「こんにちはー」
 最近足しげくこの家に通ってくる少年の声が外から聞こえてきた。
 でも今日はそれが入口ではなく裏口から 聞こえてきたので、2階の自室を片付けていたクレオは首を傾げる。



 この家にラウとグレミオが帰ってきたのは2ヶ月ほど 前のことである。
 帰ってきたといってもグレミオはともかくラウはよく家を 空けることがある。それでいつ帰ってきても入れるように、と昼間は鍵を 閉めないでいる習慣ができていた。
 もちろん家の鍵は渡しているのだが、それはそれ。
 もしフッと気が変わってこのまま出て行こう、なんて 思われたら・・・と考えてしまうとなんとなく落ち着かないのだ。
 夜はさすがに物騒なので鍵は閉めるが、入口の灯りを付けておくことも 習慣となったひとつのこと。
 ラウがまたいつかここを出ていくだろうことはクレオにもパーンにも わかっていた。
 それを止めるつもりはないけれど、ここがラウの帰ってくる 家だということを覚えていて欲しかった。



「こんにちはー?」
 再度の呼び声にクレオはハッと我に返ると、裏側に向いている窓を開けて下を 覗いた。
 そこには思っていた通りの少年がいて、少年は窓を開く音に顔を上げた。
「ユウリくん、どうしたの?鍵はかけてないはずだけど」
 すっかり顔見知りになったユウリはこの家に出入り自由の扱いになっていた。 とは言え、彼は必ずドアをノックして声をかけてから家に入ってくるの だけれど。
「クレオさん、こんにちは」
 頭をぺこりと下げて挨拶してくる。美しいお辞儀ではないけれども、 クレオはこの少年の素朴なお辞儀が気に入っている。
「あの、入口に紙が張ってあったんですけど・・・?」
 クレオの問いかけに対し、逆に遠慮がちに聞いてきた。
「えっ、張り紙なんてあった?なんて?」
「ペンキ塗りたて、ご用の方は裏口から、と」
「・・・パーンね・・・」
「たぶんパーンさんです、豪快な字だったので」
 クレオのため息と共に出てきた言葉とユウリの声が重なる。
「ごめんね。すぐ裏口開けるからちょっと待っていて」
 窓を離れたクレオの背中に「ハイ」という快活な返事があった。



「ホントにごめんなさいね。私も聞いてなかったわ。パーンったら ペンキ塗りなんていつやったのかしら」
 台所に立ってお茶を入れながらクレオが謝ると、ユウリは首を振った。
「いえ、初めて裏口に回ったので楽しかったです」
 クレオはユウリの物言いがおかしくて思わず笑った。亜麻色のショートヘアが フワンと弾む。
「ええと。たしか棚にグレミオが作ったお菓子があったと思うんだけど・・・」
「いえ、おかまいなく。クレオさんしかいらっしゃらないのに 家に上げてもらっちゃって」
 申し訳なさそうに首をすぼめる。
 グレミオは買い出しでラウは散歩らしいと知ると、しばらく外をブラブラ して時間を潰すと言ったのだが、クレオはユウリを家に招き入れた。
「遠慮しないで。というよりも食べて欲しいのよ。グレミオはいつも 作りすぎるから。足りない時があったら嫌なんですって」
「グレミオさんらしいですね。えっと、じゃあいただいちゃいます」
 少年はテーブルの真ん中に置かれた様々な焼き菓子の並んだ大きなお皿に さっそく手を伸ばして食べ始める。
「グレミオさんてほんと料理がお上手ですよねー・・・あ、これ初めて食べました。 へえ、シナモンが効いてる。また作り方教えてもらおうっと」
 ユウリが人並み以上に料理ができることはクレオも知っている。 ラウは全くといっていいほど作り方に興味を示さないせいか、 ユウリがレシピを知りたがるとグレミオはそれは喜んで教えていた。



 それにしても、こうやってお菓子を嬉しそうに食べるこの少年 を誰かが見たとして、現在ハイランドと戦争をしている同盟軍 のリーダーだと信じられるだろうか。

 ・・・坊ちゃんはどうだったろうか。

 戦いが長引くにつれ、ラウの顔に厳しい表情が浮かぶことが多くなった ことを鮮明に思い出す。あの表情を見るのが辛かったことも。
 その時すでにグレミオはいなかったので、自分やパーンがなんとか彼を 守れないかと各策すれば、彼は明るく笑ってくれたものだった。

 −大丈夫だよ、そんなに心配しないで。

 反対に気を使われたのかもしれない、と思った。
「クレオさん?」
「・・・え」
 じっと濃い色の瞳で見つめられていたことに気付いた。
「ご、ごめんなさいね。ちょっとぼうっとしちゃってたわね」
「なにか悩み事ですか?眉にちょっと皺寄ってましたよ」
 自分の眉間に指を当てるとニコリと微笑む。 この子は優しくてほんのりあたたかい笑みを浮かべる。
「・・・ユウリくんって軍主らしくないわよね」
「や、やっぱりそうですか」
 食べる手を止めたユウリにクレオは慌てて手を振った。
「あ、そういう意味じゃなくて。お城にいる時とココにいる 時ではもちろん違うでしょうし。ただ、ユウリくんを見ているととても 落ちつくからそういうことで・・・ああ、私ったら何を言ってるのかしら」
「あははっ、いいですよ。僕、ビクトールやフリックに今でもしょっちゅう 言われてるんです。お前はいつまで経っても『らしい』振るまいにならないなって。 僕もそう思います」
 悪びれない笑顔を浮かべる。
「ラウの動きはキレイですよね、洗練されているっていうか。会うたびに 思います。僕もあんな風にできたら違うんだろうけど、無理っぽいです」

 ユウリは「ラウ」と敬称抜きで呼ぶ。
 始めは「さん」付けで呼んでいた記憶があるが、妙に呼びにくそうにしていた 時期があった。そしていつのまにか「ラウ」と呼んでいたので、 たぶん坊ちゃんの方からそう呼ぶように言ったのだろう。

「私はこの家でのあなたしか知らないけれど・・・人が集まるのにはなにかしら 理由があるわ。同盟軍の皆はユウリくんの中に希望を見つけたのよ。 だから坊ちゃんのマネをする必要なんてないわ」
「・・・そうだといいんですけど」
 その困ったような微妙な笑顔の中になにか大人びたものをクレオは 感じ取ってドキリとした。
「難しいです。 僕なんかがこう言うのはおこがましいですけど、時に軍主らしさって 必要なんですよね。それをシュウ・・・あ、うちの軍師なんですけど。彼は 毅然としていなさいと言ってくれるんですけど、その毅然っていう ことさえも時に僕には難しくて。もちろん出来ないなんて言ってられないので 努力はしているつもりです。・・・ナナミなんかは時々渋い顔してますけどね」
「ナナミちゃんが?」
「はい。たぶん、ナナミが見たくない顔を僕がしてるんだと思います。 ナナミは僕がリーダーであることを応援してくれても、 両手を挙げて賛成はしていませんから」
 また胸が小さく鳴る。
「どうして、かしら」
「不安なんですよ」
 あっさりと答えが返ってきてクレオは内心驚く。
「ナナミは今は僕のことを一番に考えてくれているから。今までの僕じゃない面を 見てしまうと心配でたまらないみたいです。僕が全く変わってしまったん じゃないか、無理をしてるんじゃないかって」
 そうだった。
「ユウリくんはナナミちゃんには何か・・・?」
「大丈夫だよ、くらいしか言えませんけど」

 −そんなに心配しないで、大丈夫。

「クレオさん?」
 ユウリがクレオのどこかぼんやりした様子に首を傾げる。
「・・・昔、同じことを坊ちゃんに言われたことがあるわ・・・」
 そう言って口を閉ざしたクレオを見ながら、ユウリもちょっと考えるような仕草をした。
「そういえばラウがいつだったか言っていました。グレミオさんがいなくなって からクレオさんやパーンさんが自分に気を遣ってくれているのがわかったって」
 クレオの体がピクリと反応する。
「気なんか遣わせたくなかったけれど、自分のことを心底思ってくれているのが わかって嬉しかったし、それで確かに救われていた部分もあったって」
 クレオの顔がゆっくりと上がる。
「坊ちゃんがそのように・・・?」
「はい」
「・・・そ、う」
 クレオは自分の肩から力がふっと抜けていくのを感じ、軽く目を閉じた。
「ふふ。あの時にわかることができれば良かったのに・・・なんて、今思っても しようがないことね。やっぱり当時わかることは出来なかっただろうし」
 苦笑しながら言うクレオに少年は柔らかく微笑んだ。
「・・・近ければ近いほど、気付けないこともあるんでしょうね」
 言ったあと茶色みがかった瞳に暗い影が一瞬降りたような気がしたが、そう思った時 にはもうその欠片さえ見当たらなかった。
「それにしてもクレオさんもナナミと同じで心配性だったんですね」
 明るく言うユウリにもう一人の少年の姿がダブった。

 −クレオは実は心配性だからなぁ。

 そう言ったラウは、クレオが昔から知っているいつもの明るい笑顔の彼 だったことを思い出す。

「そうね、私にとっても意外だったわ。・・・ありがとう、ユウリくん」
「いいえ?僕は何も」
「ふふ、家で待ってもらって良かったわ」
「僕も嬉しいです、クレオさんとふたりで話せるなんて滅多にないですもんね。 ・・・あ、シーナに羨ましがられそうだな」
「ああ、あの子。元気にしてる?っていうのはおかしな質問ね、 ここの大統領の息子なのに」
 顔を見合わせてクスクス笑った。
 クレオは、やはりユウリの笑顔は安心すると思った。



「そういえば今日も坊ちゃんを誘いに?」
「あっ、はい。すみません、一緒に来てもらえたら嬉しいなぁと思って」
 ユウリはビッキーの力でバナーの村まではとんで来れるが、そこからこの グレッグミンスターまでの森はひたすら歩いてこないといけないという。
 時には仲間を連れて。時には1人でくることもあった。
 その無謀さにグレミオは随分と心配しているし、たぶんあちらの城の者 たちも頭を抱えているだろうとクレオは想像する。
 それでもいつも元気にやってくるユウリをラウは喜んで迎えた。

 ラウはユウリが頼みに来た時だけ一緒に戦う。
 始めこの話を聞いた時には、どうしてそんな提案が出たのか理解できなかった。 辛い思い出を蘇らせるだけではないかと思ったのだ。
 忘れたくても忘れられないことはたくさんある。忘れてはいけないことも。
 しかし、ラウは自分自身にそこで止まることを良しとしなかった。
 その聡明な輝きに溢れた黒い瞳は既に新しい世界へと向けられ始めていたのだ。

 そこにちょうど現れたのがユウリというこの少年だったのだろうか。
 不思議な子だ。
「坊ちゃんをよろしくね」
「?僕が助けてもらってるんですよ?」
 キョトンとした目を向けてくるユウリにクレオはただ微笑んだ。



 ギィ、と微かに戸のきしむ音が響く。続いて疲れたかのような声。
「た、ただいまです〜」
「グレミオさんだ」
 ユウリがガタリと椅子をひくと裏口へと駆けて行く。
「お帰りなさい、グレミオさん。お邪魔しています!」
「ユウリくん!?いらっしゃいませ。あ、すみません、すみませんっ」
 どうやらユウリがグレミオの荷物を分けて持ってくれたらしい。
「すごい量ですねー、何作るんですか?」
「今日の晩御飯はルッコラサラダにサーモンのフライ、トマトスープ、それから デザートはオレンジシャーベットですよ。ユウリくん、発つのは明日ですよね? 今晩はグレミオが腕を振るいますから是非食べてくださいね」
「うわぁ、いいんですか?あっ、僕も手伝います」
 なだれこんでくるように入ってきた二人にクレオが近づく。
「グレミオ、また買いこんだものだね。ユウリくんが来るのをあらかじめ 察知していたのかしら?」
 やんわり皮肉をこめるが、グレミオは真意に気付かず、妙に納得の顔をした。
「そういえばそうですね・・・。クレオさんの言う通りかもしれません」
「あっ!ひょっとして、これって以心伝心ですか?」
 ユウリもまた的外れな発想の持ち主だったのを忘れていた。 クレオは意気投合する2人を見比べながら苦笑する。
「坊ちゃんが放っておけない一つの理由に入るのかしらね・・・」
「え?」
 振り向くユウリにクレオは何も、と首を振る。
「坊ちゃん、早く戻ってくるといいわね。ユウリくんが待っていると 知ったら駆け戻ってくると思うんだけども」
「ええっ、そうですか?ラウはきっと『来てたのか、明日は釣りに 行きたかったのに』とか言いますよ」
「そうかしら」
「そうですよ」

 ギィ、と再び戸の開く音が響いてきた。
end

クレオ大好きです!!
坊ちゃんドアの音だけ(笑)
最初はグレミオと2主の語りの予定でした。いつのまにー。
うちの2主は坊ちゃんを呼び捨てです。でも敬語は時々混じります。