(わぁ珍しい)
ユウリは長椅子の背から覗き込むようにしてその光景をしげしげと眺めた。
長椅子にはこの家の主が穏やかな呼吸を繰り返して横になっていた。
(グレミオさん、こ、これ無理だ)
グレミオ曰く、ラウは午前中から本を読みふけっていたらしい。
午後を過ぎてユウリが到着するといつものようにグレミオが出迎えてくれ、
ラウは応接間で本を読んでいるはずだと教えられた。
だが昼食のあと一度も姿を見ていないから寝ているかもとも言われた。
また、もし寝ていたら起こして欲しい、お茶にしましょうと言われ、今に
至る。
(起こせないよ〜)
長椅子の背に両手を置いて、その上に頭を重ねる。
ユウリの背中には窓からの太陽の光がふんだんに降り注いでいた。横になって
いるラウには日光は直接当たっていないが、部屋自体がぽかぽかと暖かい。
(それにプラスして読書・・・そりゃあ眠たくなるよ)
ハァとため息にも似た温い息を肺から吐き出して、ラウの胸の上にある分厚い
本を目にやる。伏せられた状態のその上にさらに両手が落ちている。
(重たそう。苦しくないのかなあ)
夜寝る前にシュウから与えられた本を読んでいていつのまにか寝てしまうのは
よくあることだが、胸や腹の上に重たい本があると―時に自分の腕であっても―
苦しくなって起きることがある。
そわそわと、立ったり屈んだり、横から見たり身を乗り出してみたりなどを
してみる。
本を退けるには手が邪魔だが、ちょっとずつずらして引き出すことが出来れば。
ラウを相手にそれは至難の業のように思えるが、ここは幸いにもマクドール邸。
それにユウリが入室してきても気付かないくらいに寝入っている。
(できるかもしれない)
はじめは純粋な心配から。途中からは彼への挑戦心も混じって。
もはや目的が、起こすことから正反対の起こさないことに変わってしまって
いることには気付かなかった。
背もたれから身を乗り出し、ラウの様子を伺いながら手を本へ伸ばす。
前へ周りこんだほうがいいかもとも思ったが、こちらの方が本とラウ本人を
見やすい。それにこの簡単には動きそうにない豪奢な長椅子にもたれてバランス
をとった方が良いような気がした。
(・・・それにしても気持ち良さそうに寝てる)
普段少年の姿に似つかわしくない空気を纏っているその人は、無防備に
椅子に身体を横たえ、安らぎの表情を浮かべている。
人の視線にはとても鋭いのに、安心できる場所だからかちっとも気付き
そうにない。
決して初めて見る寝顔じゃないけれど。
(そういえば初めて見た時はそれなりに衝撃的だったっけ)
場所はやはりこのマクドール邸で、総勢6人でグレッグミンスターを訪れた
時に宿がいっぱいでこの家に泊めてもらった時のことだ。
ユウリはラウの部屋で一緒に寝かせてもらうことになったのだが、翌朝は
緊張のためか自分の方が先に目が覚めた。
(うん、衝撃的だった)
こんな無防備な顔は初めてだ、と、つい近寄ろうして、その動きでラウは
目覚めてしまったのだが。
(なんで僕がまじまじと見てるのかわからなくて、寝起きも相まって人相
悪かったなー)
あのラウが。
思わず笑いそうになって飲み込む。
(思い出してる場合じゃないぞ、と)
えいやと本を掴み、まずは軽く引いてみる。
(う、重っ)
本の上の脱力した手が予想以上に重たい。加える力を増やして引っ張ると、
やがて少しずつ動き始めた。
(起きないでよ〜・・・)
勝手に緊張して力の入ってしまっている顎を、口をぱくぱくと開閉することで
動かしてみた。
気を取り直してさらに引っ張る。
「・・・・・・ん」
ラウの口から音が漏れると同時にユウリの心臓が跳ね上がり、本を掴んで
いた手もつい引っ込めてしまった。
(ビ、ビ、ビックリした・・・ああっ!?)
続いて小さく寝返りをうち、仰向けだった体が横を向く。そのために
本の位置がズレたのだ。
(あんな重たい本が下に落ちたらいくらなんでも絶対に起きる!!)
本当に目的がなんだったのか。
この時ユウリの頭にあったのは音をたててはならない、それだけだった。
いっぱいまで身体を前に倒し、ギリギリのバランスで、だが本はしっかりと
掴んだ。
(よくやった、僕!!)
元の位置まで身体を起こすと、ドコドコと全力疾走後状態になっている心臓を
本を抱え込んで押さえ込んだ。
深呼吸を繰り返しふと我に返る。
部屋に漂う空気はひたすらに緩やかで、表通りから聞こえてくる雑音や声も
遠く、うるさいのは自分一人だけだということに気付いた。
(・・・なに必死になってるんだろ)
と、今更思う。
そう、ラウを起こしにきたことから全てが始まったんじゃないかとようやく
思い出した。
本を適当な場所に置くと再び長椅子の背側から覗き込む。
落ち着かないのか、小さく頭を動かしていた。
(猫みたいだ)
また小さく身動ぎする。
やっと落ち着いたのか、ふ、と力を抜く。どこか満足そうに見えた。
(喉、鳴ってそう)
声を出して笑いそうになるのを椅子の脚をギュウと掴むことで堪える。
(この大きな猫をどうしようか?)
もっともラウは猫というよりも犬っぽいように思えるが。
それはどうでもいいんだけど、と絨毯の上に膝立ちをし、背もたれから
目だけ覗かせて考える。
と、瞬きを数回。
(ん?考える必要ないんじゃ・・・)
だから。
グレミオにラウを起こして欲しいと言われたのではないか。
あれから何分が経っているだろうか。グレミオからはまだ声がかかっていない
ものの、さすがにそろそろお茶の準備が整うだろう。
(選択の余地なし。よし、起こそう!)
本来の目的遂行に向けて。立ち上がり、眼下の人に手を遠慮なく
伸ばした。
「ラウ、起き、う、・・・ワアッ!!?」
ナゼか、空を飛んでいた。
「大丈夫ですか、ユウリくん」
「ユウリ、悪かった」
「いえ・・・」
今ユウリは先ほどラウが寝ていた長椅子に座っている。
あの時、伸ばした手はラウによってつかまれ、次の瞬間にはその手を軸に
180度空中を移動してしまったのだった。
「あれっ」
ラウの妙にのんきな声を聞いたのはまさに宙にいた時だった気がする。
咄嗟のことながら、こればかりは日頃の鍛錬に感謝すべきか受身だけは
ばっちり取ったのだが。
「少し我慢してくださいね。リュウカン先生のこの塗り薬は打ち身によく効く
ので」
「すみません、グレミオさん」
「いいえぇ。坊ちゃんがユウリくんを私と間違えたのが悪いんです」
「なっ!?なんでユウリが降ってきたんだ!?」
「そ、それは僕が聞きたい・・・」
テーブルに叩きつけられるように倒れたユウリへの第一声がそれだった。
「全面的に僕が悪い。ごめん」
ラウが再び頭を垂れた。ラウ曰く、グレミオが起こしに来たのだと思った
らしい。
起こされるような気配を感じたから戯れに反抗してみた。
伸びてきた腕を掴み、力いっぱい引っ張る。
自分の上にグレミオが悲鳴を上げながらヨタヨタと落ちてくるはずだった。
が、妙に反動がつき遠心力に持っていかれる自分の腕の先を追った。
何故かユウリが宙を飛んでいた。
ユウリはわけがわからないといった顔をしていたが、自分もそうだったに
違いない。
「もういいって、大丈夫。僕、頑丈だし」
さすがに満開の笑顔というわけにはいかないが、ユウリは手を前後にぱたぱた振って
平気っぷりをアピールする。
が、ラウはなんとも苦い顔をしていた。ユウリにも察しがつく。同盟軍軍主
を自分が傷つけてしまったことを本当に後悔している。勿論それだけでは
ないだろうことは、自惚れなんかじゃなくラウの性格からしてわかっているつもりだ。
「本当に支障なし。これくらいは訓練でもしょっちゅう!」
トラン共和国の名医、リュウカン先生の薬も塗ってもらったし、と上腕を
擦る。
ラウは困ったようにではあるが少し笑い、その様子にユウリもホッとして
笑い返した。
「せっかく来てもらったのに何もできなくて悪かったね」
「んーそう悪くもなかったよ」
先に寝台にもぐりこんでいたユウリがラウが横になる場所を空ける。
「のんびりできるいい口実を作ってもらっちゃった」
罪悪感のカケラもないように明るく言い、中で足をぱたぱた動かす。
「コラ、埃が立つ」
まだ寝台に腰掛けた状態のラウがその足を上から軽く押さえて止めた。
「・・・でもそう言ってもらえると少しはこっちも気が楽になるな」
「ラウは僕の立場のこと考えてくれすぎだよ。
それに手合わせしてもらったらコレよりすごい傷ができるじゃないか」
「それはまったく別もの」
ラウは呆れたように肩から息を吐いたが、ユウリは大して変わらないよ、と
肩を竦めた。
「それにしてもさ、すごい経験しちゃった。マクドール邸で宙を舞うとは
思わなかったなあ」
思い出してクククッと笑い出すと、ラウもつられてプッと吹き出した。
「僕もまさか起きて早々、天井にユウリの姿を見るとは思わなかったさ」
「それを言うなら、僕はラウがそんな間違いをするなんて思わなかった」
「・・・僕も思わなかったよ」
乾いた笑いの後、頬にぺちりと手を当てる。
「なんでユウリとグレミオを間違えるかなー。気、緩みすぎだ・・・」
「そのおかげで僕は1日ワガママし放題ってわけだ」
「あれ。それほどいつもと変わらなかった気がする。そういえば」
ラウの言葉に、ユウリは「え」と眉を顰めた。
「ま、待って!それはいつも僕が無遠慮だってこと!?」
「おや。どうだろう」
いつもの調子が戻ってきたのかラウはニヤと笑う。
「ずるいよ、せっかく弱みを握ったと思ったのに」
「今日1日のワガママし放題で帳消しにしてくれるって言ったろ?」
「えー、言いましたーけどー」
語尾を不満色に染め、本人がそう感じてないならあまり意味がないよ、と
呟いて顔を枕に沈めた。
「機嫌直してユウリ〜」
ラウが手元の頭をわしゃわしゃと混ぜるが、ユウリはされるがままに顔も
上げなきゃ返事もしない。
「ユウリ、こっち向いて!」
軽快に手を打つ音が聞こえてきて、ユウリはのろのろと顔を上げた。
「ねえ。それって人に呼びかける時の動作ー?」
ラウは楽しそうに口の端を上げるとまだ文句を言いたげなユウリへ両手を広げた。
「ホラ、来いユウリっ!」
「フーッ!!」
「拒否するか?」
「野良猫の扱いは難しいんだよ!」
「それなら力ずくで従わせるまでさ」
「?フギャッ!」
寝台の上であっさり横四方固め。見事に決まってユウリが悲鳴をあげる。
「痛いっ、ギブギブー!!」
「ほい」
これまたあっさり解放されたユウリは、起き上がるとケホッと
乾いた咳をして、自由になった腕を肩からぐるりと回す。
「ほ、本気でやる!?仮にも傷を負ってる人に対して!」
「本気でやらないとユウリの相手は務まりません」
「・・・今、褒められた?」
「さて」
まじまじと見つめてくるユウリの視線を目を瞑ることで流すと、乱れたシーツを
伸ばして中に戻るよう指で示した。
ユウリは大人しく寝転び、灯りを消すよ、と声をかけるラウを見上げる。
「・・・ねえ。今日ラストのお願い」
「どうぞ」
「喉くすぐっていい?ゴロゴロ〜って・・・」
「オヤスミ」
問答無用で灯りを吹き消された。
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・・・喉というお題から猫という発想に移ったらしいです。
でもキーワードにもなってなければオチてもない。