「そうだね。行けるといいなぁ」
 集まってきていた幼い子ども達に向けて笑って言ったユウリの言葉に、ラウは何か違和感を覚えた。





「ラウ。どうしたの、お疲れ?」
 声と共に、水が並々と入ったコップが眼前に差し出される。
 手から元を辿ると、両手にコップを持ったユウリが立っていた。テラスの端で木を背もたれにしていたラウは体を起こすと笑みを返す。
「いや。でもちょっとぼうっとしてたかも」
「めーずらしい」
 ユウリの軽口に肩を竦め、ありがとうと言ってコップを受け取った。
 無色透明ガラスの中の水越しに、デュナン湖が望める。
 解放軍もそうだったが、湖が傍にあるという立地は強い。(四方を水に囲まれていた解放軍本拠地は船が多数手に入るまでの間、それなりに苦労はあったのだが)特に、同盟軍のように資金に余裕のない軍には、水を手に入れることに奔走しないで済むことはとても助かることだろう。
 ガラスを通して指に伝わる水の温度はごく低い。一気に半分ほど飲む。
 ラウは息をつくと同時に話し出した。
「さっき、子ども達に『行けるといいなぁ』って言っただろう。どうして?」





 子ども達がユウリに尋ねたのだ。
「戦争が終わったらお祭りできる?」
 子どもが住んでいた村では、この時期に小さな祭りが催されていたらしい。無邪気に尋ねる子どもの頭をユウリは撫でて笑いかけた。
「勿論。いいな、お祭りなんて楽しそうだね」
「うん!あのね、屋台がズラーッて出るんだよ。飴とね、玩具を買ってもらって。それから夜は村の真ん中で火を焚くんだ、すっごく大きいの!僕も薪を用意するのを手伝うんだよ」
「へえぇ、偉いねー。・・・今年はできなくてゴメンね?」
 眉を下げてユウリが言うと、子どもは首を大きく横に振った。
「ううん!お父さんもお母さんも今は頑張る時だって言ってるもん。・・・なにを頑張るのかよくわからないけど」
 言ったあと首を傾げる子どもの前に、ユウリも向かい合ってしゃがみこむ。
 はにかみ笑いを浮かべて、ぽんぽんと子どもの頭へ手を落とした。
「そっか。お父さんとお母さんがそんなことを。うん、そうだね。僕も頑張るよ」
 子どもが嬉しそうに歯を見せて笑う。言葉の意味を取ってというよりも、頭にある軍主様の手に純粋に喜んでいるに違いない。
 そして、ある思いつきに顔を輝かせた。
「そうだ!お祭りができるようになったらユウリ様も来てね!!」
 ユウリを囲んでいた他の子どもたちもキャアと声を上げて賛同する。
 その答えが。
 ユウリはゆっくり立ち上がると、僅かに空を仰いだ。
「そうだね。行けるといいなぁ」
 それだった。





 ユウリはラウのいきなりの問いに目を瞬く。
 咥えるように口につけていたコップをようやく唇から離すと、歯が当たったのかカツンと鳴った。
「どうしてって。今すぐには実現できそうになかったから」
 ユウリの返事は短く明快だ。
 でも聞きたいのはそういうことではない。
 『行けるといいな』はあまりに曖昧で、ある種逃げのようなものを感じさせた。
 どうして、『きっと行くよ』という意味の言葉ではなかったのか。
「・・・・・・」
 それでもそれを口に出すのは躊躇われた。
 ユウリの言葉を聞いた時、違和感と共に何かを感じたことを思い出す。
 それは、既視感。  いつかどこかで。
 そう、自分が。





 やるせなさが急激にこみ上げてきて、ラウは少年へ両腕を伸ばすと、何も言わずに抱きすくめた。
「えっ、なに?」
 当然ながら上がる驚きの声を無視して、さらに腕に力を込めた。
 嫌というほどに知っている。
 どんなに守ろうとしても守れないことがあること。
 どんなに願っても叶わないことがあるということ。
「・・・ねー。どうしたの、ラウ」
 ふふ、と笑って、腕をラウの背中に回すと子どもをあやすように優しく叩いた。
 布越しに伝わる手の温もりが余計に切なかった。
 自分も同じように感じていたに違いない。
 けれど。この少年は違うんじゃないか。
 どこかでそんな風にも思っていた。甘いと言われようと。
 だって、そうではないか?
 誰がこの少年の進む道が辛苦に彩られることを願うだろうか。
 誰がこの少年は不幸になると思いながら今行動を起こしているだろうか。
 どうして、不幸な未来を考えなければならないのだろうか。
 それでも少し考えてみれば簡単に思い当たるのだ。
 死は、いつでも隣に寄り添っていると。
 それでも人は希望を抱くものだから、自分を奮い立たせるため、また、未来があるのだと言い聞かせるためにも言う。
 きっと、と。
 けれど、彼は言わなかった。





「・・・ユウリ」
「うん?」
 ユウリから体を離さずに言う。
「明日、ユウリの作ったご飯が食べたい」
「・・・は?え、や、いいけど。な、なんで急にそんなこと?」
 慌てるのは当然だ。まさか抱きつかれた次にこんな会話を振られるとは思いもしないだろう。
「急に、思い立ったから」
「は、あ」
 多分に怪訝な色を滲ませながらも、どうやら了承を得ることができたらしい。
「それで?何が食べたいっていうの?」
 諦めたように声を大きくして尋ねてきた。
 慰めてくれているのか、背に当てられた手が軽く跳ねる。自分が何故抱きしめられているかもわかっていないはずなのに。
「・・・魚、釣ってくる」
「釣れるかどうかもわからない魚の到着を、僕は延々と待たなきゃならないのかなあ」
「じゃあ、ユウリも釣って。二人だったら一匹くらい釣れるだろ」
「一匹って・・・自分一人だけ食べるつもり?」
 呆れたような声が耳にダイレクトに入ってくる。
「大きいのを釣って分ければいい」
「あはは!僕は大きい長靴なら釣る自信あるよ!」
 ユウリが堪えられなくなって笑い声を上げた。肩から揺れが伝わってきて心地良いと感じた。
 ラウはようやく顔を上げ、少年にゆるり笑いかける。すると彼も応えて微笑んだ。
「復活?」
「ん。お待たせ」
「お待たされ」
 ごく近い距離で見ても、その笑顔に透明で嘘偽りはなかった。
 もう一度、背に添えられた少年の手が跳ねた。





 ラウは一度大きく息を吸い込んだ。
「ユウリ。この戦い、勝つよ」
 唐突な言葉にちょっと驚いた顔を浮かべる。が、すぐに顔を綻ばせた。先ほどと同じ笑顔。
「うん」
 約束、とラウの出す小指に、ユウリが苦笑する。
「念入りだなぁ」
 それでも躊躇することなく小指を繋ぐと、数回上下に振った。
 こんな行為、何の保障にもならないのに、約束を交わしたことに安堵してしまう。
 まるで先ほどの幼子のようだ。そう思ったら少し気恥ずかしくなって、小指を掌のうちに仕舞い込んだ。
「・・・勝たなきゃ」
 そう呟いて空を穏やかな様子で眺めるユウリの横顔を、ラウは眺める。
 得たばかりのはずの安堵が消えていくのを感じていた。
 この戦いに勝つことには、あっさりと約束を交わした。
 では、彼が約束できないものはなんだろう?
 一年後のお祭り。
 なぜ。
 風も吹いていないのに、肌が俄かに粟立った。
「ユウリ」
 口が勝手に動いていた。ユウリが顔を向けてくる。
「来年。さっきの子ども達が言ってた祭りへ一緒に行こうか」
 言ってしまった。
 が、ユウリは今度は驚いた様子も見せず、そっと微笑む。
「うん。それまでに戦争が終わるといいな」
 ユウリの答えは欲しかった答えとはやっぱり違う。
 だが、ラウにそれ以上言えることはなく、その言葉に対する返事を返すにとどまった。
「きっと、終わる」
 ユウリは目を細め、再び視線を空へ向けた。
「・・・・・・ありがとう、ラウ」
 なぜか、そう言って。
 突然思い出したかのように、コップの中に残っていた水をすべて飲み干した。
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