本を読んでいたユウリが、ふぃと顔を上げると辺りを見渡すような仕草をした。
「・・・ナナミ、なにか匂いつけてる?」
「あっ、わかった!?あのねえ、ニナちゃんが持ってた香水なんだけどね、 ちょっとつけてもらっちゃった!」
 両手を床について覗き込むようにやはり本を読んでいたナナミは顔を上げると 膝歩きで傍までやってきて、片手首をユウリの鼻先に突き出した。
「わ、けっこう甘い匂いがするね」
 びっくりした表情を見せるユウリにナナミが瞬いた。
「苦手?」
「え?ううん、そういうことじゃなくて。考えたら当然だけど、離れてて匂いが するんだから直につけてる箇所はもっと強いに決まってるよね」
「あーうん、そっか。そうだね」
 自分の手首をクンと嗅いで何度か頷く。
 甘いフローラル系の香り。ピンクっぽいガラスの小瓶に入っていたのを 思い出す。
「ニナのってことは、ニナもいつもつけてるの?」
 気付かなかったなぁと言うと、ナナミが元気よく首を横に振った。
「昨日ね、一緒に城下の露店を見てた時に買ったんだよ」
「ふぅん?ナナミは買わなかったの?」
「えー!だってなんか恥ずかしいじゃない!」
 と言って、ユウリの肩をバチンと叩いた。
「イタッ、叩かなくても!」
「も〜ガラじゃないよう!」
 なぜか照れて顔を赤くしながら手をぱたぱたと振る。
「とか言いながらつけてもらってるんじゃん。ナナミ、お年頃〜?」
「あっ、この!バカにしてるでしょ!!」
「あははは!」
「こらぁっ、否定しなさーい!」
 ぽかぽかと殴りかかられてユウリは頭を両腕で庇った。
「いたっ、痛いってばナナミ」
「ユウリが悪いんでしょー!」
 と、コンコン、とノック音。そして声がかけられた。
「ユウリ?僕だけど入っていいかい」
「あっ、どうぞー!」
「逃げる気!?」
 ガチャリとノブを回す音、次いで、
「これはまた」
 くすりと笑ってラウが入室してきた。
「ラウ歓迎!」
「こらっ!あ、ううん、ラウさんは歓迎だよ!でもユウリー!」
 いつのまにか椅子から引き摺り下ろされ両腕で首を絞められている形に なっていたユウリが床を叩いた。
「ギブ!降参!」
「ふふん、最初から認めてれば良かったのよ」
「兄弟喧嘩?いいなあ」
「違いますッ。ユウリが私のことバカにしたんです」
「あははは」
「笑うのはその口!?」
「うわあ、ごめん!!」
 ナナミの腕がユウリめがけて振り下ろされそうになったその時。

 ラウの指がトンと触った。
「え」
「ナナミ、いい匂いがするね」
「えっ、えっ!」
 狼狽の声と共に、ナナミの腕がグリンと逆に反りあがった。がっしり掴まれる よりも、触れるくらいのほうがやけに恥ずかしい。思わずドキリとしたことに、 さらに心拍数が上がる。
「ラ、ラ、ラウさんてば、そーゆうことサラッと言っちゃうのね」
 顔が熱いのを自覚しながらもナナミはラウを上目遣いに見やる。
「うん?変なこと言った?」
 当の本人はまったく気にしていない様子。
「・・・変なことっていうかさ、なんとも思わずに言えちゃうのがスゴイって ことだよね」
「そうそうそうそうっ」
 さっきまで拳を振るい振るわれる関係だったことも忘れて同意を求め合う。
「なに2人して。別に本当のことを言っただけだろ」
「・・・フツウは言わないんだと思います」
「ラウって無意識のうちに罪作りだと思うな・・・」
 さも不思議そうにしているラウに、ナナミとユウリは力なく笑い返した。

「ああ、そうだ」
 ラウが思い出したと手を叩く。
「目的を忘れるところだった。ユウリ、ビクトールが手が空いてたら道場に 来ないかって言ってたよ。ちょっと騎士達の前で練習試合をしようってさ」
「あ、じゃあ行ってくる!ラウも行くでしょ?」
「僕はパス。行ってらっしゃい」
 ラウは手を握って開いてを繰り返し、笑顔で部屋の主を送り出そうとする。
「僕はいいんだってさ。軍主殿、行っておいで。僕はここでのんびりさせて もらえると嬉しいけど」
「それは構わないけど・・・えー?なんか変だなー・・・まぁいっか。んっと、 じゃあちょっと行ってきます。ナナミもごめんね」
「ううん、行ってらっしゃい」
「あ、ナナミ」
 閉じかけたドアをもう一度押し開いてナナミを呼んだ。
「なに、忘れ物?」
「違う、違う。その匂いがするやつ。今度また露店見にいくことがあったら 買っちゃったら?お金出すからさ」
「えっ、なんで?」
 突然の提案に驚くナナミに、ユウリはにっこり笑った。
「女の子っぽくていいんじゃない?」

 ぱたりと閉じられた扉を見つめたまま、ナナミは立ち尽くしていた。
「ユウリが女の子っぽくていいんじゃない、だってさ・・・」
 にわかに信じられない言葉を聞いたナナミは復唱してしまった。背後から クスクスという笑い声がしてきて、我に返る。
「ラウさんっ、な、なんで笑うのぉ?」
「微笑ましいなって思って」
「えええ〜?」
「ごめん、嫌だった?」
 楽しそうだった笑みをおさめると、代わりに穏やかな笑みを向ける。ナナミは 口をへの字にして答えた。
「・・・そうじゃないけど。でもラウさんもユウリもよくわかんないよ」
 きし、と音をさせてラウが主のいないベッドに腰掛ける。
「そのまんまの意味だよ。いいじゃないか、香水なんて女の子らしくて」
「うー。何か含みを感じます」
「ないない」
 からっと笑う。その笑い方がどこまでも裏がなくて、ナナミはなんだかズルイ と思った。
「なんなら今から一緒に探しに行ってみる?ナナミだったらもう少し爽やかで 軽い香りが似合うかもしれないよ」
 とても魅力的な誘いだ。ラウはナナミを女の子扱いしてくれるから、彼と 歩くのはすごく楽しい。シーナも女の子扱いしてくれるが、どちらかというと 近しい友達のように思えてしまう。
 それでもナナミが素直に頷けずにいると。
「やっぱり兄弟ってとこかな。気になることがヒトツあると先に進まない」
「・・・それって褒めてます?」
「羨ましいと思ってるよ」
 焦点をズラされて、んんん?と首を捻る。
「さて、デートのお誘いは断念するとして。この部屋に僕もいていいかな?」
 ラウの改めての申し出にナナミはきょととした。
「やだ、私の了解なんていらないじゃない!ユウリもそんなの当然と思ってます よー」
「でもナナミが僕といることで気を遣ってしまうんだったら申し訳ないから」
「・・・?今日はやけに私を女の子扱いしてませんか?」
「気付いた?」
 ニヤッとからかうように、でも白い歯を見せて笑うものだから嫌な顔が できない。
「んー・・・。どうしてですか」
「ユウリにならってみた」
 質問されるのを待っていたように、ラウの口からはすんなりと答えが返って きた。だがナナミにとってそれはまったくもって意外で、且つちっとも納得の いかない答えだった。
「ユウリ?」
「ナナミ。別に頭を悩ませるようなことじゃないんだ。忘れていいよ」
 えー、と抗議の声を上げるナナミにニコリと軽く笑みを返すとベッドから 立ち上がる。そしてナナミの前を横切って壁際にある本棚の前に立った。
 迷うことなく並んでいるうちの一冊に手を伸ばす。しおりの挟んであるページ をぱさりと開けて、文字を目で追いながら再びベッドへと戻っていった。

ラウが城に滞在している間、この部屋に入り浸っていることはそう珍しくない。 都度寝るためだけに用意される客室は無論個人のものを置くわけにいかず、 自然とユウリの部屋にごく僅かな私物を置くようになっていた。
 図書館で借りてきてあるのだろう今手にとっている本も、読みかけだったこと はしおりが挟んであったことから簡単に想像がつく。

 ナナミはラウの一連の動きを眼で追っていたが、待っていたところでこれ以上 の言葉は期待できなさそうだと、自分も先ほど床に伏せて置きっぱなしにして いた本の方へと近づいていく。床に手をつこうとして、少し考えてから本を 拾い上げる。テーブルについて読むことにした。
 片手で頬杖し、片手でページをめくる。
 ほどなくしてフワリと甘い匂い。 先ほどより手首が顔に近いせいだ。なんとなく嬉しくて微笑んだ。
 ふとユウリが言っていたことを思い出す。
『女の子っぽくていいんじゃない?』
 ぷらぷらとさせていた足を止め、宙を見つめた。
「うーん」
 ナナミの声にラウが顔を上げる。どうしたの、と問う前にナナミが口を開いた。
「やっぱり私、香水はいらないみたいです」
「なぜ?」
 ナナミの突拍子もない言葉にラウはちょっと眉を動かしただけで驚いた様子 ではない。ナナミはニコッと無邪気に笑う。
「だって、戦うときにこんないい匂いしてたら気が抜けちゃいます!」
 はきはきとそう答えるナナミに、ラウは眼の端を僅かに強張らせた。
 しかしその動きは目に止まるほどのわかりやすいものではなく、したがって 次のラウの冗談めいた言葉もナナミになんら疑問を抱かせることはなかった。
「じゃあ、戦わなければいいじゃない」
 なんでもないような軽い口ぶりに、ナナミは窓の外にひろがる空のように晴れやかに 笑い返した。
「それはダメですよ〜!だって私、ユウリの傍にいなくちゃですもん!」
 ラウは本を閉じ、目を瞑る。
「・・・そう」
 その口元は微笑んでいたが、やや俯き加減のためか、ナナミにはどこか寂しげ に見えてしまった。

「・・・えっと。ラウさん?」
「残念だな、ナナミにプレゼントしたいと思ったんだけど」
 顔を上げると同時にニコリと綺麗な笑みを投げかけられ、ナナミの中に 生まれた心配は一気に吹き飛んでしまった。
「え。あっ。私、ひょっとしてスゴクもったいないことしちゃいました!?」
「そうかもね」
「えええーっ!べ、別のものとかどうです?」
「それは却下。またの機会にね」
「ううー、今、お鍋が欲しかったのに・・・」
 再び本を開こうとするラウの手の動きが一瞬止まった。
「・・・ま、またの機会にね」



「ところで本当にラウさんは道場に行かなくていいんですか?」
「うん。ユウリを呼んでこれたら僕は免除っていう条件をつけてきたから」
「・・・ラウさんってば本当にそういうことサラッと言っちゃうんですね」
e n d

はじめ読むと、「ナナミ・2主の間違いじゃ?」って感じで。
シリアスなんだかギャグなんだか・・・。

ちなみに紺乃は香水の類はほとんどつけません。基本的に匂いのするものは苦手なので アロマさえもやりません。部屋に匂いがしてると空気の入れ替えがしたく なります。
でも上手につけてる友達に会うたびに女の子らしくていいなぁと思います。