雪が降ればいい。
雪が降ればいい、と思うのは、大概において雪が降らない場所に住むからなのだろう。
しかし昔住んでいたキャロの街で雪が降らなかったかといえばそうではなく、
むしろ冬は大変な積雪量だったと思う。
特に都市同盟領に来てからはそう自覚するようになった。ここは住んでいた土地より
もやや南に位置するからか、雪の降り始めは遅めだし、積もる量も比べれば少ない
方だ。(それでもトラン共和国出身者はものめずらしげに雪の積もった庭などに
立ち入っていた)
キャロの街では雪が降り始めると、それはつまり街全体が雪に閉ざされ身動き
の取れない状態になるということを意味し、養父や街の大人たちは顔を曇らせて
いた。
しかしその姿を見て、理由を理屈として理解はできたものの、一緒になって
ため息をこぼすことはなかった。雪が降れば、それに合わせた遊びがあった
からだ。子供だった、とも言えるけれど。ただ、雪が降ることに対して心から
の喜びであったり、憧れにも似た気持ちを持つようなことはなかったと思う。
ごく自然に、当然のように降るものであったから。それこそ朝になれば太陽が
昇り、夜になれば月が昇るのと同じように。冬になれば、雪がふった。
だから、欲しいと思う必要性がまったくなかった。また、そう思う気持ちを知る
ことはなかった。
それなのに、いま、白みがかった乾いた土の上に立ちながら、雪が降ればいい
と思うのは。
当たり前のものだと思っていたものが未だ訪れないからだろうか。
何故か、目の奥が熱くなる。
深く息を吸おうとすると、冷えた空気が肺を満たす前に、鼻の奥がツンと
痛くなった。
目頭から鼻の付け根あたりをギュッと掴む。
「・・・痛い」
ぱた、ぱたと足元で微かな音がした。
手を退けて見てみると、小さなシミがブーツにできていた。見ている間に、
ぱた、と新たなシミ。
ああ。この目から落ちていたのか。
なお涙を落としながら、他人事のようにそう思う。
と、ぼやけた視界に何かが入った。
反射的に、空を仰ぎ見る。瞬きをすると涙が目尻から耳の傍へ伝って落ちて、
視界がクリアになった。
さっきまで空一面を覆っていた濃いグレーの空は、白に喰われ始めて
いた。
再び足元に目線を戻せば、ブーツにできた涙のシミは新たに落ちてきたそれで、
あった場所すらわからなくなっている。
白が、空から地上に降りてくる。
色という色、音という音を喰いながら。
ぱさぱさと地面で折り重なるその微かな音は、封じ込めたものの最期の声。
「・・・ふ・・・っ、う・・・」
すべて、全て喰い尽くすことができるなら。
この地上の全てをその白で覆い尽くすことができるなら。
・・・本当はそんなことはできないとわかっている。
それならば。
今、この時この姿とこの声だけでいい。
誰の目にも触れず、誰の耳にも届かぬよう。
白で、僕を隠してください。
雪が降ればいい。
雪が降ればいい。
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