体が地面にぶつかる音と、足が地面を蹴る音。
「っつ・・・」
倒れた方が素早く右手を上げて降参を伝えると、次なる攻撃体勢に移っていた相手は、急に止めきれない体に衝突を避けるべく若干方向修正を施した。地面を滑り込む足元に砂煙が立つ。
そしてそのまま尻をついて足を投げ出した。互いに声も掛け合わず、しばらく早い呼吸を繰り返すことに専念した。
やがて先に降参を示した方が、後ろについていた左手と足に適当にかけていた右手を叩き合わせて土埃を落とすと笑いかけた。
「ユウリに負けちゃったな」
「・・・あんまり悔しそうじゃないのが悔しいなあ」
長めの前髪をかき上げて負けを宣言した少年に、ユウリと呼ばれた少年はよほど疲れたように項垂れる。
ラウは声を上げて笑った。
「何言ってんの。悔しいさ。これでも僕は負けず嫌いでね。どう、さっそくもう一戦?」
「うわぁ。僕はもうちょっと勝利の余韻に浸ってたいからパス」
苦笑を浮かべて茶色がかった瞳を相手に向けた。
「それこそ悔しいから早い再戦を求む」
「意地悪」
「どっちが」
立ち上がり、わざわざ風下に移動してから服を払ったラウは、その足でユウリの傍に立つと手を差し伸べる。
ユウリはラウの手を見つめ、ため息を漏らした。それはそれは残念そうに。
「なんかさあ。その役目って、勝った僕がするべきじゃない?」
「・・・役目って。これが?」
ラウは首を傾げて、自らの伸ばした手を開閉してみせる。そう、とユウリが頷けば。
「いや、だって。僕が先に立ったから」
「確かにそうなんだけど」
一度出した手を引っ込めるのが嫌なのか、ラウは差し出した位置はそのままにグーパーと握って開いてを繰り返す。ユウリは眼前の手を口を尖らせて、チラリ彼へ視線を投げかけた。
「・・・掴めっていうの?」
「僕はそんなこと一言も」
「口で言わなくっても手が言ってる」
視界に入ってくる単純な動きは当然目障りで、ちょうどパーの形になった時に掴んだ。と、同時に引き上げられる。
「ほら、払って」
言いながら、ユウリの背中側についた草を払う。ユウリは諦めの表情を浮かべ、自分も手や足を払った。
「ありがとう」
若干の不満は否めないものの、感謝の言葉は忘れずに。養父の教えはしっかり身についている。
「どういたしまして」
ラウも応え、そして嬉しそうにニヤと笑った。
「こういう役目は勝った方がするべきかとも思ったけど」
ラウの言葉にユウリが「うわー」と声を上げる。
「暗に手がかかるなあって言ってる?」
「ん?まさか」
それこそ「そんなこと一言も」と返ってくるかと思っていたユウリは不意打ちを食らい、口をぱくぱくさせた。
「・・・お、お世話になってます」
辛うじてそう返しながら、自分のセリフに、なんだそれ、と心の中でつっこんだ。
そういえば、とユウリが言う。
「打ったところ、平気?」
「ありがとう。大丈夫だよ」
ユウリはもとよりラウの強さを知っている為あまり心配はしていなかったが、それでも気になりはする。
「ラウの大丈夫はあんまり当てにならないんだけどね」
「それじゃ聞く意味も答える意味もなくなってしまうよ」
「そうじゃなくて。こんなとこで意地張らないでね、ってことが言いたいんだよ。痛いとこない?」
「うん、だから。僕が大丈夫って言ったんだから、大丈夫」
1度目の答えにはぐらかされまいと、丁寧に再度問うたが、2度目の答えに今度こそ納得し、手を打つ。それでも一抹の悔しさが残るのは何故だろう。
「眉間の皺。せっかく勝ったんだからちょっとは嬉しそうな顔したら?」
ユウリの眉間をラウの人差し指がぐいと押す。
言われて慌ててユウリが作った笑顔はあまりに不自然で、やっぱりと思ったがラウに派手に笑われてしまった。恥ずかしさに顔を真っ赤にしつつ睨むと、ラウはぱたぱたと前後に手を振った。
「ごめんごめん。だってユウリが面白い顔するから」
「それ、ちっとも謝られた気分しない・・・」
胡乱な目を向ければ、手が頭にふわりと降りてきた。
「大丈夫。嫌いじゃないよ、ユウリのそんな顔も」
「ちっとも慰めになってない・・・!」
優しく撫でる手がやけに寂しさを誘って、思わずユウリは涙ぐんだ。
水色の空を斑にオレンジ色が差した空の下、すでに数週間の滞在となった街への道筋をゆっくりと歩いた。
「そろそろ次の移動先を決めようか」
「そうだねー。武器の修理も上がってきたし」
と、ユウリが手にあるトンファーを握り直した。
「やっぱりトンファーが一番扱いやすい?」
「んー・・・、扱いやすいというよりは馴染みがあるっていうか。本当は、持ち運びに不便だし随分と使ったから、この街でしばらく休憩入れようと思ってたんだけどなあ」
幸か不幸か、ふらり覗いた店で出会った鍛冶師の腕は驚くほどに素晴らしかった。ただの様子見のつもりであったにもかかわらず、その場で2人して武器を預けてしまったほどだ。
しかし武器の使い込みっぷりに鍛冶師の方が驚いて、こちらと武器とを目が何度も往復していたことは余談である。
ラウと偶然出会い、旅を共にするようになって何回武器を変えただろうか、そんなことがユウリの頭に浮かぶ。そしてそれよりも、まずいつ再会したのだったろうかと考えはじめた。
「・・・ラウと旅するようになってどれくらい経ったっけ」
「さあ・・・。10年は経ってないだろ、7年・・・8年か」
「そっか」
「どうして?そろそろ一人旅を再開したくなったかな」
問われて、「えっ」と声を上げ、考えるように顎に手をあてた。そして徐に首を横に振る。
「ううん。というか、何も考えてなかった」
「そう。ならいいんだけど。僕も特に考えてなかったし」
「じゃ、このまま続行でオッケイ?」
「オッケイ」
至極あっさりざっくりと今後の予定が決められる。
しかも次にどこへ向かうか、といった差し迫ったごく近い将来の具体案についてはチラとも話題に上っていない。また、そのことをどちらも気にする様子はない。
人並みと呼ばれるであろう寿命を越したのは随分昔。
数えることに飽きたわけではないけれど、時間に急かされることはほとんどなくなった。
いつのまにかオレンジ色の中に水色の斑が混じっていた空を見上げ、どちらともなく綺麗だなぁと呟いた。
「さて。街についたらまず宿に戻ろうか」
「すっかり埃っぽくなったしね。お風呂入ってからご飯・・・あっ、あそこ行こ、えーっとホラ。群島諸国料理店!気になってたあの店に行くまではこの街を出られない!」
同感、とラウが受け答える。
でも、と続ける。
「その前に、お風呂上がったら肩のテーピングしようね。軽く痛めただろう、さっき」
「・・・うそ。気付いてた?」
「勿論」
「えー・・・。ほんと、どっちが勝者かわかんないよ・・・」
心底残念そうに言うユウリへ、ラウはくすくす笑う。
「なに。僕に勝つことがそんなに嬉しい?」
「そりゃあ嬉しいよ。こう言っちゃなんだけど、負ける相手ってそういないもの。でも負けるの嫌いだし。万が一のために負けたくないし・・・」
「万が一?」
次々と出てくるユウリの言葉の中から素早く奇妙な単語を拾い上げた。
「えっ。あれっ。う、ううん、なんでも!」
「万が一?」
「う、あ」
ラウからすれば、ユウリの態度は言ってはまずかったのだと体言しているように見受けられる。どうしてだろう、普段はラウが驚くくらいに上手に世渡りしているというのに、こんなことでうろたえるだなんて。
ユウリは未だ曖昧な視線を宙に漂わせている。ラウは2人の間の距離を縮めることでそれを妨いだ。
「何?いまさら遠慮することなんてないんじゃないの?」
冗談ぽく言ってみるが、ユウリの表情に大した変化は表れない。
「遠慮とかそういうんじゃないんだけど」
やはり答え辛そうだ。
「言ってみたら?僕が腹を立てるなんて貴重だよ」
そんなことを言い淀んでいるわけではないとわかっている。でも、これで気持ちが軽くなるならと言ってみた。
「あー・・・ラウは怒らない、よ」
ユウリの言葉を聞き、ラウは体を引いて、ゆっくり先を歩き出す。怒らないなら言えばいい、とは言わない。
「ユウリが言いたくないなら言う必要はない。行こう」
けれど、後ろからついてくる気配は感じられない。
「ラウ」
それは、空の水色とオレンジ色の境界線に在る一筋の光のような、そんな鮮やかな声だった。
足を止め向き直ると、ラウに対するユウリは逆光気味になり、少し離れただけで表情はハッキリとはわからなくなる。
そして彼の口から出てきた言葉は、穏やかな口調に似つかわしくないものだった。
「僕は必要があれば」
影の中で、瞳が細められた。
「ラウを殺すよ」
ラウは微動だにせずユウリを見つめていた。
「だから、勝てる相手にならなきゃ」
言葉少なでありながら、慎重に言う様がその重さを充分に表した。
沈黙が在ったのはどれほどのことだったのか。空に水色は見当たらなくなったものの明るいオレンジに変わりはない。
首を少し傾げたラウの黒髪がサラと流れた。
そして、笑う。
「それは・・・ひどく残酷な夢だな」
悲しいとも嬉しいともとれる、だがそれは確かに笑顔だった。
「そうかな」
コトンと続いて首を傾げるユウリの仕草はとても幼く、先ほどの言葉が彼の口から出たのだとは思えない。
「そうさ」
そう答えると、相好を崩した。逆光の中にあってユウリの白い歯が覗くのがわかった。
「そうだといいな。だって、僕にとってもそれはとても残酷な夢だもの」
「・・・君の夢なのに?」
ユウリはそうとも違うとも答えずに目を細める。
「ラウにとって。残酷な夢であればいいと心から願っているよ」
そうして目を伏せる。まるで何かに祈っているようだった。
「君の夢なのに?」
もう一度静かに尋ねると、今度はクッキリと口角を上げて笑い、そして軽やかに頷いた。
「そうだよ。それが僕の夢」
「・・・まったく。君はなんて物騒なんだ」
ラウは腰に両手をあてると、呆れるような笑いを浮かべた。
「ねえ、せいぜい気をつけてよね!」
ユウリが楽しそうな笑い声と共に、両腕でラウの腕に絡み付いてくる。
「なーにを生意気な。そっちこそ返り討ちに合わないようにせいぜい気をつけるんだね」
「えっ、僕はラウに殺されたくないよ!?反撃なんて無し、無し!」
「なんでだよ。そんなのフェアじゃない」
「フェアとかそういう問題じゃなくて・・・。それじゃあ僕の夢って無意味のような気がするよ」
ラウはクスリと笑って。
「そうであることを願っているよ」
「・・・それは僕のセリフでしょー」
ふふ、とお互いに困ったように笑い合い。
ラウは濃い朱に変わろうとしている空を仰ぎ見た。
「・・・ああ。まったく酷い夢だ」
僕が君を殺すだなんて。
君に僕を殺させるだなんて。
それでもきっと。
本当に本当に、必要な時が来たならば。
僕は。
君は。
「お腹空いたっ」
ユウリが街の入り口を前にゴールと言わんばかりに両手を挙げる。
「まずは宿屋でテーピングね」
「うあ、忘れてた。早くやってね〜」
「それが人に頼む態度かな」
ゴツンと後頭部を小突くと、イテと小さな声が返ってくる。
これから何年生きようと。
未来がわからないのはきっといつまでも同じ。
確かなのは、今この時、生きてここにいるという事実。
だから今は。
「先に食べに行ってから、ゆっくりとテーピングなんてどう?」
「何を名案を思いついたかのように言うんだ。却下」
宿に戻って、部屋でユウリの肩のテーピング。
それから群島諸国料理の店へ行って、食事をとる。
2人揃って街灯に照らされだした石畳へと足を踏み入れた。
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