、 上から背中にドカリと足が降ってきた。思わぬ衝撃に思わず前のめりになる。
「あー・・・なんだな。付き合ってくれてサンキュな」
「・・・礼より謝罪の方がよっぽど嬉しいが。重ったいんだよ、お前の 足は!!!」
 背中に置かれたビクトールの足を払いのけるように地面に落として、 勢いよく振り返った。
「おお、すまんな!」
 歯を見せて笑う友人に、睨むつもりがつられて笑ってしまった。



 部屋へ向かう間の話題は明日のこと。
「7時に門のところだな」
「時間通り来なかったら置いていくからな」
 部屋が近づいてくる。手前がフリック、奥がビクトール。
「じゃあ」
 と短い挨拶を交わし、ビクトールはさらに廊下を進む。すると足を止めて こちらを向いた。
「なぁフリック。俺にはあんな場所でひとりで飲む酒は合わなかったみたいだ」
 笑いながら。だが、感謝の言葉に違いなかった。
「確かにお前には似合わないな」
 フリックもドアノブから手を離し、正面に向き合う。
「次は最初から俺を呼べ、酒なら付き合う。自分の分は持参するぞ」
 フリックの言葉にビクトールは右肩のみを少し上げた。
 了解。
 そして。
「じゃ、明日な」
「ああ、明日」
 そう言って、互いの腕と腕を十字に当ててから別れた。
end

腐れ縁いいですねえ。
フリックはどうにも不幸そうなとこがいいし(し、失礼な!)、
ビクトールはめちゃめちゃカッコいいところがいい。